Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

EOSな日195. アルファマ地区

2019年07月29日 | field work

 

 ポルトガルは、第二次世界大戦に参戦していないから歴史遺産はすこぶる多く、私流にいえば被写体だらけの街だ。リスボン市内だけでも丁寧に回れば三日ぐらいは必要だけど、私達は正味6日間で8つの街を回ろうというのだから、大変過密なスケジュールだった。それはEOSに高倍率ズームレンズをつけ、脱兎のごとく走り回りつつ撮りまくるといったらよいか。

 リスボン市内で私が興味を持ったのがアルファマ地区だ。1755年のリスボン大地震でも、幸運にも残った街がアルファマ地区だとガイドブックに記されていたからだ。以後旅先でリスボン大地震という言葉を時折聞かされた。何故この地震に関心を持ち続けているのかという潜在意識を決定的にしてくれたのが、Y女史がアップさせてくれた日本の研究者達の報告書だ。 「(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構調査研究本部:リスボン地震とその文明史的意義の考察、2015年」がそれだ。

 それまでヨーロッパ唯一の裕福な反映を続けてきた海洋帝国リスボンが、大地震と津波によって市街地の大半を失い、その国力までが衰退の一途をたどり始めたことだ。以後宰相ボンバルの強力なリーダーシップで都市は再生されたが、すでに経済と文化の面においてヨーロッパ主流都市ではなくなったとする歴史である。歴史家達にいわせれば、衰退の原因は大地震だけではないとする認識も書き添えておかなければならないが、都市が激甚災害に見舞われた例として古くはイタリアのポンペイであり、現在では東北地方の諸都市である。そして今後に予想されている首都圏直下型大地震による東京や南海トラフ大地震による紀伊半島や四国の諸都市である。

 現在我が国の超高層建築が地震で倒壊する可能性は少ないとしても、津波に対しては無防備といってよい。というか建物だけでは防ぎようがないからである。にもかかわらず皮肉なことに経済や都市の活動は、津波の恐れがある海岸沿いへと広がっている。東京オリンピック施設の多くもウォーターフロントにある。そして激甚災害による経済の大きな停滞は免れないだろうということを報告書は指摘している。

 さてアルファマ地区を歩いてみると、往事の建築様式である煉瓦の外壁などは建物の隙間に僅かに見える程度だし、おそらく地震の教訓で多くの建物がリニューアルされている可能性は高い。あるいは表層だけを塗り直したのかもしれないが、脱兎のごとく走り抜ける私の目ではわからなかった。

 旅の最終日に再度リスボンの街を歩く時間があり、またアルファマ地区を再度訪れようと当初は考えていたが、一目で古色蒼然とする都市景観は少なそうなので、もういいかとする意識の方が支配的だった。


リスボン市
EOS1Dsmark3,EF28-300mm/F3.5-5.6
ISO800,焦点距離170mm,露出補正-0.67,f/5.6,1/8000
ISO800,焦点距離100mm,露出補正-0.33,f/5,1/8000
ISO400,焦点距離35mm,露出補正-0.33,f/8,1/1000
ISO400,焦点距離100mm,露出補正-0.33,f/8,1/2500 

 

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