ゆく冬を惜しむように一昨年の小樽の画像を集めた。画像は使用済みだったか未アップだったかは解らないが、まあいいかの気分だ。
手元に写真家が撮影した小樽の古いカレンダーがある。みると運河と赤煉瓦の倉庫や北市ガラスのランプの写真が載っている。日本人がイメージしている小樽の街は、私にはステレオタイプ化したイメージだといっておこう。
というのも小樽運河が竣工したのは1923年(大正12年)であり、赤煉瓦の倉庫群は、その後である。従って小樽イメージは、昭和のものである。
江戸末期に幕府が開港したのは、函館、長崎、横浜、神戸、新潟である。その後、明治政府が力を注ぎ日本で2番目の鉄道を敷設し、以後北洋漁業と石炭の積み出し港として日本の産業経済を支えてきたのが小樽である。つまり明治政府によってつくりだされた新興都市だ。すでに155年経過している。明治の頃の小樽は、どんな街だったのか。すくなくとも私達がまだ見ていない姿である。目下それを論文にした。
このブログがアップされるとき、私の論文を載せた大学の図書が刊行される。3年以上フィールドワークをしていた。その合間に小樽の街を撮影していた。まだ私達が見ていない小樽の街の姿があるはずだ。それは画像では表現できないまだ見ぬ姿だ。
小樽市
ニコンF3、ツァイスディスタゴン25mm/F2.8、ツァイスプラナー50mm/F1.4、トライX
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