今日はお正月が過ぎた京都市内。提灯、信号機、ライトアップ、街灯と光り物で写真を集めてみた。トップの画像は、planarの絞り開放だもん。そりゃ綺麗よ。
デジタルカメラに当たり前のように付いてくる標準ズームレンズ。実はこれが曲者。どこか曲者かというと背景がボケない。そりゃ本来そんなことを主眼にして設計したわけではないからさ。
そうなると単焦点レンズで撮る。
それもフィルムを使うと余計なモノまで隠してくれるので、やはりこちらの方が綺麗だ。背景や風景をボカすというのは絵画でもできるが、実は写真の光学的ボケ方が大変綺麗であり、この点では絵画より優れている。だから写真でこのボケ方を使わない手はない。ボカしてなんぼ!、の世界だ。
それにフィルムだと、どんな光情報も読み取ろうとするデジタル機材のアホな努力はしないから、余計なモノを漆黒の闇に隠してくれる。ましてトライ-Xを増感するとコントラストが高くなるからなおさらだ。
絵画と異なり写真は、撮された余計なモノを隠すことはできない。精々撮影時にファインダーのアングルを変えるぐらいだ。だから不用なモノを漆黒の闇で隠してくれるというのは、表現者にとっては便利な方法だ。
そんなことをに遭遇すると、デジタル画像ってなんなのだろうか。便利、現像代はいらない(但し電気代とSynologyの5万円/台のハードディスクが必要)、たったそれだの事かいな。
だからデジタル機材と同等に撮せるフィルム機材を使わない手はない。表現の世界では、フィルムも絵筆の一つにすぎない。
それは学生時代のコンピュータの授業でFortranのブログラムを教わり、世の中にWindow'sが登場する遙か以前からMacを使い続けてきた人間の見識である。
Window'sが登場してきた1995年以降からパソコンの世界が下品になった。汎用性が高いプログラムは、善用も悪用もできる。悪用の典型はハッカーの登場だ。そして社会的な詐欺師までがインターネット上に多数登場してきた。
いまもFaceBookから詐欺師が多数やってくる。FBに架空のサイトをつくり信じ込ませようというわけだ。最近手が込んできた。そうしたFBの詐欺師達作成の架空の個人サイトをみると思い入れの記述が皆無。通例写真には、そこに思い入れの記述を書くでしょう。それも本人の個性あるとらえ方で。それが架空のサイトでは全く感じられないのだ。つまり詐欺師達は、そこまでやるほど頭がよくはなかった。
だから、私のブログ「ZEISSの空気45. 国際ロマンス詐欺師との会話 219年1月30日」が毎日欠かさずアクセスされている、私としては不思議な現象だと思う。
ふと、欺される人を思うとコメント欄から高齢者が多いと推測する。そんな老人達は若いお姉ちゃんとセックスしたい願望があるのではないか。嫁も娘も居るから家では口に出せない。そんなネチネチとした願望をいだいて暮らしているとすれば寂しい社会だ。
新型肺炎で病院内でのクラスター発生が多く、しかも感染経路不明とする事例が多い。ふと思ったのが、入院患者がよなよな病棟を抜け出し、風俗へでかけ、そしてウィルスをお土産に病棟へ戻る患者が多いのではないか。だから感染関連の法律でも当初は、入院指示を無視して外出したら刑事罰云々という記述が登場してきた。そう考えると納得できる。
欺される人間も、病棟を抜け出す人間も、寂しい老人達の姿だ。そうなる前にジムで汗を流し、少しはまともな体型とコンディションを維持して、まっとうな思考をする方が正解だと思うけどな。
さて、今月も長すぎた幕間に転んでしまった。明日からまた「小説:小樽の翆」に戻ろう。官能小説を書いている人間は、実はエアロビクスに通い、デッサンに励み、デザイン会社を経営し、まっとうに暮らしているのである。
イラストに多用している裸婦もデッサンから起こしているので色気なし。もちろん文章も即物的に書いているので同様。つまり色気のない官能小説というわけだ。色気というのは、見ている人間の意識が意味づけられたり、思い入れになってオキシトシン分泌を促している状態だ。
さて税理士から納付書が届いた。法人税を振込にゆこう。
2月の末頃、小樽にでかけるスケジュールができた。さて撮影機材のシステムは・・・、超焦点域のズームレンズと明るい単焦点レンズのシステムで・・・、なんていうのはマニュアル本の視点だから、こんなつまんないシステムはやめましょう。というのもそんなことは海外の取材でいつもしているからだ。
京都市 2021年1月
ニコンF3HP+MD4、Carl Zeiss Planar50nn/F1.4、Distagon[25mm/F2.8、トライ-X(+2増感)
現像:写真弘社
もう何十年も歩いてない場所なのに、昨夜階段を下った気がしました。
モノクローム、だと思いました。
先生にとって今日も良い一日でありますように(^^)/