Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

EOSな日17. 50mm域

2016年04月14日 | Nagoya city
 キャノンEF28-300mmIS USMは、いつも35mmでヘリコイドをロックしている。多分一番使用頻度が高い画角だからだ。
 撮影するときは、ここは28mmとか、ここは70mmといった具合に事前に空間の規模を認識し焦点距離を設定してからファィンダーをのぞいてシャッターを切る事が多い。ズームレンズというのは本来そうした使い方をするものであり、この方がスピーディーなのだ。
 ファィンダーをのぞきながらズーミングするのは、コンパクトデジタルカメラだろう。というかそうした面倒くさい仕方しか出来ないわけだし、なんか焦点距離をなめているような遅々とした仕様は大変使いにくいというほかない。画面を見ながらズーミングしていると遅すぎて魚なら逃げちゃうよ。
 さて今日の画像は焦点距離を50mm域に合わせた。実はニコンDfにシャープなオールドニッコールレンズを付けてこの風景を撮影していた。比較してみてみると、キャノンのズームレンズは単焦点レンズ並みに写っている。このあたりは、さすがLレンズだけのことはある。
 なにかと下馬評が別れるレンズではあるが、私はGoodに1票入れるね。

名古屋市覚王山
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM
ISO400,焦点距離50mm,露出補正0,f8,1/200
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EOSな日16. 28mm域

2016年04月13日 | Nagoya city
 さて、そのキャノンEF28-300mmIS USMをEOS1Dsmark3に付けて少しだけ試写してみた。28mm域は大変シャープで、さすがLレンズ。おそらく28mmから135mm域位までは解像度が高い設計にしてあるのではと考えてしまう。それから先が少しずつ落ちてゆくような案配だろう。
 重たいことを我慢すれば、レンズ交換をする必要もなく大変使い勝手がよい。ズームレンズは、やはりこうでなきゃね。歪曲収差なんか結構盛大にでているけど、そんなのはどうでもええのです。要はシャッターチャンスに最適の画角であることのほうに意味がある。もう居直った気分でガシンと構えて撮影している。
 さて昨日は、マッサージにかかっておいてよかった。タップリもんでもらい、夜は4時間半ほどしか睡眠時間がなかったが、今日はなんとか街歩きもできたし、その後1時間ほど午睡したら身体の中に溜まっていたものが全部抜けたように軽くなって頭がすっきりとした。ここ一ヶ月ほど意欲が沸かなかったのはやはり肩や背中の凝りだったと気づかされた。自分では気づかないうちに凝っていたわけだ。
 そのあと学生達が就職の相談に着たので、聡明になった頭でバシバシと片付けて企業の人事担当者に直接コンタクトしてしまった。技術系とかデザイン系は、WEB登録とは別枠の採用になるからな。自動車メーカーのカーデザイナーの採用と同じか。こちらは、はやく片付けという気分だ。その程度のことで学生達の一生が決まるわけでもないだろうと思うけど。

名古屋市栄
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM
ISO400,焦点距離28mm,露出補正0,f10,1/250
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PEN LIFE1295.  明解なEOSシステム

2016年04月12日 | Photographic Equipment
 思わず指がポチッと動いて調達してしまったキャノンのLレンズEF28-300mmIS USM。実際報道関係者、そしてパパラッチ御用達レンズでもあり、一般にはあまり使われないしみかけないようだ。
 理屈から言えば広角から望遠まで複数のカテゴリーを網羅し高画質という私の屁理屈に適う唯一のレンズだ。Lレンズだから光さえあれば写りは良い方だと思われる。特に広角から標準あたりが一番良さそうだ。
 複数のカテゴリーを網羅しているとはいえ、こんなに重たい機材を本当に使うのだろうかとユーザーは心許ない気分でもある。それでもボチボチ使ってみようか。こうなるとほとんど使わないキャノンの100-400mmはいらないだろうから、いずれ売り飛ばそう。これでズームレンズ2本の明解なEOSシステムを刷新した。使い勝手がよいキャノンではある。
 写りは、はっきりいいましてニコンDfやオリンパスE-M1の方が新しい分綺麗です。それでも使えると考えたのは、焦点距離なんですね。よく使う焦点距離を網羅していることが面倒がなくてよい。レンズ交換というのは朝出かけるときにするもので、外ですべきことではない。そんなときに迷わずこれ1本というのが明解でしょ。
 さて三脚座を外して、それからあまり役立たないフードも外して、円偏向フィルータを調達せねば。量販店のポイントが生きていただろうか。
 ぶら下げていると、撮るぞという意気込みを要求されているようでもあり、それって大げさで、こちらとしてはフワッとゆきたいのだが、今は入手できる高画質レンズはこれしかないのでしょうがない。やだなぁー。
 今日は昼過ぎに非常勤講師が挨拶にやってくる。もうこちらとしては、講義を引き受けていただくだけで大満足なのに、わざわざ形式的な挨拶ですか。それでは朝から出かけたがったのだが無理か。
 ならば午後からLレンズを抱えて栄あたりの徘徊だな。そうだ昼飯も栄でたべよう。パスタ屋はどこだ。機材を持ち歩いて重すぎたのか今度はマッサージだ。それから夕方の打合せ。なんと19時半から大学院の授業ではないか。21時すぎにようやく解放され、家に着いたらもう23時を過ぎていた。結局よく働かされた1日だった。

OLYMPUS PEN-EP5,LEICA TELE ELMARIT45mm/F2.8
ISO2000,露出補正-0.7,f8.1/100
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PEN LIFE1294. ランチ

2016年04月11日 | Nagoya city
 今日から授業が始まったし、学生食堂もはじまった。早速カツカレーを10分で食べて研究室にこもっていた。
 授業がないときは食堂もお休みなので、その間はお昼に智恵を絞らなければならないほど、大学の回りに食べ物屋さんは少ない。
 特に月曜日は、定食屋のよっちゃんが休みなので少し迷う。時間がなければ蕎麦屋のお弁当だが、もう何年も食べると飽きてくる。そこで少し歩くがイオンまでパスタを食べに出かけるか、近所のスーパーでパンと珈琲位しかない。でっ、ラーメン屋もあるのだが昼から食べていては、眠くなるのでいつも避けている。そんななわけで、人並みに大学の回りを渡り歩きながら昼飯をたべている。それはそれで楽しいものである。
 個人的に理想のランチはパスタなんだな。胃に負担がかからず消化が良いのが嬉しい。これは毎日でも食べたいと思う。だが学食は、パスターメニューがない。
 まあ、ランチのために食べ物屋を徘徊するというのも、楽しみの一つだが、学食だとその楽しみがない。ついつい忙しいから10分でかき込んでという具合に即物的ランチになってしまう。明日は清明山を下ったのパスタ屋にしよう。

名古屋市栄
OLYMPUS EM-5,M.ZUIKO DG12mm/F2.0
ISO200,露出補正-,f2.5.1/125
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PEN LIFE1293. 未練

2016年04月10日 | field work
 今週は二日先のブログなんか書くなど、早書きが続いていた。毎日書く習慣になっているようなので、一端日にちが早まると、そのまま早書きが続いてしまう。
 でっ、書きためると後で読み返す余裕が生まれる。言葉がたりないところや、言い回しを変えたりと、しっかり校正しているではないか。そして前よりはましな文章が完成する。だがあらためて読み返すと、テーマ自体がくだらない !! 、というので写真も含めて全部消してしまう結果となる。今日もそうだった。
 ブログも刺身と同じで、その日のうちに書いてアップさせないと腐ってくるようだ。文章も鮮度が大切なのだと気がつかされる。それって本当かなぁー!?。
 だがそうなると話題がない。というのも昨日の大阪の食べ歩きで疲れ果てたので今日は安息日だ。惜しかったな、金龍ラーメンで最後は締めたかったのだが。そうなると食べそびれた未練だけが残る。

香川県丸亀市
OLYMPUS EM-5,LEICA TELE ELMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-,f9.1/200
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EOSな日15. 芸術系のパラドックス

2016年04月09日 | field work
 建築の撮影をしていると、いつのまにか関心が人間の生活に向かって行く。生活があっての建築だから、それは当然なことだろう。そして中国では、市が立つ日はみんな着飾ってくるので、お姉ちゃん達をおいかけ激写していた。このきわどいあやうさでバランスしている民族衣装は何族だったかは、調べないとわからないが独特の個性であることは確かだ。
 さて私は、芸術系出身の人間だから個性のありようには関心がある。例えば大変個性ある絵を描く高校生がいたとする。ならば美大へというのが当然の進路となる。でっ、入試科目にデッサンがあるので研究所などに通って勉強する。めでたく美大に入ると、またひたすら個性の追求に励む。でっ、卒業のころには、個性が拡大され専門知識も身につき優れたアーティストが誕生するはずであった。
 実は、そうならないのである。結果は技術は向上するが、みんな同じ個性になって、同じような絵を描き卒業して行くのである。何故かというと、みんな同じようにデッサンを勉強し、同じような専門教育を受けてしまったのだから多彩な個性が結果として同じになるのは自明のことなのである。
 そこで卒業したら学んだものを捨てる努力が必要になる。そこが今の教育の欠点なのである。著名な画家達の経歴をみても専門的に勉強したとしてもせいぜい2年以下である。専門技術だけならば、それぐらいの期間で学べるからだ。
 不思議でしょ。美大に行って個性を磨いたつもりが、みんな同じ個性になってしまったなんて。教育とは、技術を向上させるために、一斉に同じカリキュラムで教育をするから、当然の帰結として専門知識や技能は身につくが、他方で人間を没個性化する方向に働くわけだ。そして教える側も教わる学生自身も、そのことに気がつかない人が大多数だ。そこが芸術系のパラドックスなのである。
 さて今日は大阪人と食い倒れをしていた。近代マグロにはじまり、ジョージアの無料カフェ、心斎橋のカフェと梯子し、たこ焼き、串カツ屋と徘徊して、もう金龍ラーメンは無理ですわ、で帰ってきた。外国人ビジターが多くものすごい人出にほんろうされていた。ああっ、大阪はすごかった。

中国 1999年
EOS3,EF28-135mmF3.5-5.6.コダクロームⅡ
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EOSな日14. 焦点距離

2016年04月08日 | Kyoto city
 一昨日の帰宅途中の街歩きの続きで、今度は28mmで撮影した画像。既に製造中止であるキャノンEF28-135mmレンズは広角~望遠迄1本ですむところが、レンズ交換をしている暇のないフィールド調査では便利な激写レンズだ。
 昔も今もよく使われる焦点距離がある。それが28mm、35mm、50mm、90mmである。20世紀ライツのレンズシステムはこの通りだし今も変わらない。いずれの焦点距離では名鏡玉がそろっている。つまり完成されたシステムだ。これらを1本で済まそうというのがズームレンズである。
 ニコンやキャノンそしてオリンパスでも高画質のズームレンズがある。それらはすべて広角系14-28mm、標準系24-70mm、望遠系70-200mmと明るさもF2.8で統一されているものの、きっちりカテゴライズ分けされている。いずれも名鏡玉だが カテゴリー毎に分けられている考え方が先ず私には使いにくいのである。複数のカテゴリーをつなぐのが本来のズームレンズではなかったのか。例えば標準系カテゴリーでは使用頻度が高くライツにもある90mmを全くカバーしないなど大変使いにくい。広角~望遠迄のカテゴリーが1本ですむのは、リーズナブル・レンズばかりで写り方には泣いちゃう。
 といった具合にズームレンズではあるが1本で複数のカテゴリーをカバーしていないわけだ。私もフィルム時代のニコンシステムでF2.8レンズ3本にF4とF3のボディをバックに積めていざ出かけようとしたが、重すぎて持ち出せなかった記憶がある。その後3本のF2.8レンズは差し上げてしまい、ニコンシステムは消滅した。いずれも帯に短したすきに長しではズームレンズとは言い難い。
 現在、唯一存在する名鏡玉広角~望遠迄のズームレンズは多くの報道関係者が多用したキャノンEF28-300/F3.5-5.6だけだろう。仕事の合間に、そろそろモデルチェンジの噂があるためかアマゾンで見るとこの高画質レンズが-12万円引きは安いではないか。ふーーん買い時かぁー、あと在庫2本はねぇー・・・!××!!・・!!あらあら!、思わず指が反応してポチってしまった。
 日曜日には届く。EF16-35mm/F2.8が手元にあるので、EOS1Dsmark3につけてレンズ2本でシステム化できるのはフィールドでは便利だろう。ただし重たいが。オリンパスの7-14mm/F2.8もあるので、ボディ2台体制もできるのか。多分EOSは、まだまだしばらく使うんだろうな。

京都市
EOS1DsMarkⅢ.EF28-135mm/F3.5-5.6
ISO1600,焦点距離28mm,露出補正0,f5,1/25
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EOSな日13. 激写レンズ

2016年04月07日 | Kyoto city
 昨日は新入生のガイダンスであった。そんな合間に研究室のロッカーの中を整理していたら、CanonEF28-135mmというレンズが出てきた。 雨や砂塵をあびたレンズは、ヘリコイドに異音がするが使えそうだ。
 かってフィルム一眼レフEOS3につけて海外のフィールド調査で頻繁に使用したレンズである。解像度は並みだが、28-135mmという焦点距離が建築から人物のアップや遠景といった具合に多用途で大変使いやすく、スタビライザーもCanonとして始めて搭載し2段分のシャツター速度をカバーしつつA6版程度の接写もできるなど、大変実用的な激写レンズである。
 この撮影システムで変わりつつある上海やその周辺の建築を撮り、蘇州の集落や庭園を撮り、雲南省では中国少数民族の大変綺麗で個性的な民族衣装を着た若い女性を追い回してアップで激写するなど随分人物撮影にも活躍し魅力的な画像が残っている。今見てもそれぞれ個性が明確にあって(何しろ50の民族がいて、みんな個性が違うのだよ)綺麗だと思う。結構みんなフレンドリーだった。
 日本の街ゆく女性を相手にこうした激写をすれば、セクハラ呼ばわりされたり、肖像権を振りかざされたり、あげくのはてにお巡りさんでも呼ばれそうだ。だから私は日本の女性は何かと面倒くさいので撮らないことにしている。大体みんな同じような雰囲気であり撮ってもつまらないし、わざわざお願いして撮るほどのこともない。日本の女性は形式的でフレンドリーなところが皆無だよ。
 今度は中近東やロシア国境の民俗なんか格好が良く神秘的な雰囲気なので激写したいと思うが、紛争国ばかりではゆくことができない。
 建築を撮影していると、そこで暮らしている人間に眼が行く。こうした生活感ある人物の撮影は、やはり個性や風土がにじみ出ていて大変魅力的である。撮影にはまる被写体だよ。
 そんな海外の女性を沢山撮ったのがこのレンズだ。今後海外のフィールド調査に持って行く可能性はないが、少しEOS1Dsで試用してみた。いささか明るさが暗く、デザインはEOS1Dsに合わないなぁーと思いながら帰宅途中の京都の街を撮影していた。
 やはりこの焦点距離域は大変使いやすい。オリンパスでこの種の高性能なレンズを出さないかな。14-70mm/F2.8といった具合に、28mmから135mmまでの焦点域が1本に収まるというのは大変便利なのである。

京都市
EOS1DsMarkⅢ.EF28-135mm/F3.5-5.6
ISO1600,焦点距離90mm,露出補正0,f5,1/25
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PEN LIFE1292. 新しいPEN F

2016年04月06日 | Shinkansen commuting

 デジタル機材はよく写りすぎる。よく写りすぎてつまらないと思うときがある。だからよく写らない撮り方が面白く、そのために古い機材が使えることは先日書いた。

 そうはいいつつ、新しいPEN Fが魅力的。量販店でクラシックな趣の新しいPEN Fを触る。プロダクトデザイナーはライツⅢfが頭から離れなかったようだ。そのあたりが凡人サラリーマン・インハウスデザイナーの悲しいところだろうか。凡人がデザインしたライツへのオマージュといったらよいか。だがプロダクトとしては大変よさげだ。

 それにモノクロームが大変綺麗だと思われる。モノクロームの階調設定も出来る。どこかにモノクロームに関心を持つ人々がいるのだろうか。個人的にはボディも黒の方が格好がよい。

 12mmのレンズを付けて黒簿デイの黒・黒セットが販売されている。私の手元にある12mmのレンズはMADE IN JAPANと刻印されているシルバーレンズだから銀・黒セットなのだ。やはり色は揃えた方が格好が良い。だからいっそレンズも黒にしようと考えた。

 店頭モデルをみながら、あら12mmの黒・黒セットレンズには日本製の刻印がない。今は中国製なのか。でっ、レンズ付セットはやめた。黒ボディ調達だけにしておこう。レンズは手元にある日本製シルバーで十分だ。それにこのレンズは、マイクロフォーサーズレンズ群の中では一番鮮明に写る。銀・黒セットの色違いは今一の感じもするが、やはりMAID IN JAPANは使い続けよう。こんなところで日本びいきか。

 さてPEN Fの価格推移をみつつ13万円を切ったら、PEN5を売り払ってPEN Fを買いに行こう。これまでPEN2、PEN3、PEN5と使い続けてきた。今のボディはそこそこすり切れているのだけど、やはりなんだかんだといいながら結構使っていたのか。

 

新幹線 京都-米原

OLYMPUS E-PL1,OLYMPUS LENSE15mm,F8

ISO200,露出補正+1,f8.1/500

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PEN LIFE1291. 夜鳴きそば

2016年04月05日 | Kyoto city

 これも第2象限の画像だ。画質が荒いからなのだが、私的には店舗の列に並ぶビジターのファッションやたくましい生足風(実際はわかりませんが)、なんといっても横に広がった大きな骨盤が印象的であり、それに古民家やラーメン屋が混じり合った都市のランドスケープを撮りたかったのだけど・・・。

 実際京都には、数えたことがないのでわからないがラーメン屋は多い。「油そば」、というのは汁のないまぜそばの事だろう。冬の寒さを思いだせばラーメン屋の多さは当然と思われる。

 最近昼にラーメンを食べる機会が少なくなった。それは塩分が濃いので、食べた後は確実に昼寝をしてしまうということ。忙しい時には、それはもう眠くて頭脳労働はできないという理由から敬遠している。だから、夜鳴きそば、という言葉があるように胃の消化には悪いが、やはり寝る前に食べるのが正解のように思われる。その夜鳴きそばの屋台も最近では見かけなくなった。

 ラーメンへの思いだけが一人歩きしている。

 

京都市東大路通

OLYMPUS E-PL1,15mm/F8

ISO3200,露出補正+1/3,f8.1/80

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PEN LIFE1290. よく写らない撮り方

2016年04月04日 | Kyoto city

 京都市内の地下鉄に乗れば半分ぐらいは外国人という具合に海外からの観光客がやたらと多い京都だ。外国人とコンビニ、よく似合う。

 動画と違って静止画像は、表現の幅が限られているから、時々象限を変えないと飽きる。ちなみにGooglで任意の言葉で画像検索すると、もうへたれなオッサン画像ばかりが乱立している。つまりできるだけ高画質で綺麗に撮ろうという意欲の表れであるが、そのうち撮影者自身が飽きてきて、撮影という行為から離れて行くというおきまりの結末が待っている。

 だから時々象限を変える意識が必要だろう。つまり頭の中の意識。意識を変えないまま、機材だけ変えるとそれこそへたれなおっさんの同好会的世界から出られない。撮影には飽きたけど高い機材買ったしなぁーという無理無理撮影に付き合うという退屈で箸にも棒にもひっかからない世界に落ち込む。

 さてこうした荒れた撮り方をオリンパスのいくつかの機材で試みたが、新しい機材は綺麗すぎてしまう。一番最適なのはE-PL1というマイクロフォーサーズ・システムの初期モデル。高画素・高解像度の機材の時代に、よく写らない撮り方をする方法を探るのも興味深いと思う。

 

京都市東大路通

OLYMPUS E-PL1,15mm/F8

ISO3200,露出補正+2/3,f8.1/80

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PEN LIFE1289. 満足稲荷神社

2016年04月03日 | Kyoto city
 昨日の話を続ければ、こちらが後者の画像だろう。満足稲荷神社(京都らしい即物的な社名だ)に、疲れた足取りの修学旅行生、それらはいかにも京都でしょ。
 時折初期のPENに、オマケのキャップレンズをつけ、こうした撮影に時々はまる。盛大にハレーションを起こしてくれてなかなかよさげだ。昔は現像で行ったことが、今は機材のプログラムで行える。
 機材メーカーの中には、そういう画像も面白いということがわかっている人間がいるのだろう。今のデジタル機材を真面目に使えば、あまりにもよく写りすぎるのである。よく写るということがあれば、よく写らないということもあり得る。物事は相対的なのだ。 
 つまり撮影者の志向性をチャートで考えると、±の絶対値をもつx、yの直交する二つの軸があって、水平軸は+側がよく写る、-側がよくうつらない、という指標があって、この軸を画像の表現志向軸と読んでおこう。他方垂直軸が+側が被写体がスナップのように撮影しているときに連続的に変化、他方-側が風景のように撮影時には連続的に変化しないとする指標が付いていて被写体志向軸と読んでおこう。この二つの軸で様々な画像の志向性を説明できる。
 へたれなオッサン画像は直交軸の右下側つまり第4象限だろうし、という具合に説明できる。さらに2軸だけではなく、n個のn次空間なのだというともっと多様なことが説明できる。 少し理屈っぽいが 、多分撮影者の画像表現と被写体の属性は、そんな風に幾何学的に説明できるのだろう。
 でっ、この説明に満足しましたか。何しろ画像のオブジェクトは満足稲荷神社ですから。

京都市東大路通
OLYMPUS E-PL1,15mm/F8
ISO3200,露出補正+2/3,f8.1/80
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Nikon Freak15. 藤枝で花見

2016年04月02日 | Kyoto city
 前面に桜を入れて背景はぼかし、それで若いお姉ちゃんの後ろ姿が入っていれば良し、というのが へたれなオッサンカメラマンがよく撮影するステレオタイプ化した画像だ。今日の画像は、その典型例かもしれない。桜に撮らされている。
 それで構図がとか被写界深度とか背景のボケ方がなどの蘊蓄を披露するのがオッサン達のお好きなパターンだ。京都の観光地は、そんな構図であふれている。だから人気があるんだろうけど、私にとってはそれこそが実に退屈な風景の典型だから観光地には近寄らないことにしている。
 撮影方法には二通りあって、へたれなオッサン達のように眼前に見えている景色をどう構成し、どんな機材設定で撮影するかといった構成原理的=被写体に撮らされる方法と、他方眼前に見えてはおらず意図なくシャッターを押せる状況を選び、連写してみた結果の数多くの画像の中から1枚を選択する=被写体を撮る方法とがあるだろう。肉眼ではおえない瞬間を切り取るわけだから、当然後者の方が撮影する面白さがある。
 そう考えると機材。まず前者的機材の典型が重いし操作が面倒なニコンである。でっ、これは私には不向きとなりニコンDfはロッカーへしまい込まれることになる。私の経験では、講義用の教材を撮るにはこの機材は良い仕様だが、振り回せないので面白い光景が撮れたことはない。
 そうなると後者のベストはiPhone。いつも持参していることができるというのが最大の強みである。ただし特別な設定はなにもできない。だから精々妥協してPENあたりが後者の機材として使いやすいと私は考えている。
 さて今日はPENを持参して、友人の花見の誘いに乗り藤枝市瀬戸川まで出かけた。もちろん撮影などすることもなく、料理を持ち寄り藤枝のコミュニティとの歓談だった。これぐらいの人出が調度よいな。京都を離れ、よい花見の一時だった。

京都市清水寺
NikonDf,CarlZeiss MacroPlaner 100mm/F2.0
ISO160,露出補正0,f2.1/4000
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Nikon Freak14. 年度代わりの頃

2016年04月01日 | Kyoto city
 今週は、翌日アップのブログを前日に書いている。つまり年度末の最後の日に、年度初めの1日のブログを書くというのは年度代わりの頃には少し書きにくい。
 年度が替わると事務職員も移動してゆく。今年は半分ぐらいが移動していった。 昨日は、移動する職員と継続業務の話やら餞別をいただいたりして年の変わり目を痛感していた。事務職員の移動という制度も随分不思議な制度だといつも思う。
 さて、一昨日は(話がややこしい)、時間つぶしで観光地の徘徊を余儀なくされたので、ブログにアップさせる通俗的な画像は少しストックできた。おや!、このレンズは、逆光で低彩度の少し綺麗な発色をする。例えていうならば、薄口醤油のようだとへたれなオッサンみたいな口調だ。京都の観光地は相変わらず人出が多く天気もボンヤリとしていて、私にはほとほと疲れる時間つぶしだった。
 それでもひとしきり通俗的な画像がストックできたので、ニコンDfをロッカーにしまい込んでしまった。というのも身長160cmの私には大きすぎて自由に振り回すのには力がいる。多分この機材は、身長170cm以上の人用ではなかろうかと勝手に推測している。もう少し小さい方がいいのだけどな。それにレンズ・ジレンマの泥縄にはまるのは卒業したいという気分もある。ただレンズの性能を引き出してくれる優れた機材ではある。色の設定が派手な方だから、アマチュア受けをねらってるのかな。
 最近思うに国内にはもう撮影したくなるような被写体がないように思われる。我国唯一の3000メートルの山々が連なるカール地形涸沢には何度も出かけたし、京都の街も随分徘徊した。そうなると涸沢と京都の街を両極とする線上に、その他の風景が散らばっているようでもあり、両極を堪能すれば、あとはええのとちゃうやろか。今の私が唯一ドキドキするのは水中ぐらいだ。
 21世紀に入って、活気のある市場とかアウトロー的な街といった風景がなくなり小綺麗になってしまった。そのかわりとても退屈な風景が茫漠と広がる環境なんだろう。そんな環境で、海外にでも出かけない限り被写体は少ないし、撮影機材はこれ以上はいらない。つまり狭い日本で大方の風景は撮り尽くされた。だからそんなにたくさん撮影機材が登場してどうすんだろうか。ならばもうiPhoneあたりで十分かな。今日はそんな厭世的な気分である。

京都市清水寺
NikonDf,CarlZeiss MacroPlaner 100mm/F2.0
ISO200,露出補正0,f8.1/200
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