デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

スティットとシムズが見た青空

2008-05-11 07:56:46 | Weblog
 昭和初期の世相を記した文献によると日本ジャズ・ソングのヒット第一号は、昭和3年にニ村定一が吹き込んだ「私の青空」らしい。アメリカで前年、ジーン・オースティンのレコードがミリオンセラーを記録したのをうけて、堀内敬三が訳詞したもので、妻と子どもが待つ楽しい我が家、それは天国というマイホームの歌だ。原題は「My Blue Heaven」で、「私の青空」は直訳ではあるが足取りも軽くなる歯切れの良いメロディと、心まで明るくするタイトルが、昭和の五月晴れに響き渡ったのだろう。

 「私の青空」はAABAという各8小節で成り立つ典型的なアメリカン・ポピューラー・ソングで、ビング・クロスビーをはじめ名唱は数多い。インストでは軽快なステップを踏み心を躍らせるスイング期にはほとんどのバンドがレパートリーにしており、グレン・ミラーの得意ナンバーでもあった。スイング期から活躍しているコールマン・ホーキンスやベニー・カターの名演は残されてるものの、踊るための曲というイメージが強いせいかモダン期ではあまり演奏されないが、比較的新しいところでは、65年にソニー・スティットとズート・シムズが共演した「Inter-Action」で聴ける。古い歌曲に新しい息吹を与えた演奏は、五月の新芽を宿した花が青空に向かって咲くような輝きを持つ。

 パーカー直系のインプロヴァイズに長けたスティットと、片やスタン・ケントンのフォー・ブラザーズでアンサンブルを熟知したシムズの組み合わせが妙なアルバムである。「私の青空」のテーマ部を交互に吹き分ける二人は、ソロオーダーの説明を必要としないほど明らかに違うフレージングで、同じ年代に育ったテナーマンでありながら違うスタイルは、モダン期以降の多様化を垣間見るようだ。よくありがちな同楽器のバトル物ではなく、其々自分のペースで吹くソロは互いの持ち味を尊重したもので、アルバムのタイトル通り相互作用を生み出している。違うフィールドを歩み、別の青空を見ながらも、根本にある発想は同じであり、垣根を越えてそのジャズ概念を共有しているにちがいない。

 昭和3年、西暦1928年に生まれた人は今年、傘寿を迎えられる。傘の略字が八十と読めるところから80歳のお祝いの名が付いたそうだ。80年の長き人生には幾多も傘を差す日があり、澄み切った青空を見る日もあっただろう。今見ることのできる青空を大切にしたいものだ。
コメント (18)
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