デクスター・ゴードン&ワーデル・グレイ、ジーン・アモンズ&ソニー・スティット、ジョニー・グリフィン&エディ・ロックジョー・デイヴィス、そして先週話題にしたアル&ズートのテナーサックス・チームはスタイルが同じような二人だ。バトルを売りにしているので「&」というより「VS」のほうが形も音も見えてくるかもしれない。同じ流儀の奏者による戦いは所謂「The Chase」の醍醐味を存分に楽しめる。
一方、タイプが違う組み合わせは音色や音量のコントラストの面白さがある。例えばポール・クイニシェットとチャーリー・ラウズ。まず、クイニシェット。余談だが「Quinichette」の発音しづらさはジャズマン・ナンバーワンだ。因みに次はジョージ・デュヴィヴィエの「Duvivier」、そして「きゃりーぱみゅぱみゅ」となる。さて本題、レスター・ヤングのそっくりさんでバイス・プレスのあだ名もある。勿論、繊細だ。そしてラウズ。モンク商店の番頭さんである。東海林太郎のように直立不動で逞しい音を出す。リーダー作「YEAH!」でみせた泣きのバラードは定評ある。
1957年録音の「The Chase Is On」というアルバムタイトルからはゴードンVSグレイの血を血で洗う構図が浮かんでくるが、そこは企画物らしく協調性に富んだプレイだ。クイニシェットは数か月前にコルトレーンと録音しているし、ラウズはフレンチ・ホルン奏者のジュリアス・ワトキンスとル・ジャズ・モードを結成していたのでホーン2本のセッションは慣れたものだ。聴きどころはロジャース&ハートの「This Can't Be Love」で、後半、ウィントン・ケリーのご機嫌なソロから入るチェイスはお互い一歩も譲らない。ケリが付かないので、審判のケリーがテーマに誘うスマートさをみせる。
テナーバトルはベイシー楽団の売り物の一つであり、レスター・ヤングとハーシャル・エバンスのソロの応酬は語り草になっているが、ビッグバンドの衰退とともに同一楽器のチームも減ってきた。前者の韻を踏んだソロリレーはジャズ芸術として大きな意味を持つが、豪快奔放なソロこそ本来ジャズが持っている表現であり魔力ではなかろうか。
一方、タイプが違う組み合わせは音色や音量のコントラストの面白さがある。例えばポール・クイニシェットとチャーリー・ラウズ。まず、クイニシェット。余談だが「Quinichette」の発音しづらさはジャズマン・ナンバーワンだ。因みに次はジョージ・デュヴィヴィエの「Duvivier」、そして「きゃりーぱみゅぱみゅ」となる。さて本題、レスター・ヤングのそっくりさんでバイス・プレスのあだ名もある。勿論、繊細だ。そしてラウズ。モンク商店の番頭さんである。東海林太郎のように直立不動で逞しい音を出す。リーダー作「YEAH!」でみせた泣きのバラードは定評ある。
1957年録音の「The Chase Is On」というアルバムタイトルからはゴードンVSグレイの血を血で洗う構図が浮かんでくるが、そこは企画物らしく協調性に富んだプレイだ。クイニシェットは数か月前にコルトレーンと録音しているし、ラウズはフレンチ・ホルン奏者のジュリアス・ワトキンスとル・ジャズ・モードを結成していたのでホーン2本のセッションは慣れたものだ。聴きどころはロジャース&ハートの「This Can't Be Love」で、後半、ウィントン・ケリーのご機嫌なソロから入るチェイスはお互い一歩も譲らない。ケリが付かないので、審判のケリーがテーマに誘うスマートさをみせる。
テナーバトルはベイシー楽団の売り物の一つであり、レスター・ヤングとハーシャル・エバンスのソロの応酬は語り草になっているが、ビッグバンドの衰退とともに同一楽器のチームも減ってきた。前者の韻を踏んだソロリレーはジャズ芸術として大きな意味を持つが、豪快奔放なソロこそ本来ジャズが持っている表現であり魔力ではなかろうか。