デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

野口久光氏の「Mal 4」評に半世紀後のピアノ・シーンを見た

2016-06-19 09:00:21 | Weblog
 「彼は優れたピアニストであるとともに作曲家としても有能な人物であり、クラシックの素養と作曲家的な才能がピアノ・プレイに独特の風格とスタイルをつくりあげている。非常に黒人的な一面、クラシックのピアニストのような冷晰さがあり、むしろその方に彼の個性を感じさせる。いわゆる表面的な技巧で人を驚かそうとしたり、自己陶酔的なプレイは絶対にしない」。野口久光氏がレコード芸術誌1961年3月号に寄せた新譜月評である。

 この文章だけから推測するならジョン・ルイスを思い浮かべるかもしれないが、「Mal 4」を評したものだ。意外なことに「彼の名を冠した日本での最初のLP」とある。てっきりジャズ喫茶の人気盤である「Left Alone」か、順番に「Mal 1」と思っていたが国内発売の契約や販売戦略があったのだろう。因みにベツレヘム盤は同年の8月に出ている。マル・ウォルドロンの日本デビューといえるこのアルバムだが、ピアニスト及び作曲家としてのマルを聴くならこれがベストといえる。ホーン入りはたとえリーダー作であってもプレスティッジのハウス・ピアニスト感が強いが、このアルバムはトリオだからだ。

 ベースはアートの双子の兄弟であるアディソン・ファーマーに、ドラムは1958年録音当時ナンシー・ウィルソンの旦那だったケニー・デニスという堅実なバックである。オリジナルとスタンダードを程よく配しているので初めてマルを聴こうとする方にも抵抗感はないだろう。自作ではジャッキー・マクリーンに書いた「J.M.'s Dream Doll」が格調高く、クラシックの素養を感じさせる。一方、スタンダードではハロルド・アーレンの「Get Happy」が聴きどころだ。寡黙で陰影に富んだモールス信号的奏法といわれるマルのスタイルだが、ここではアップテンポで畳みかける。ハード・バッパーの主張だろう。

 60年代初頭というとモードやフリー・ジャズが台頭してきた時代だが、野口氏が例える「表面的な技巧」と「自己陶酔的なプレイ」をするピアニストはこの当時見当たらない。今ならテクニックを抜いたらスウィングの欠片も残らないピアニストや、軟体生物のような動きで奇声を上げる自己陶酔型は存在する。野口氏は半世紀先のジャズピアノ・シーンを見据えていたのかも知れない。
コメント (9)
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