去る8月25日に亡くなったルディ・ヴァン・ゲルダーを知ったのはジャズを聴きだしてからしばらく後のことだ。ジャズの音とは迫力があるものだと最初から耳が覚えたこともあり、ミュージシャンの位置やマイクのセッティングで大きく音が変わる技術どころか録音エンジニアの存在すら知らなかった。1970年だったろうかECMというレーベルから出たピアノの音を聴いて愕然とした。クリアだがジャズの音ではない。改めてブルーノート盤のクレジットを見る。
ジャズの入り口がヴァン・ゲルダーの音でなければこのジャズ地獄に陥ってはいないだろう。蝶が舞う如く華麗な指先でタッツタラタラ~タララ-ンと逞しい音を出すリー・モーガンにバリバリバーンと頭の天辺からつま先まで一気に音が抜けるジョニー・グリフィン、キンコンガキーンカカーンと鍵盤の悲鳴が心地良いソニー・クラーク、ブンブーンブウォーンと大きく絃が撓うポール・チェンバース、そしてアート・ブレイキーのドッドッドーンドッツカーンというナイアガラ瀑布。ソロだけで圧倒されるが、それがアンサンブルで押し寄せてくる迫力ったらとても擬音で表現できるものではない。
この太い楽器の音はハイグレードなオーディオばかりでなく家庭用の手軽な機器でも体感できる。その秘密はアルフレッド・ライオンが黒人家庭で使っている安い装置でも迫力のある音で聴けるように工夫してほしいという要請があったからだ。ライオンの理念も立派なものだが、それに応えるヴァン・ゲルダーの技術の高さも相当なものといえよう。モンクはスタジオがあった地名に因んで「Hackensack」という曲で稀代の録音技師を讃えている。その日のミュージシャンの体調やライオンの意見を聞きながらテキパキとマイクの位置を決め、スタジオを動き回る様子が伝わってくる曲だ。
ヴァン・ゲルダーはブルーノートのみならずプレスティッジやサヴォイ、インパルスでも多くの録音を手掛けているので、1950年代から60年代の終わりまでにジャズを聴いた方は間違いなくこのジャズ・サウンズが入り口である。それが最高のジャズの音だとは知らずに聴いていたのだからこんなに恵まれた話はない。ジャズが一番熱かった時代の演奏を活き活きと録ったレコードは永遠の財産だ。享年91歳。RVGの刻印をそっと撫でてみる。
ジャズの入り口がヴァン・ゲルダーの音でなければこのジャズ地獄に陥ってはいないだろう。蝶が舞う如く華麗な指先でタッツタラタラ~タララ-ンと逞しい音を出すリー・モーガンにバリバリバーンと頭の天辺からつま先まで一気に音が抜けるジョニー・グリフィン、キンコンガキーンカカーンと鍵盤の悲鳴が心地良いソニー・クラーク、ブンブーンブウォーンと大きく絃が撓うポール・チェンバース、そしてアート・ブレイキーのドッドッドーンドッツカーンというナイアガラ瀑布。ソロだけで圧倒されるが、それがアンサンブルで押し寄せてくる迫力ったらとても擬音で表現できるものではない。
この太い楽器の音はハイグレードなオーディオばかりでなく家庭用の手軽な機器でも体感できる。その秘密はアルフレッド・ライオンが黒人家庭で使っている安い装置でも迫力のある音で聴けるように工夫してほしいという要請があったからだ。ライオンの理念も立派なものだが、それに応えるヴァン・ゲルダーの技術の高さも相当なものといえよう。モンクはスタジオがあった地名に因んで「Hackensack」という曲で稀代の録音技師を讃えている。その日のミュージシャンの体調やライオンの意見を聞きながらテキパキとマイクの位置を決め、スタジオを動き回る様子が伝わってくる曲だ。
ヴァン・ゲルダーはブルーノートのみならずプレスティッジやサヴォイ、インパルスでも多くの録音を手掛けているので、1950年代から60年代の終わりまでにジャズを聴いた方は間違いなくこのジャズ・サウンズが入り口である。それが最高のジャズの音だとは知らずに聴いていたのだからこんなに恵まれた話はない。ジャズが一番熱かった時代の演奏を活き活きと録ったレコードは永遠の財産だ。享年91歳。RVGの刻印をそっと撫でてみる。