「日々の泡」や「赤い草」等、前衛的な作品で知られるフランスの作家、ボリス・ヴィアンはその著書「サン・ジェルマン・デ・プレ入門」で、サン・ジェルマンの歴史、町並み、穴倉と呼ばれた酒場、そこの住人や常連の横顔を紹介している。サルトルやジャン・コクトー、ジャン・ジェネ、ジュリエット・グレコ、という著名人から街角の変なおじさんまで、生き生きした横顔は実存主義やパリ芸術のエネルギーの胎動をみるようだ。
ジャズ・トランペッターとしても活躍したヴィアンは、デ・プレの一角にある48年に開店したクラブ・サン・ジェルマンにふれ、同年のエリントン・コンサートや多くのライブの熱狂ぶりを伝えている。開店から10年目に当たる58年にこのクラブでコンサートを開いたのはアート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズだ。54年にグループが誕生してから度々メンバーが入れ替わったが、このときはフロントにリー・モーガンとベニー・ゴルソンを配し、リズムはボビー・ティモンズのピアノとジミー・メリットのベースで、これ以上はないというファンキーな音が出ていた。それはメッセンジャーズの黄金時代であり、またモダンジャズが最も輝いていた時代でもあったろう。
ビル・ハードマンの「ポライトリー」で幕を開け、ゴルソンの「ウィスパー・ノット」、パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」と続き、「モーニン・ウイズ・ヘイゼル」と呼ばれる伝説的なティモンズのソロが始まる。客席にいた女流ピアニストのヘイゼル・スコットが感極まり「Oh Lord have mercy!」と叫ぶ声がキャッチされた「モーニン」の名演だ。そして圧巻はパリ在住のケニー・クラークとドラム・バトルを繰り広げた「チュニジアの夜」で、クラークの洗練されたドラミングに負けじとブレーキーのナイアガラ瀑布と称された得意のロールが入り、観客の熱狂も頂点に達する。チュニジアの夜は相当に暑いそうがだ、サン・ジェルマンの夜はまだ熱かった。
ヴィアンの入門書ははかなり分厚いが、多くの写真と、事実と神話がシンクロする絶妙な筆致でデ・プレにいるかのような錯覚さえ覚える生きた入門書だ。メッセンジャーズのサン・ジェルマン・ライブ盤は、レコードにして3枚に及ぶが、演奏された曲、めくるめく熱いソロ、ブレーキーのメンバーを鼓舞し、聴衆をも興奮させるドラム、どれをとってもファンキージャズの入門アルバムとして相応しいものであり、それは永遠のバイブルでもある。
ジャズ・トランペッターとしても活躍したヴィアンは、デ・プレの一角にある48年に開店したクラブ・サン・ジェルマンにふれ、同年のエリントン・コンサートや多くのライブの熱狂ぶりを伝えている。開店から10年目に当たる58年にこのクラブでコンサートを開いたのはアート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズだ。54年にグループが誕生してから度々メンバーが入れ替わったが、このときはフロントにリー・モーガンとベニー・ゴルソンを配し、リズムはボビー・ティモンズのピアノとジミー・メリットのベースで、これ以上はないというファンキーな音が出ていた。それはメッセンジャーズの黄金時代であり、またモダンジャズが最も輝いていた時代でもあったろう。
ビル・ハードマンの「ポライトリー」で幕を開け、ゴルソンの「ウィスパー・ノット」、パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」と続き、「モーニン・ウイズ・ヘイゼル」と呼ばれる伝説的なティモンズのソロが始まる。客席にいた女流ピアニストのヘイゼル・スコットが感極まり「Oh Lord have mercy!」と叫ぶ声がキャッチされた「モーニン」の名演だ。そして圧巻はパリ在住のケニー・クラークとドラム・バトルを繰り広げた「チュニジアの夜」で、クラークの洗練されたドラミングに負けじとブレーキーのナイアガラ瀑布と称された得意のロールが入り、観客の熱狂も頂点に達する。チュニジアの夜は相当に暑いそうがだ、サン・ジェルマンの夜はまだ熱かった。
ヴィアンの入門書ははかなり分厚いが、多くの写真と、事実と神話がシンクロする絶妙な筆致でデ・プレにいるかのような錯覚さえ覚える生きた入門書だ。メッセンジャーズのサン・ジェルマン・ライブ盤は、レコードにして3枚に及ぶが、演奏された曲、めくるめく熱いソロ、ブレーキーのメンバーを鼓舞し、聴衆をも興奮させるドラム、どれをとってもファンキージャズの入門アルバムとして相応しいものであり、それは永遠のバイブルでもある。