デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

平岡正明氏と至上の愛と前衛と

2009-07-19 08:43:35 | Weblog
 「前衛ジャズを理解することは前衛ジャズ・ミュージシァンの生活を理解することである。(中略)前衛ジャズメンは生活の総量のほんのわずかしか記録していないし、インサイダー・ジャズメンの方からも、演奏の長時間化という線にそってレコードをはみだしてきている。その典型例がジョン・コルトレーンである。」 9日に亡くなった評論家、平岡正明氏の「ジャズ宣言」の一節で、ジャズ批評誌創刊号に寄せられたものだ。

 今となっては67年当時の前衛ジャズという表現は懐かしい響きだが、前衛ジャズがジャズ史に大きな足跡を残し、その後のジャズシーンにも多大な影響を与えることになる。氏はコルトレーンに触れ、「彼は演奏のうえに自己史をもっている。『至上の愛』一枚をもってしても、彼のジャズ的自伝を手に入れることができる。」と。「至上の愛」は承認、決意、追求、賛美の4パートから構成される組曲で、神に捧げた作品だ。66年に来日したとき、記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか」という質問に対し、「私は聖者になりたい」と答えたというコルトレーンが聖者に近づいた大作である。

 「至上の愛」の吹き込みは64年12月で、この年は4月に録音した「クレッセント」とこのアルバムだけしか録音されていない。8箇月の期間をかけてカバラの書物の影響を受けて作曲したといわれる神がかった曲からは、この作品に費やしたエネルギーと、全精力を投入したレギュラー・カルテットの渾身の演奏からも伝わってくる。通常、ジャズ喫茶ではレコードの片面しかかけないが、この作品に限っては両面通してかけるのが常であった。レコード両面に深く刻まれた組曲は、このあと「アセンション」で変転するコルトレーンにとって、プレスティッジ、アトランティック、インパルスに残したそれまでの作品の集大成ともいえるもので、平岡氏の言われる「ジャズ的自伝」という符号に見事に一致するだろう。

 平岡氏の著書は、「ジャズより他に神はなし」、「マリリン・モンローはプロパガンダである」、「山口百恵は菩薩である」、「大落語」、最後の作品になった「昭和マンガ家伝説」と多岐に亘っている。前衛は本来、軍事用語で「最前線」の意だが、現状に対して変革を志向し、時代の先端に立とうとするような立場や姿勢のことをいう。100冊を越える著作はどのジャンルに於いても時代の先端を行っていた。享年68歳。合掌。
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