アポロ11号が人類初の月面着陸を果たした1969年は、音楽界が大きく変貌を遂げた年だった。ジャズ界ではマイルスが70年代の方向性を決定付けたといえる「Bitches Brew」を発表し、ロック界もまたアル・クーパーを中心に結成されたブラッド・スエット&ティアーズが、ブラス・ロックという新しいスタイルを打ち出す。この年にグラミー賞の最優秀アルバムを受賞した第2作「Blood, Sweat & Tears」にランディー・ブレッカーと交代するように参加したのは・・・
ルー・ソロフである。にわかに名前が知られるようになったのはマンハッタン・ジャズ・クインテットのメンバーとしてだが、音楽キャリアは長い。73年に先のバンドを抜けたあと、スタジオ・ミュージシャンとして多くの仕事をするとともに、ギル・エヴァンスのマンディ・ナイト・オーケストラに参加して腕を磨いたトランペッターだ。ソロフもデビュー当時はスタープレイヤーを目指していたのだろうが、実力はあっても誰もがスターになれるわけではない。大きく音楽が変わる混沌とした時代に一本の音楽性を見出すのは容易ではないし、況してどのジャンルでも器用にこなすプレイヤーはなおさらである。そんな器用貧乏に親近感を覚える。
数枚あるリーダー作でも「With A Song In My Heart」は、タイトルの如く長い音楽生活で培ってきた愛すべき曲が収められていて、ソロフの音楽観も伝わってくる傑作だ。チャイコフスキーのアンダンティーノや映画リオ・ブラボーの主題曲、テレビの深夜劇場のテーマとして知られるユベール・ジローの「夜は恋人」といった幅広い選曲は、ソロフのフィールドの広さと、ジャンルにこだわらない活動を垣間見ることができる。そしてトップに収められているのは、ハロルド・アーレンの名作「カム・レイン・オア・カム・シャイン」で、よくコントロールされたミュートが美しい。その美しさは声がかかれば降っても晴れても気軽に出かけ、その場で最上の演奏をした血と汗と涙の結晶かもしれない。
1969年は音楽界のみならず映画界もボーイ・ミーツ・ガール・ストリーから脱却して、アカデミー賞を受賞した「真夜中のカーボーイ」をはじめ「イージー・ライダー」や「ジョンとメリー」といったニュー・アメリカン・シネマが台頭した年でもある。音楽も映画も革新という大きなエネルギーが一気に噴出し、今新しいことは勿論だが10年後も新しい作品を創造していたのだろう。この年の映画「明日に向かって撃て!」というタイトルがその全てを語っているようだ。
ルー・ソロフである。にわかに名前が知られるようになったのはマンハッタン・ジャズ・クインテットのメンバーとしてだが、音楽キャリアは長い。73年に先のバンドを抜けたあと、スタジオ・ミュージシャンとして多くの仕事をするとともに、ギル・エヴァンスのマンディ・ナイト・オーケストラに参加して腕を磨いたトランペッターだ。ソロフもデビュー当時はスタープレイヤーを目指していたのだろうが、実力はあっても誰もがスターになれるわけではない。大きく音楽が変わる混沌とした時代に一本の音楽性を見出すのは容易ではないし、況してどのジャンルでも器用にこなすプレイヤーはなおさらである。そんな器用貧乏に親近感を覚える。
数枚あるリーダー作でも「With A Song In My Heart」は、タイトルの如く長い音楽生活で培ってきた愛すべき曲が収められていて、ソロフの音楽観も伝わってくる傑作だ。チャイコフスキーのアンダンティーノや映画リオ・ブラボーの主題曲、テレビの深夜劇場のテーマとして知られるユベール・ジローの「夜は恋人」といった幅広い選曲は、ソロフのフィールドの広さと、ジャンルにこだわらない活動を垣間見ることができる。そしてトップに収められているのは、ハロルド・アーレンの名作「カム・レイン・オア・カム・シャイン」で、よくコントロールされたミュートが美しい。その美しさは声がかかれば降っても晴れても気軽に出かけ、その場で最上の演奏をした血と汗と涙の結晶かもしれない。
1969年は音楽界のみならず映画界もボーイ・ミーツ・ガール・ストリーから脱却して、アカデミー賞を受賞した「真夜中のカーボーイ」をはじめ「イージー・ライダー」や「ジョンとメリー」といったニュー・アメリカン・シネマが台頭した年でもある。音楽も映画も革新という大きなエネルギーが一気に噴出し、今新しいことは勿論だが10年後も新しい作品を創造していたのだろう。この年の映画「明日に向かって撃て!」というタイトルがその全てを語っているようだ。