この「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」の出だしを聴くとほとんどの方はコルトレーンと思うだろう。しばらく聴く進むとどこか違うことに気付き、コルトレーン・ファンならまず思い付くのは未発表音源か?という疑問だが、ライブ音源ならまだしもスタジオ録音となると「ソウル・トレーン」しかないはずだ。では、別テイクか?と推理を巡らせてみても合い間に入るピアノはガーランドのそれとは違う。
よく歌い、運指もスムーズなのでコルトレーン研究家のアンドリュー・ホワイトではない。では誰か?ファラオ・サンダースである。60年代後半から70年代にかけてのインパルスやストラタ・イーストの諸作を聴き慣れた耳にそれは別人にしか聴こえないが、日本の企画とサンダースの年齢、そしてジャズを取り巻く現状況と重ねると、これも宜なるかなと納得してしまう。この曲はビリー・エクスタインが自らのバリトン・ヴォイスを売りにするため書き下ろした傑作だが、コルトレーンが取り上げたことにより一躍有名になったバラードで、度々ライブで演奏したコルトレーンの変遷を知る上で重要視されている。
サンダースが師であるコルトレーンの重要なレパートリーを取り上げても何ら不思議はないし、その演奏内容が似ていても驚くことではないが、注目すべきはコルトレーンのプレスティッジ時代の演奏手法だろう。アルバムタイトルの「The Creator Has A Master Plan」は、サンダースの傑作と評される「Karma」からの一曲で、こちらは再演とはいえ嘗ての湧き立つリズムとアヴァンギャルドな手法で健在振りをアピールしているので、当然この曲にしてもその展開が自然なのだが、敢えて初期のスタイルに倣ったのはコルトレーンの原点に回帰しようとする試みだったのかもしれない。
コルトレーン初期のバラード・プレイはマイルスが絶賛したほど素晴らしいだけに、手本とするプレイヤーは数多く存在するが、その精神性には誰一人として近づけなかった。唯一人、受け継いだのは後期のコルトレーンと行動を共にしたサンダースである。この曲があまりに似ているのは単なる模倣ではなく、師の精神性までをも表現しているからなのだろう。アルバート・アイラーはトレーンが父なら、ファラオが子だと評した。
よく歌い、運指もスムーズなのでコルトレーン研究家のアンドリュー・ホワイトではない。では誰か?ファラオ・サンダースである。60年代後半から70年代にかけてのインパルスやストラタ・イーストの諸作を聴き慣れた耳にそれは別人にしか聴こえないが、日本の企画とサンダースの年齢、そしてジャズを取り巻く現状況と重ねると、これも宜なるかなと納得してしまう。この曲はビリー・エクスタインが自らのバリトン・ヴォイスを売りにするため書き下ろした傑作だが、コルトレーンが取り上げたことにより一躍有名になったバラードで、度々ライブで演奏したコルトレーンの変遷を知る上で重要視されている。
サンダースが師であるコルトレーンの重要なレパートリーを取り上げても何ら不思議はないし、その演奏内容が似ていても驚くことではないが、注目すべきはコルトレーンのプレスティッジ時代の演奏手法だろう。アルバムタイトルの「The Creator Has A Master Plan」は、サンダースの傑作と評される「Karma」からの一曲で、こちらは再演とはいえ嘗ての湧き立つリズムとアヴァンギャルドな手法で健在振りをアピールしているので、当然この曲にしてもその展開が自然なのだが、敢えて初期のスタイルに倣ったのはコルトレーンの原点に回帰しようとする試みだったのかもしれない。
コルトレーン初期のバラード・プレイはマイルスが絶賛したほど素晴らしいだけに、手本とするプレイヤーは数多く存在するが、その精神性には誰一人として近づけなかった。唯一人、受け継いだのは後期のコルトレーンと行動を共にしたサンダースである。この曲があまりに似ているのは単なる模倣ではなく、師の精神性までをも表現しているからなのだろう。アルバート・アイラーはトレーンが父なら、ファラオが子だと評した。