デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ビヴァリー・ケニーとヒュー・ヘフナー

2015-10-18 09:01:03 | Weblog
 先週、米プレイボーイ誌が看板だった女性のヌードグラビア掲載を取りやめるというニュースが飛び込んできた。インターネットでヌードが簡単に見られるようになり、発行部数が落ちたことによる方針転換のようだ。今は手に取ることもなくなったが、若いころは小生同様ベッドの下に隠していた方もおられよう。売りはプレイメイトと呼ばれるヌードモデルで、毎月毎月ナイスバディの美女を集めてくるものだと感心した。

同誌はウサギをデザインしたロゴで有名だが、これはウサギの性欲が異常に強いからという。なるほどの符合だ。因みにオーナーのヒュー・ヘフナーもウサギ並みで、ベッドを共にした女性の数は1000人以上というから驚く。当然美女ばかりだから羨ましい限りだ。それはさておき、ウサギのジャケットといえばビヴァリー・ケニーの「Sings For Playboys」がある。ルーストで3枚リリースしてからデッカに移籍した1957年と58年に録音されたアルバムだ。奇しくもケニーとヘフナーがテレビで共演している。リリースとテレビ放映はどちらが先かわからないが相乗効果は間違いない。

 ちょっと舌っ足らずで男性の腕にからめるような甘い声がくすぐる。エリス・ラーキンスのピアノとジョー・ベンジャミンのベースだけというバックなので、このようなタイプのシンガーを聴くには最高の編成といっていい。アルバムタイトルの如く世のプレイボーイがメロメロになるような選曲で、なかでも一発悩殺は「Try A Little Tenderness」だ。ヴァースからささやくように歌い出し、コーラスに入ってもグッと感情を抑えている。曲におぼれず自身をコントロールするあたりはお見事。美女に「ちょっぴり優しくしてね」なんて歌われようものならプレイボーイでなくてもその気になるだろう。

プレイボーイ誌の創刊は1953年だ。最初のカバーガールはマリリン・モンローで、あの有名なヌードが掲載されている。外国も日本も男性誌にヌードグラビアが当たり前になったのはこれに端を発する。多くの雑誌が創刊されては消えてゆく時代に60年以上も発刊しているのは驚異だが、ヌードがなくても生き延びることができるだろう。プレイボーイ誌のヌードはほんの一部で多くのサブカルチャーが詰まっている。
コメント (8)
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