コタツ評論

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派閥の終焉

2005-09-15 12:37:25 | ノンジャンル
自民党の各派閥こそが野党だった。その派閥が外在化したのが民主党だった。
先の衆院選までは派閥の均衡と力学がまだ生きていた。政権交代が可能な2大政党制を唱えるうちに、本当にそうなるかもと誤認した民主党は、言霊の罠にはまってしまった。かつて、自民党には政権交代が可能な派閥が5つはあった。小泉は党内に改革反対派という敵を作り出し、争点の上で野党を無効化する「手法」をとってきた、と小泉流のめくらましのように論評されることが多い。だが、「政権交代が可能な」政治勢力は自民党各派閥以外になかったことは自明。それを熟知しているから、新聞をはじめとするマスコミは政策記事ではなく、「参院ドン・青木」の動向など政局記事をもっぱらとしてきた。また基本的な政策のほとんどはアメリカから下げ渡されるのだから、本当の政策論(是非論)はできないということもあった。それでも、国会以上の実質的な議論のテーブルであった委員会やそれ以前の党内や役所内などの会議における議論は、有力派閥によって確保されていた。少なくともこうした議論の多様性はすでに失われた。多様性の確保を民主主義の重要な要件に数え上げるなら、2大政党制より、自民党の派閥政治のほうがより民主的といえよう。そして、小泉の正面敵が一貫として派閥であったとすれば、与党内の野党である派閥を「ぶっこわす」ことによって、いみじくも今回の選挙で「国民投票」といったように、直接選挙制による実質的な大統領制に移行するのがその目的と考えられる。政治権力の構造を変えるというその狙いは自公300超議席によってなかば達成された。しかし、後の半分。日本の民主主義の形を変えて、その先にどんなグランドデザインを小泉が描いているのか、まったく不明だ。小泉には何もないのかもしれない。次の「大統領」にバトンタッチするのが使命と割り切っているのかもしれない。