ネットの知人間にも評判がよろしいですな。よかった、という人に観もしないうちからケチつける気はない。ないが、原作漫画や映画はさておいて、あの時代をいささかでもよかったと回顧することには、やはり何がしか違和感を感じる。
あの頃に書かれた、歌われた歌ではないが、三上寛の「夢は夜ひらく」の一節が脳内にこだまする。
八百屋の隅で泣いていた/子どもを背負った泥棒よ/キャベツひとつ盗むのに涙はいらないぜ/
違和感よりもっと強い苛立ちをプロジェクトバツにもときどき感じた。日本初の高層ビル霞ヶ関ビル建設の巻などに。
三丁目の夕日の頃、早熟であった俺は、駄菓子屋の婆さんにその日読んだ新聞記事を話してやるのを日課にしていた時期があった。いまでも覚えている。北海道や九州の炭坑の落盤事故で毎週のように何十人もの坑夫が死んだ。
また、工事現場で東北からの出稼ぎ農民が何人も死んだ記事も毎週のように載っていた。会社からの見舞金が1人50万円という安さに驚いた覚えがある。いまから思えば、凄まじいインフレの時代だったのに人命だけは安かったのだ。
菓子屋の婆さんは、記事を読んで口を尖らせて怒ったり、悲しんだりする俺を、「よく読めたねえ、賢い子だねえ」とニコニコ褒めてくれたが、俺の方は啓蒙し甲斐のない年寄りだとしばらくして新聞の朗読は止めてしまった。
いまも、手取り12、3万円で東京一人暮らしのケーキ屋の店員はいるし、時給600円で働く掃除のおばさんもいる、田舎に行けば、一家の大黒柱の稼ぎが20万そこそこ。
北海道の酪農農家なら、夫婦2人で朝星夜星仰いで働き年収400百万。父ちゃんは40代にしてすでに腰が曲がっている。三沢基地から飛来する米軍機の演習の轟音で牛の乳の出が止まるのは天災みたいなものか。
東京の住宅地を昼間訪ねてごらん。ジジババしかいないか、まるで空き家。オヤジは会社でサービス残業、子どもは塾、カアチャンは住宅ローンを払うためにパート。人が住まず憩わず、手入れしない家は寂れる。パリ郊外は燃えているそうだ。1週間も続けば暴動ではなく蜂起だな。
あの頃に書かれた、歌われた歌ではないが、三上寛の「夢は夜ひらく」の一節が脳内にこだまする。
八百屋の隅で泣いていた/子どもを背負った泥棒よ/キャベツひとつ盗むのに涙はいらないぜ/
違和感よりもっと強い苛立ちをプロジェクトバツにもときどき感じた。日本初の高層ビル霞ヶ関ビル建設の巻などに。
三丁目の夕日の頃、早熟であった俺は、駄菓子屋の婆さんにその日読んだ新聞記事を話してやるのを日課にしていた時期があった。いまでも覚えている。北海道や九州の炭坑の落盤事故で毎週のように何十人もの坑夫が死んだ。
また、工事現場で東北からの出稼ぎ農民が何人も死んだ記事も毎週のように載っていた。会社からの見舞金が1人50万円という安さに驚いた覚えがある。いまから思えば、凄まじいインフレの時代だったのに人命だけは安かったのだ。
菓子屋の婆さんは、記事を読んで口を尖らせて怒ったり、悲しんだりする俺を、「よく読めたねえ、賢い子だねえ」とニコニコ褒めてくれたが、俺の方は啓蒙し甲斐のない年寄りだとしばらくして新聞の朗読は止めてしまった。
いまも、手取り12、3万円で東京一人暮らしのケーキ屋の店員はいるし、時給600円で働く掃除のおばさんもいる、田舎に行けば、一家の大黒柱の稼ぎが20万そこそこ。
北海道の酪農農家なら、夫婦2人で朝星夜星仰いで働き年収400百万。父ちゃんは40代にしてすでに腰が曲がっている。三沢基地から飛来する米軍機の演習の轟音で牛の乳の出が止まるのは天災みたいなものか。
東京の住宅地を昼間訪ねてごらん。ジジババしかいないか、まるで空き家。オヤジは会社でサービス残業、子どもは塾、カアチャンは住宅ローンを払うためにパート。人が住まず憩わず、手入れしない家は寂れる。パリ郊外は燃えているそうだ。1週間も続けば暴動ではなく蜂起だな。