コタツ評論

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父親たちの星条旗

2007-05-21 00:06:31 | ノンジャンル
佳作である。情けないことに、このアメリカ視点の「硫黄島映画」には感情が高ぶった。硫黄島で闘ったアメリカの若い兵士たちが、自分の友だちであるかのように感情移入できた。しかるに、『硫黄島からの手紙』の日本軍将兵は、今日のTV画像に見る北朝鮮の軍事パレードの将兵のように、異様で遠い人たちに思えた。北朝鮮は、日本帝国主義の亜流ではないか。いったい俺は何人なのだろう。そして、いったい何人でなければならないのだろう。困った硫黄島2部作であった。

アメリカの対イラク戦争がこの映画の背景とすれば、手榴弾で玉砕自爆する日本兵はイラク反米派に擬せられるが、「アメリカの敵」も彼らの国家や民族を守るために必死に闘っているだけだといいたいのかもしれない。そして、かつては「異様で遠い人間たち」と思えたジャップも、いまではアメリカの同盟国であり友人であると。ならば、硫黄島の日本兵の奮闘や栗林中将の武士道はどうでもいいわけで、かつてブッシュが困難が予想されるイラク統治の見通しを尋ねられて、「アメリカは日本を民主化した経験がある」と胸を張った心底と通じるものだろう。

したがって、この2部作がイラク戦争への反対や厭戦気分を煽る意図があるという評価には頷けない。ただ頷けるのは、アメリカ人にとって、大日本帝国も北朝鮮もイラク反米派も、みな一様なモノクロとして見えているということだ。で、問題は俺にもそのように見えるということだ。そして、日本は違うと思おうとすると、何か後ろめたい気分になることだ。