最近ファンになったゲッツ板谷本(角川文庫)である。相変わらずおもしろい。笑える一方、率直に仕事仲間への評価も下している。悪口を書いたといわれるのを恐れないのは、売文稼業にしがみつく気はさらさらなく、いつトラックの運転手に転職してもいいと思っているか、プライバシーを切り売りする「私小説」的なエッセイストとしての覚悟からなのか、それともその両方かはわからないが、めったに読めない率直であることには間違いない。
ゲッツ板谷の「姐さん」である西原理恵子も売れているそうだが、高卒後地元で暮らして夏になると高校野球に熱狂するような、いわば下層の隣人たちをお笑いネタにしたエッセイやマンガをこの時代に好んで読む人が何万人かいるということになる。その多くは、貧乏長屋やヤンキーなどには無縁だったお坊ちゃんやお嬢ちゃんだろうし、ゲッツ板谷が少し触れているように、その一部は「オタク」たちだろうと思う。
ゲッツ板谷本に登場するセージやベッチョ、ケンちゃんや秋葉、ジョニーたちを「弥次喜多」とすれば、「オタク」は江戸時代の自称通人だろう。お坊ちゃんやお嬢ちゃんや「オタク」たちは、江戸時代と同様な「粋」をゲッツ板谷本に見出しているのかもしれない。『逝きし世の面影』を読んだせいか、江戸時代の庶民とはどんな人たちだっただろうかとつい考えてしまう。弥次喜多が実はホモダチで、そのくせ女と金ににだらしなくというバカっぷりを知ると、そのままゲッツ板谷の家族や友人たちに当てはまってしまうのだ。
本歌取りをみるまでもなく、「粋」とは自意識を消した双方向のパロディ精神だから、「一貫したテーマもなければ、読んで得になることは何もない」というゲッツ板谷本には、その資格があるだろう。同じ「高卒の星」である長渕剛や矢沢永吉(その伝記である『成り上がり』でデビューした糸井重里を含め)などの自意識過剰な暑苦しさを「イモ」とすれば、世代の違いを織り込んでも、「役立たず」を笑って楽しむゲッツ板谷には洗練がある。
俺が蒲田育ちというだけでなく、しょせん明治になって近代化が接ぎ木された日本では、江戸時代の下層文化は残っても、上層文化は育たなかったといえるのかもしれない。弥次喜多のような人物は、古今東西居ただろうが、そうした人物を花鳥風月と同様に愛でる庶民文化が残っているのは珍しいのではないか。
『葉隠れ』は実は武士道を否定した書だという批評を最近読んだが、もしかすると『粋の構造』も的はずれなのかもしれないと思った。「粋」とは、破滅的な衝動を抱えるがゆえに、瞬間の生命力に溢れ、自らを裏返して世間を捉える無頼ではないか、ゲッツ板谷を読むとそんな直感に思えてくる。
わけがわからないことを書いたが、こんな賢しらな感想はゲッツ板谷は嫌うだろうし、野暮であることは間違いない。しかし、青少年向けの優良図書として推薦したい本である。
ゲッツ板谷の「姐さん」である西原理恵子も売れているそうだが、高卒後地元で暮らして夏になると高校野球に熱狂するような、いわば下層の隣人たちをお笑いネタにしたエッセイやマンガをこの時代に好んで読む人が何万人かいるということになる。その多くは、貧乏長屋やヤンキーなどには無縁だったお坊ちゃんやお嬢ちゃんだろうし、ゲッツ板谷が少し触れているように、その一部は「オタク」たちだろうと思う。
ゲッツ板谷本に登場するセージやベッチョ、ケンちゃんや秋葉、ジョニーたちを「弥次喜多」とすれば、「オタク」は江戸時代の自称通人だろう。お坊ちゃんやお嬢ちゃんや「オタク」たちは、江戸時代と同様な「粋」をゲッツ板谷本に見出しているのかもしれない。『逝きし世の面影』を読んだせいか、江戸時代の庶民とはどんな人たちだっただろうかとつい考えてしまう。弥次喜多が実はホモダチで、そのくせ女と金ににだらしなくというバカっぷりを知ると、そのままゲッツ板谷の家族や友人たちに当てはまってしまうのだ。
本歌取りをみるまでもなく、「粋」とは自意識を消した双方向のパロディ精神だから、「一貫したテーマもなければ、読んで得になることは何もない」というゲッツ板谷本には、その資格があるだろう。同じ「高卒の星」である長渕剛や矢沢永吉(その伝記である『成り上がり』でデビューした糸井重里を含め)などの自意識過剰な暑苦しさを「イモ」とすれば、世代の違いを織り込んでも、「役立たず」を笑って楽しむゲッツ板谷には洗練がある。
俺が蒲田育ちというだけでなく、しょせん明治になって近代化が接ぎ木された日本では、江戸時代の下層文化は残っても、上層文化は育たなかったといえるのかもしれない。弥次喜多のような人物は、古今東西居ただろうが、そうした人物を花鳥風月と同様に愛でる庶民文化が残っているのは珍しいのではないか。
『葉隠れ』は実は武士道を否定した書だという批評を最近読んだが、もしかすると『粋の構造』も的はずれなのかもしれないと思った。「粋」とは、破滅的な衝動を抱えるがゆえに、瞬間の生命力に溢れ、自らを裏返して世間を捉える無頼ではないか、ゲッツ板谷を読むとそんな直感に思えてくる。
わけがわからないことを書いたが、こんな賢しらな感想はゲッツ板谷は嫌うだろうし、野暮であることは間違いない。しかし、青少年向けの優良図書として推薦したい本である。