被差別の食卓(上原 善広 新潮新書)
朝日文庫や岩波新書が出しそうなタイトルと内容だが、なぜか新潮社が版元である。南砂町のブックオフの新書や文庫コーナーに3冊並んでいた。いずれもカバー真新しく、挟まれた紐しおりはト音記号のように丸まっていた。読んだ形跡ナシ。学習会にでも使ったのだろうか。
被差別部落出身の若きフリージャーナリストが、アメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパールなどの被差別民の食卓を歩いたルポだ。辺見庸の『もの食う人びと』(共同通信社 1994年)が思い浮かぶが、取材時は20代だった若者の旅らしく清新な驚きがあり、『深夜特急』(沢木 耕太郎)も思い出した。
KFCで知られるフライドチキンの発祥がソウルフードだとは、著者と同様に知らなかった。美味な胸肉や腿肉は白人のご主人様が食べ、残った手羽先や首などを小骨まで食べられるほどよく揚げた(Deep Fly)ものが、黒人奴隷の家庭料理だったのだ。また白人は食べなかったナマズ(Cat Fish)を揚げた料理も、ナマズ養殖産業が盛んなほど、いまやポピュラーな南部料理なっているそうだ。
俺もブラジルはサンパウロで食べた、豚の耳や鼻、内臓を豆と一緒に煮込んだ濃厚なスープ料理のフェジョアーダも同様に、今日では代表的なブラジル料理のひとつとなっている。一般には普及しなかったが、日本の被差別部落でも、著者が食べて育ったビーフジャーキーと似たサイボシや牛肉の腸を油で揚げたアブラカスなどが生まれ、いまも食べられているという。
一方、ブルガリアのロマ(ジプシー)のハリネズミ料理の肉はゴムのように固く臭く、死馬牛の処理をするネパールの不可触賤民サルキの牛肉料理は血抜きが不十分で、著者には不味かったようだ。支配層が食べないものや捨てる部位から、過酷な肉体労働に耐える栄養豊かで美味な対抗的な食文化として、「被差別民の抵抗的余り物料理」が生まれてきたのではないか。そんな著者の仮説は、自身の味覚によってあっさり覆される。
被差別民が余り物や残り物を食べてきた事実は裏づけられたが、ロマやサルキの食物に食文化といえるほどの豊かさを感じられなかったのだ。そこで、食そのものではなく、食卓を囲む人たちへ照準を移して、著者は都市の廃墟や村を訪ね歩き、古老や若者、子どもたちへインタビューを試みる。ピンボールマシンのボールのように、あちこちにぶつかりながら、思いもかけぬ方向に著者の心は転がっていく。その取材の過程に読みでがある。
爆撃で廃墟となったビルに住むイラクのロマは、排泄物の溜まった部屋の隣室に瀕死の病人を寝かせておく不衛生に平気だった。ヒンドゥー教のネパールで禁忌とされる死馬牛の処理をする不可触賤民サルキは、穢れたもののように、といった比喩ではなく、穢れたものとして凄まじい差別を受けていた。やっと会えたサルキは、「差別されるから」と牛食を止め、サルキというカースト名も変えていた。想像以上の貧困と差別を眼前にして、同じ被差別の出自ながら、豊かな日本の若者に過ぎない著者は苛立つ。
それでも、「自分は日本のロマである」という被差別者の名乗りはそれなりの効果を上げ、家内に入り食事をともにすることはできた。さらに被差別民同士の連帯を期待する著者だが、人々は無表情にして無口で、口を開いたとしても率直に語るどころか、ときに平気で嘘をつくのに悩まされる。意外にもイラクのロマはフセイン政権を心から懐かしんでいた。ロマを定住させ、周辺住民から襲われぬよう定住地にフェンスと護衛を立てて、庇護したからだという。
ロマやサルキを前にして、予断が覆され仮説が通用しなかったとき、その落胆と困惑を抱えて著者が立ち尽くしてからが、この本はがぜん面白くなってくる。言い換えれば、予備知識があり文献も多いアメリカやブラジルの黒人の項は、かなり物足りない。著者がすでに知っていること、取材して新たに知ったことを、わかりやすく読者に伝えるだけならルポルタージュの仕事ではない。知らないことを知る、知るがわからない、その同時進行の追体験こそがルポを読む醍醐味だ。
「被差別民の抵抗的余り物料理」という仮説や、「一人でする解放運動」という著者のルポの位置づけは、現場では見事に挫折する。しかし、その挫折を含めて潔く著者は手の内を明らかにしていく。というより、他に書きようがなかったのかもしれない。だから、取材を終えて帰国してから脳内でつじつまを合わすことはできない。同様に、彼我にいかに隔絶があろうとも、職業としてのルポを選ばない、選ぶことはできないと著者は考える。そのぐるっと回って元に戻るところがいい。
感動的な場面はいくつもある。
ブルガリアの村にロマのハリネズミ料理をねだる。はじめは誰に聞いてもハリネズミなど食べたことがないという。そのうち伝手が見つかる。ロマは森にハリネズミを探しに行く。ほどなく1匹捕まえられ、ご馳走になることができた。村に一軒の酒場で、男たちは久しぶりのハリネズミ料理を喜び、踊り出す。写真を見ると、10人以上の男たちが、針を剥かれて少し大きなネズミほどの肉を分けて食ったとわかる。取材謝礼を払いたいと申し出る。「いや、お客だから要らない」という返事。
イラクの廃墟ビルに暮らす、乞食を生業とするロマのグループを訪ねたとき、ロマのリーダーに、「それで我々にどんな得があるのか」と問い返される。そうはいいながら、しかし、著者の返答には関心がないようだ。取材を終えて、謝礼を申し出る。ただ話を聴くだけでなく必ず食事を、それも食うや食わずの人の食物を食べるのだから当たり前の話だ。ここでも、いったんは謝絶される。しかし、重ねていうと、それならと通訳との間で、値段の交渉がはじまる。それが可笑しいと苦笑する著者。
ところが、ビルを出ようとしたところで子どもたちにつかまる。「俺たちにも金を払え」としつこくまとわりつく。腹を立てた著者が向き直り、その内の一人に、「お前は日本のロマからも金を取るのか!」と怒鳴りつける。するとその少年はポカンとし、次ぎにポケットから数ディナールの金を取り出して、著者の手に握らせようとする。今度は著者の方が驚きあわて断ると、少年は別のポケットから1本のチョコバーを取り出し、渡そうとする。
人里離れたサルキの村を訪ねる。一家の口は重い。文章で再現するほど喋らない。長男はそっぽを向いて一言も口をきかない。1000円ほどの金を置いて辞する。車を停めた所まで一時間ほどの道を歩いていると、長男が追いかけてくる。「弟や妹の鉛筆を買いに街へ行くから、車に乗せてくれ」という。先ほど置いてきた金で買うのだとわかる。長男はさらにいう。「家に村の外の人間が訪ねて来たのははじめてだ。一緒に食事をしたのもはじめてだ。本当はとても嬉しかった」と。
アメリカ南部に黒人のソウルフードを訪ねたときのこと。買い物をするために、著者はスーパーマーケットに立ち寄った。レジに並んでいると、キャッシャーの白人女性はお客の一人一人に、明るくにこやかな笑顔で、「ハロー」と声をかけていた。なるほど、これが開放的で親切な南部ホスピタリティなのかと感心して著者の番になった。「ハロー」とは言ってくれない。露骨な仏頂面をされた。郵便局の場所を訪ねたら、「通りの向こう!」と怒鳴られた。行ってみたら、案の定嘘だった。
食を求めれば、金を払わねばならない。受け取らないことも含めて、金のやりとりには人間のコミュニケーションを駆動させる力があるようだ。駆動させないときがあるとすれば、その金が「命金(いのちがね)」ではないときかもしれない。少なくとも、市場や貨幣や贈与や消費より、「プライスレス」を上位に置く根拠はない。
朝日文庫や岩波新書が出しそうなタイトルと内容だが、なぜか新潮社が版元である。南砂町のブックオフの新書や文庫コーナーに3冊並んでいた。いずれもカバー真新しく、挟まれた紐しおりはト音記号のように丸まっていた。読んだ形跡ナシ。学習会にでも使ったのだろうか。
被差別部落出身の若きフリージャーナリストが、アメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパールなどの被差別民の食卓を歩いたルポだ。辺見庸の『もの食う人びと』(共同通信社 1994年)が思い浮かぶが、取材時は20代だった若者の旅らしく清新な驚きがあり、『深夜特急』(沢木 耕太郎)も思い出した。
KFCで知られるフライドチキンの発祥がソウルフードだとは、著者と同様に知らなかった。美味な胸肉や腿肉は白人のご主人様が食べ、残った手羽先や首などを小骨まで食べられるほどよく揚げた(Deep Fly)ものが、黒人奴隷の家庭料理だったのだ。また白人は食べなかったナマズ(Cat Fish)を揚げた料理も、ナマズ養殖産業が盛んなほど、いまやポピュラーな南部料理なっているそうだ。
俺もブラジルはサンパウロで食べた、豚の耳や鼻、内臓を豆と一緒に煮込んだ濃厚なスープ料理のフェジョアーダも同様に、今日では代表的なブラジル料理のひとつとなっている。一般には普及しなかったが、日本の被差別部落でも、著者が食べて育ったビーフジャーキーと似たサイボシや牛肉の腸を油で揚げたアブラカスなどが生まれ、いまも食べられているという。
一方、ブルガリアのロマ(ジプシー)のハリネズミ料理の肉はゴムのように固く臭く、死馬牛の処理をするネパールの不可触賤民サルキの牛肉料理は血抜きが不十分で、著者には不味かったようだ。支配層が食べないものや捨てる部位から、過酷な肉体労働に耐える栄養豊かで美味な対抗的な食文化として、「被差別民の抵抗的余り物料理」が生まれてきたのではないか。そんな著者の仮説は、自身の味覚によってあっさり覆される。
被差別民が余り物や残り物を食べてきた事実は裏づけられたが、ロマやサルキの食物に食文化といえるほどの豊かさを感じられなかったのだ。そこで、食そのものではなく、食卓を囲む人たちへ照準を移して、著者は都市の廃墟や村を訪ね歩き、古老や若者、子どもたちへインタビューを試みる。ピンボールマシンのボールのように、あちこちにぶつかりながら、思いもかけぬ方向に著者の心は転がっていく。その取材の過程に読みでがある。
爆撃で廃墟となったビルに住むイラクのロマは、排泄物の溜まった部屋の隣室に瀕死の病人を寝かせておく不衛生に平気だった。ヒンドゥー教のネパールで禁忌とされる死馬牛の処理をする不可触賤民サルキは、穢れたもののように、といった比喩ではなく、穢れたものとして凄まじい差別を受けていた。やっと会えたサルキは、「差別されるから」と牛食を止め、サルキというカースト名も変えていた。想像以上の貧困と差別を眼前にして、同じ被差別の出自ながら、豊かな日本の若者に過ぎない著者は苛立つ。
それでも、「自分は日本のロマである」という被差別者の名乗りはそれなりの効果を上げ、家内に入り食事をともにすることはできた。さらに被差別民同士の連帯を期待する著者だが、人々は無表情にして無口で、口を開いたとしても率直に語るどころか、ときに平気で嘘をつくのに悩まされる。意外にもイラクのロマはフセイン政権を心から懐かしんでいた。ロマを定住させ、周辺住民から襲われぬよう定住地にフェンスと護衛を立てて、庇護したからだという。
ロマやサルキを前にして、予断が覆され仮説が通用しなかったとき、その落胆と困惑を抱えて著者が立ち尽くしてからが、この本はがぜん面白くなってくる。言い換えれば、予備知識があり文献も多いアメリカやブラジルの黒人の項は、かなり物足りない。著者がすでに知っていること、取材して新たに知ったことを、わかりやすく読者に伝えるだけならルポルタージュの仕事ではない。知らないことを知る、知るがわからない、その同時進行の追体験こそがルポを読む醍醐味だ。
「被差別民の抵抗的余り物料理」という仮説や、「一人でする解放運動」という著者のルポの位置づけは、現場では見事に挫折する。しかし、その挫折を含めて潔く著者は手の内を明らかにしていく。というより、他に書きようがなかったのかもしれない。だから、取材を終えて帰国してから脳内でつじつまを合わすことはできない。同様に、彼我にいかに隔絶があろうとも、職業としてのルポを選ばない、選ぶことはできないと著者は考える。そのぐるっと回って元に戻るところがいい。
感動的な場面はいくつもある。
ブルガリアの村にロマのハリネズミ料理をねだる。はじめは誰に聞いてもハリネズミなど食べたことがないという。そのうち伝手が見つかる。ロマは森にハリネズミを探しに行く。ほどなく1匹捕まえられ、ご馳走になることができた。村に一軒の酒場で、男たちは久しぶりのハリネズミ料理を喜び、踊り出す。写真を見ると、10人以上の男たちが、針を剥かれて少し大きなネズミほどの肉を分けて食ったとわかる。取材謝礼を払いたいと申し出る。「いや、お客だから要らない」という返事。
イラクの廃墟ビルに暮らす、乞食を生業とするロマのグループを訪ねたとき、ロマのリーダーに、「それで我々にどんな得があるのか」と問い返される。そうはいいながら、しかし、著者の返答には関心がないようだ。取材を終えて、謝礼を申し出る。ただ話を聴くだけでなく必ず食事を、それも食うや食わずの人の食物を食べるのだから当たり前の話だ。ここでも、いったんは謝絶される。しかし、重ねていうと、それならと通訳との間で、値段の交渉がはじまる。それが可笑しいと苦笑する著者。
ところが、ビルを出ようとしたところで子どもたちにつかまる。「俺たちにも金を払え」としつこくまとわりつく。腹を立てた著者が向き直り、その内の一人に、「お前は日本のロマからも金を取るのか!」と怒鳴りつける。するとその少年はポカンとし、次ぎにポケットから数ディナールの金を取り出して、著者の手に握らせようとする。今度は著者の方が驚きあわて断ると、少年は別のポケットから1本のチョコバーを取り出し、渡そうとする。
人里離れたサルキの村を訪ねる。一家の口は重い。文章で再現するほど喋らない。長男はそっぽを向いて一言も口をきかない。1000円ほどの金を置いて辞する。車を停めた所まで一時間ほどの道を歩いていると、長男が追いかけてくる。「弟や妹の鉛筆を買いに街へ行くから、車に乗せてくれ」という。先ほど置いてきた金で買うのだとわかる。長男はさらにいう。「家に村の外の人間が訪ねて来たのははじめてだ。一緒に食事をしたのもはじめてだ。本当はとても嬉しかった」と。
アメリカ南部に黒人のソウルフードを訪ねたときのこと。買い物をするために、著者はスーパーマーケットに立ち寄った。レジに並んでいると、キャッシャーの白人女性はお客の一人一人に、明るくにこやかな笑顔で、「ハロー」と声をかけていた。なるほど、これが開放的で親切な南部ホスピタリティなのかと感心して著者の番になった。「ハロー」とは言ってくれない。露骨な仏頂面をされた。郵便局の場所を訪ねたら、「通りの向こう!」と怒鳴られた。行ってみたら、案の定嘘だった。
食を求めれば、金を払わねばならない。受け取らないことも含めて、金のやりとりには人間のコミュニケーションを駆動させる力があるようだ。駆動させないときがあるとすれば、その金が「命金(いのちがね)」ではないときかもしれない。少なくとも、市場や貨幣や贈与や消費より、「プライスレス」を上位に置く根拠はない。