高橋源一郎の「世界一素敵な学校」を読んで、アメリカ・マサチューセッツ州にあるサドベリー・バリー校のことを知った。ちょうど、いま読んでいるリチャード・ドーキンスのエッセイ集『悪魔に仕える牧師』(早川書房 垂水雄二訳 2004)でも、「これこそ教育なのだ」とイギリス・ノーサンプトンシアのオーンドル校が紹介されていた。
エッセイのタイトルは、「危険な人生を生きる喜び オーンドル校のサンダーソン」。2002年に、英・ガーディアン紙に掲載された。
私の人生は最近にいたるまで教育に支配されてきた。家庭生活には、Aレベル試験の恐怖が影を落していて、私は教師たちの会議で講演するためにロンドンに逃げ出した。汽車のなかで、翌週に私の母校でおこなうことになっていた就任講義「オーンドル講義」の準備のために、H・G・ウェルズの『偉大な教師の物語-オーンドル校のサンダーソンの生涯と思想についての簡潔な解説』という有名な表題をもつ伝記を読んだ。
この本は、最初はいささか常軌を逸しているように思われる表現で始まっている。「私がある程度の親密さをもって知っている人間のなかで、彼が最も偉大な人間であることはまったく疑問の余地がない」。しかし、これに誘われて、私は、かつての生徒だつた多数の無名の人々からなる委員会(シンジケート)によって書かれた(サンダーソンは、個人の評価を求めて努力することより、協力を信じていた)公式の伝記『オ-ンドル校のサンダーソン』を読むことになった。
今や私は、ウェルズが言わんとするところを理解した。そして私は、フレデリック・ウィリアム・サンダーソン(1857~1922)がもし、私がロンドンの会議で会った教師たちから、試験の抑圧的な効果と、試験によって学校の能力を測定することへの政府の強迫観念について学んだことを知ったら、ショックを受けたことだろうと確信している。若者たちが大学に入るためにくぐり抜けなければならない反教育的な試練に、彼は仰天したことだろう。
おっかなびっくりの弁護士たちに主導されたこと細かな「安全衛生基準」や、現代教育を支配し、生徒の関心よりも先に自分たちの関心を優先させる会計士たちに主導された学校別成績一覧表を、彼はあからさまに軽蔑したことだろう。彼は、バートランド・ラッセルを引用しながら、教育において競争や「独占欲」を何かのための動機づけとすることを嫌悪した。
昔々、エライ校長先生がいた。そんな話ではない。本文中にも触れられているが、サンダーソンは著名な教育者であっても、その思想や行動については、とっくに忘れ去られていた。ドーキンスがサンダーソンについて、2002年に書いたのは、日本に先行して進む英米の「教育改革」に異議を唱えるためだった。
オーンドル校のサンダーソンは、最後には、ラグビー校のアーノルドに次ぐ最も有名な教師となったが、彼はパブリックスクールの世界に身を置くような生まれではなかった。今なら、おそらく彼は、大きな共学の、総合中等学校の校長になつていたことだろう。彼の卑しい生まれ、北方のアクセント、そして聖職位をもたないことが、一八九二年に、小さく、荒れ果てたオーンドルの町に到着したとき、彼が見いだした古典的な「教師たち(ドミニー)」との苦しい闘いをさせることになった。
最初の五年間は非常に煩わしいもので、サンダーソンは実際に、退職願いの手紙を書いている。幸いなことに、それを投函することはなかった。三〇年後に彼が死んだときには、オーンドル校の生徒数は一〇〇人から五〇〇人に増え、科学と工学に関しては、全国で最高の学校となっていて、彼は、感謝の念にあふれた何世代もの生徒や同僚から愛され、尊敬されていた。より重要なことに、サンダーソンは、今日、緊急に留意すべきひとつの教育哲学を発展させた。
サンダーソンはやはり温顔の人だったようだが、かなり激しい気性の人でもあったようだ。ドーキンスは、サンダーソンの有名な格言のひとつとして、「腹が立つとき以外は罰してはならない」を紹介している。「腹立ちまぎれに生徒を(子ども)を罰してはならない」という説得力ある戒律とは反対である。サンダーソンは少なくとも、子どもに接する教師(大人)に聖人を求めていないことがわかる。
私(サンダーソン-コタツ補足)は、「喜びに満ちた人生の秘訣は、危険な生活をおくることだ」というニーチェの意見に賛成する。喜びに満ちた人生とは積極的な人生である。それは、いわゆる幸福のような、だらだらした静的な状態のことではない。アナーキーで、革命的で、エネルギッシュで、悪魔的で、ディオニュソス的な情熱の炎が燃えたぎり、創造への怖ろしいほどの衝動に溢れるほどに満たされる。これこそが、成長と幸福のために、安全と幸福を危険にさらす人間の人生だ。
校長の発言としては激しすぎて、日本なら問題となっただろう。
彼の精神はオーンドルに生きていた。彼のすぐあとの後継者であったケネス・フィッシャーが、職員会議の議長をつとめていたとき、ドアをおずおずと叩く音がして、小さな生徒が入ってきた。「先生お願いです。ハシグロクロガラアジサシが川に来ています」。「ちょっと待っていてください」とフィッシャーは集まった職員にきっぱりと言った。彼は椅子から立ち上がり、ドアのところから双眼鏡で覗いてから、それをこの小さな鳥類学者に手渡した。そして誰しも、やさしく、血色のいい顔をしたサンダーソンの亡霊が、その後ろにたたずみ、ほほ笑んでいるという想像を禁じ得ない。そうなのだ、これこそ教育なのだ。あなたの学校別成績一覧表の統計や、事実を詰め込んだ授業概要、そして、無限につづく試験日程表などクソくらえだ。
英ガーディアン紙に掲載された原文は以下。
The joy of living dangerously
http://www.guardian.co.uk/books/2002/jul/06/schools.news
サンダーソンとオウンドル校については以下。
Frederick William Sanderson
http://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_William_Sanderson
Dockerblog: Sanderson of Oundle, my hero!http://downesmichael.blogspot.com/2008/10/sanderson-of-oundle-my-hero_09.html
Oundle School
http://www.oundleschool.org.uk/
サドベリー・バリー校やオーンドル校の「感動的な教育物語」は、少なくとも2つのことを私たちに考えさせてくれる(すぐ感化されて翻訳調になっているな)。まず、競争を強いない教育はあり得る。もうひとつは、教育にはまず教師ありき。そこで、もっとも新しい日本の教育改革案を読んでみる。
大阪府教育基本条例案の教育理念
http://osakanet.web.fc2.com/kyoikujorei.html
6.グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること
断っておくが、私は橋下徹大阪市長と「大阪維新の会」について、何か反対したいわけではない。引用したのは、この教育理念(というより教育目的だが)がごく一般的に通用しているという以外の理由からではない(もう翻訳鳥くらいになってきたな)。企業の採用パンフなどでも、よく見かける文言である(人材を商品とそのまま置換できるくらい汎通性が高い)。
ただ気になるのは、この短い文言が、明らかに世界の「グローバル化」と「国際競争」に勝ち抜くことを疑うことのない前提としていることだ。「グローバル化」に支配された世界と「国際競争」に駆り立てられている日本。そこから導き出されるのは、当然、競争に支配された教育であり、教師の熱情より、まず教育目的ありき、というものではないか。
それなら、新しくもないし、改革でもなく、「富国強兵」から「経済発展」と戦後にスローガンを代えはしたものの、ずっと続いてきたわが国の教育である。しかし、「世界標準で競争力の高い人材を育てること」ができていない。というならば、その結果を原因として、違った道を模索すべきではないかと思うのは、翻訳鳥ばかりではないはず。
サドベリー・バリー校やオーンドル校が、アイビーリーグやオックスブリッジに多数の卒業生を送り出すからではなく、「優れた教育」「成功した学校」といわれるのはなぜか。また、高橋源一郎がいうように、「教育こそ民主主義の核心」なら、子どもや教育と関係のない人にも、「教師の熱情にまかせて、競争を強いない」教育には、無関心ではいられない。
とはいえ、英文を読むのは骨が折れるし、ドーキンスが拠った公式の伝記『オ-ンドル校のサンダーソン』:Sanderson of Oundle(Catto&Windus,1926)だけでなく、サンダーソンに関する読みやすいサイト情報は多くはない。とりあえず、日本人としては、「ゆとり教育」が評価されないのはどうしてなのか? そのあたりが考える入口かもしれない。
(敬称略)
エッセイのタイトルは、「危険な人生を生きる喜び オーンドル校のサンダーソン」。2002年に、英・ガーディアン紙に掲載された。
私の人生は最近にいたるまで教育に支配されてきた。家庭生活には、Aレベル試験の恐怖が影を落していて、私は教師たちの会議で講演するためにロンドンに逃げ出した。汽車のなかで、翌週に私の母校でおこなうことになっていた就任講義「オーンドル講義」の準備のために、H・G・ウェルズの『偉大な教師の物語-オーンドル校のサンダーソンの生涯と思想についての簡潔な解説』という有名な表題をもつ伝記を読んだ。
この本は、最初はいささか常軌を逸しているように思われる表現で始まっている。「私がある程度の親密さをもって知っている人間のなかで、彼が最も偉大な人間であることはまったく疑問の余地がない」。しかし、これに誘われて、私は、かつての生徒だつた多数の無名の人々からなる委員会(シンジケート)によって書かれた(サンダーソンは、個人の評価を求めて努力することより、協力を信じていた)公式の伝記『オ-ンドル校のサンダーソン』を読むことになった。
今や私は、ウェルズが言わんとするところを理解した。そして私は、フレデリック・ウィリアム・サンダーソン(1857~1922)がもし、私がロンドンの会議で会った教師たちから、試験の抑圧的な効果と、試験によって学校の能力を測定することへの政府の強迫観念について学んだことを知ったら、ショックを受けたことだろうと確信している。若者たちが大学に入るためにくぐり抜けなければならない反教育的な試練に、彼は仰天したことだろう。
おっかなびっくりの弁護士たちに主導されたこと細かな「安全衛生基準」や、現代教育を支配し、生徒の関心よりも先に自分たちの関心を優先させる会計士たちに主導された学校別成績一覧表を、彼はあからさまに軽蔑したことだろう。彼は、バートランド・ラッセルを引用しながら、教育において競争や「独占欲」を何かのための動機づけとすることを嫌悪した。
昔々、エライ校長先生がいた。そんな話ではない。本文中にも触れられているが、サンダーソンは著名な教育者であっても、その思想や行動については、とっくに忘れ去られていた。ドーキンスがサンダーソンについて、2002年に書いたのは、日本に先行して進む英米の「教育改革」に異議を唱えるためだった。
オーンドル校のサンダーソンは、最後には、ラグビー校のアーノルドに次ぐ最も有名な教師となったが、彼はパブリックスクールの世界に身を置くような生まれではなかった。今なら、おそらく彼は、大きな共学の、総合中等学校の校長になつていたことだろう。彼の卑しい生まれ、北方のアクセント、そして聖職位をもたないことが、一八九二年に、小さく、荒れ果てたオーンドルの町に到着したとき、彼が見いだした古典的な「教師たち(ドミニー)」との苦しい闘いをさせることになった。
最初の五年間は非常に煩わしいもので、サンダーソンは実際に、退職願いの手紙を書いている。幸いなことに、それを投函することはなかった。三〇年後に彼が死んだときには、オーンドル校の生徒数は一〇〇人から五〇〇人に増え、科学と工学に関しては、全国で最高の学校となっていて、彼は、感謝の念にあふれた何世代もの生徒や同僚から愛され、尊敬されていた。より重要なことに、サンダーソンは、今日、緊急に留意すべきひとつの教育哲学を発展させた。
サンダーソンはやはり温顔の人だったようだが、かなり激しい気性の人でもあったようだ。ドーキンスは、サンダーソンの有名な格言のひとつとして、「腹が立つとき以外は罰してはならない」を紹介している。「腹立ちまぎれに生徒を(子ども)を罰してはならない」という説得力ある戒律とは反対である。サンダーソンは少なくとも、子どもに接する教師(大人)に聖人を求めていないことがわかる。
私(サンダーソン-コタツ補足)は、「喜びに満ちた人生の秘訣は、危険な生活をおくることだ」というニーチェの意見に賛成する。喜びに満ちた人生とは積極的な人生である。それは、いわゆる幸福のような、だらだらした静的な状態のことではない。アナーキーで、革命的で、エネルギッシュで、悪魔的で、ディオニュソス的な情熱の炎が燃えたぎり、創造への怖ろしいほどの衝動に溢れるほどに満たされる。これこそが、成長と幸福のために、安全と幸福を危険にさらす人間の人生だ。
校長の発言としては激しすぎて、日本なら問題となっただろう。
彼の精神はオーンドルに生きていた。彼のすぐあとの後継者であったケネス・フィッシャーが、職員会議の議長をつとめていたとき、ドアをおずおずと叩く音がして、小さな生徒が入ってきた。「先生お願いです。ハシグロクロガラアジサシが川に来ています」。「ちょっと待っていてください」とフィッシャーは集まった職員にきっぱりと言った。彼は椅子から立ち上がり、ドアのところから双眼鏡で覗いてから、それをこの小さな鳥類学者に手渡した。そして誰しも、やさしく、血色のいい顔をしたサンダーソンの亡霊が、その後ろにたたずみ、ほほ笑んでいるという想像を禁じ得ない。そうなのだ、これこそ教育なのだ。あなたの学校別成績一覧表の統計や、事実を詰め込んだ授業概要、そして、無限につづく試験日程表などクソくらえだ。
英ガーディアン紙に掲載された原文は以下。
The joy of living dangerously
http://www.guardian.co.uk/books/2002/jul/06/schools.news
サンダーソンとオウンドル校については以下。
Frederick William Sanderson
http://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_William_Sanderson
Dockerblog: Sanderson of Oundle, my hero!http://downesmichael.blogspot.com/2008/10/sanderson-of-oundle-my-hero_09.html
Oundle School
http://www.oundleschool.org.uk/
サドベリー・バリー校やオーンドル校の「感動的な教育物語」は、少なくとも2つのことを私たちに考えさせてくれる(すぐ感化されて翻訳調になっているな)。まず、競争を強いない教育はあり得る。もうひとつは、教育にはまず教師ありき。そこで、もっとも新しい日本の教育改革案を読んでみる。
大阪府教育基本条例案の教育理念
http://osakanet.web.fc2.com/kyoikujorei.html
6.グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること
断っておくが、私は橋下徹大阪市長と「大阪維新の会」について、何か反対したいわけではない。引用したのは、この教育理念(というより教育目的だが)がごく一般的に通用しているという以外の理由からではない(もう翻訳鳥くらいになってきたな)。企業の採用パンフなどでも、よく見かける文言である(人材を商品とそのまま置換できるくらい汎通性が高い)。
ただ気になるのは、この短い文言が、明らかに世界の「グローバル化」と「国際競争」に勝ち抜くことを疑うことのない前提としていることだ。「グローバル化」に支配された世界と「国際競争」に駆り立てられている日本。そこから導き出されるのは、当然、競争に支配された教育であり、教師の熱情より、まず教育目的ありき、というものではないか。
それなら、新しくもないし、改革でもなく、「富国強兵」から「経済発展」と戦後にスローガンを代えはしたものの、ずっと続いてきたわが国の教育である。しかし、「世界標準で競争力の高い人材を育てること」ができていない。というならば、その結果を原因として、違った道を模索すべきではないかと思うのは、翻訳鳥ばかりではないはず。
サドベリー・バリー校やオーンドル校が、アイビーリーグやオックスブリッジに多数の卒業生を送り出すからではなく、「優れた教育」「成功した学校」といわれるのはなぜか。また、高橋源一郎がいうように、「教育こそ民主主義の核心」なら、子どもや教育と関係のない人にも、「教師の熱情にまかせて、競争を強いない」教育には、無関心ではいられない。
とはいえ、英文を読むのは骨が折れるし、ドーキンスが拠った公式の伝記『オ-ンドル校のサンダーソン』:Sanderson of Oundle(Catto&Windus,1926)だけでなく、サンダーソンに関する読みやすいサイト情報は多くはない。とりあえず、日本人としては、「ゆとり教育」が評価されないのはどうしてなのか? そのあたりが考える入口かもしれない。
(敬称略)