アメリカ人だからこそ言いたい、この大統領選挙には納得できない
https://news.yahoo.co.jp/articles/430098f9e36802c71b7c1f6a90ed7ef987c3c077
>しかし、バイデン支持者の33%もバイデンが勝ったと思っていないという結果には、びっくりするだろう。
典拠が明らかではないので、「勝ったと思っていない」が(選挙不正によって勝った、じつは負けていた)なのか、「トランプ以外ならバイデンでもしかたない」では(勝ったとは思えない)なのか。あるいは両方の混合なのか不明だが、「勝ったと思っていない」には、強い現実味を覚えてしまう。
>同様に民主党とメディアは融着関係があるといえるのは、民主党政権が終わると、政権関係者は番組のコメンテーターか司会としてメディア界に入り、民主党政権が誕生すると、メディア界から政権に「復帰」するという「回転ドア」があることだ。
共和党と、例えば保守系と言われているFoxNewsにもその関係もあるが、民主党系のメディアの例が圧倒的に多い。
利害相反関係にあるのに、保守系人士が政界と大企業を行き来する「回転ドア」はよく知られている。たとえば、イラク戦争を主導したチェイニー副大統領と世界最大の石油掘削機販売会社ハリバートンとの関係は有名だ。だが、リベラルとされる民主党にメディアと「回転ドア」があるような癒着はほとんど知られていないはずだ。
>CNNだけではない。だが、中でもCNNがかなり酷い。読者に記憶に新しいはずだが、2016年の大統領候補討論会の際、CNNのコメンテーターであるドンナ・ブラジルはヒラリー・クリントン候補に事前に何回か質問を渡したことが大スキャンダルになり、解任させるきっかけになった。だが、コメンテーターをしながら、幹事長にあたる民主党全国委員会の臨時委員長も務めていた。
NYタイムズをはじめ、アメリカのいわゆるリベラルなジャーナリズムへの疑念や不信は、トランピストたちだけが突出しているのではなく、共和党支持の穏健な保守派の間でももはや常識化しているようだ。
それはともかく、日本のジャーナリズムと比べて、「事前に何回か質問を渡したことが大スキャンダル」になるのに、驚いた。日本の場合、記者会見で事前に首相や官房長官などに記者が質問内容を出すのは、ほとんど「ルール化」しているからだ。
>「事前に質問をもらうのは、民主党の候補者のみならず、バイデン政権もそうしているとの報道がある。ホワイト・ハウスは、自らに近いメディアの関係者に「タフな質問」について事前に問い合わせている。アメリカのメディアは政府に対してチェック機能は果たしていない。むしろプロパガンダを手伝っている。」
最近は、菅政権の「パンケーキ朝食会」だが、安倍政権では番記者やメディア幹部との会食という場で、政権側が「情報収集」し、メディア側が「取材」するというアメリカでいえば、「癒着大スキャンダル」が「職務の一環」として日常的に行われていた。
新聞やTVの番記者や幹部に、「プロパガンダを手伝っている」といえば、色をなして怒り出すならまだしも、たぶん冷笑が返ってくるだけだろう。
筆者は既存メディアをはるかに情報量で凌駕するグーグルやフェイスブックなどのSNSやIT企業が、情報を統制し、支配する近未来を恐れている。「リベラルなデジタル監視社会」である。そのとき、世界でもっとも遅れをとるという形で「抵抗」するのは、「アナクロなアナログ忖度社会」を徹底させた日本だろう。
学生時代、友人たちとかの有名な「イージーライダー」のリバイバル上映を観に行ったことがある。観終わった後、友人たちはもちろん肯定的な評価を語った。私は、「これじゃ、ニューヨークタイムスだけが正義だみたいな世界じゃないか」と不満を漏らして、友人たちの失笑を買った記憶がある。
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もちろん、ニューヨークタイムスをはじめ、アメリカのリベラルに対してほとんど知識など持ち合わせず、だからそのまま黙るしかなかったのだが、今回トランピストになった、貧しい田舎の、偏屈な、おおかた「差別主義者」の「レッドネック」たちが言上げする、「デープ・ステート」なるものの「正体」を映画にかいま見た気になったのかもしれない。と今になって思う。友人たちの失笑には、多勢に無勢以上に、なにか自信のようなものに裏づけられた圧力を感じていた。
とうとうコタツも陰謀論に与するようになったかと冷笑されるかもしれないが、ゾンビ映画でいえば、どれほどおぞましくともゾンビはかつて私たちの同胞だった。それより何より、彼らは圧倒的に多数派なのだ。つねに死者は生者より、はるかに絶対多数を占めている。
ゾンビ映画が数えきれないほど繰り返しつくられるのは、ゾンビが反乱や一斉蜂起のメタファーであるというだけでなく、こぎれいでこざっぱりした健康的な色つやをした私たちも一皮むけば、という解像力を否応なく喚起するからだろう。
肌と呼ばれる表層こそがいわゆる「リベラル」ではないか。私たちの血や肉や骨は、その皮膚によって覆われ、隔(かく)されて、守られているのか。
社会になぞらえば、人間の、血しぶきや肉の断裂、骨の軋みが、その終わることのない苦痛こそが、覆われ、隔され、守られている、と言えやしまいか。なにか、こぎれいでこざっぱりした健康的な色つやの肌で。
もちろん、隅々に達する活発な血流や躍動し同時に抑制する筋肉、大胆に小刻みに分節する大小の骨群が、ブランケットのように温かく、プラスティックのように強靭な皮膚によってくるまれているともいえる。皮膚はたんに表層ではないわけだ。
で、メタメタの今夜のおまけは、やっぱりメタルバンドというお粗末。
映画ヘヴィ・トリップ予告編
http://heavy-trip-movie.com/trailer/
(止め)