コタツ評論

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ナメんなよ

2021-12-29 23:36:00 | ノンジャンル
詩は文芸の最高峰であり、詩人は職業ではないことだけでも気高い人達だと思ってきた。茨木のり子はそんな私の憧憬に応えてくれない。

ファンや好きな人には大変申し訳ない。どうか捻くれ者の戯言と聞き流してほしいのだが、正直にいえば相田みつをと変わりないと思う。

説経じみた元気の押し付けと、それを無闇にありがたがる需要のあり方などはよく似ている。

その上、「女性ならではの視点」といった文脈で朝日新聞やNHKでその「凛とした」人物像と共に語られるとき、ほとんどゾッとする。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211228/k10013406381000.html

もちろん、茨木のり子その人に、受容のされ方にまで及ぶ責任はないのだが、よく引用される『わたしが一番きれいだったとき』など、当然のように非戦や反戦と絡められると、素朴にも程があると作品にまでケチを付けたくなる。

むしろ、この秀逸なパロディこそが、軽やかに茨木のり子を再現しているように思うのだ。

DJ薄着 @usgi
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらで
あたらしい人とは会えず
行きたい場所には行けなくて
鼻に綿棒なんかを突っ込まれたりした


(止め)