コタツ評論

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ゴッドファーザー 

2009-02-19 17:57:00 | レンタルDVD映画
The Godfather – Orchestral Suite. - The Danish National Symphony Orchestra (Live)


NHKのBSで放映していた。Ⅰは見逃して、Ⅱは全編、Ⅲは後半のみ。あらためて、Ⅰ>Ⅱ>Ⅲ だと思った。あるいは、Ⅰ>Ⅱ≠Ⅲ ではないかとも。

しかし、絵はどの作品とも凄いと感心した。何回も観ているのと、こちらが30年以上年齢を重ねたせいか、主筋や主役より、脇の物語や脇役に注意がいってしまう。たぶん、「ゴッドファーザーおたく」のような人が日本にもたくさんいて、なかにはびっくりするほど詳しい人がいるだろうと思う。そんな人の話が聞けるときっと楽しいでしょう。

ここでマイフェバリットな役や俳優を思い出してみると、PERTⅠでは、悪徳警官マクラウスキー警部(スターリング・ヘイドン)、麻薬ビジネスをコルレオーネファミリーに持ちかけるソロッツォ(アル・レッティエリ)が印象深かったですね。PERTⅡでは、ファミリーを裏切ってFBI側の証人になる「天使のフランキー」(マイケル・ガッツォ)が厚ぼったい口髭としゃがれ声と太い腹の男っぽさで、子分のチッチ(ジョー・スピネル)と共に味わい深い。シリーズを通してなら、やはり、トム・へイゲン(ロバート・デュヴァル)の静謐な佇まいとフレド・コルレオーネ(ジョン・カザール)の哀切が心に残ります。

しかし、ゴッドファーザーシリーズの数多(あまた)ある役と俳優の中で、いちばん好きを上げよといわれれば、この人のこの役と迷いません。マイケルに影のように寄り添う殺し屋アル・ネリ(リチャード・ブライト)です。


この人は、S・マックイーンとアリ・マッグロウが共演して後に結婚するきっかけになった、「ゲッタウエイ」(1973)が初見でした。ほとんど、一目惚れのように気に入りました。「ゲッタウエイ」は、マックイーン扮する銀行強盗が奪った金を持ってアリ・マッグロウの妻と逃避行をするロードムービーでした。追いかけるのは、警察ではなく犯罪ボスが送った殺し屋。「ゴッドファーザーPERTⅠ」でソロッツオを演じたアル・レッティエリ。この人もむせかえるような男臭さで圧倒的でした。

さて、アリ・マッグロウが駅のコインロッカーにカバンを預けようとすると、カウボーイハットにこざっぱりとした旅行姿のリチャード・ブライトが声をかけて手伝います。金の詰まったズッシリ重いカバンをロッカーに入れ、鍵をアリ・マッグロウに渡しました。「ご親切にありがとう」と感謝する女。「どういたしまして」と西部の男らしく帽子のひさしに指を添えて返礼します。

マックイーンと落ち合って、ロッカーに戻ります。どうしてか鍵が開かない。係員を呼んで開けさせると、中は空っぽ。「そんなはずはないわ! 親切な男の人が手伝ってくれて・・・アッ」と手で口を覆う女。カウボーイハットはあらかじめ持っていた別の鍵とすり替えたんですね。マックイーンはカゴ抜け詐欺に引っかかったとすぐに気づき、「駅で待っていろ!」と女に言い残し探し歩く。

やがて、運よく見覚えのあるカバンを提げたカウボーイハットの男を見つけ、懸命に追いかけるが、やがて見失ってしまう。出発していく列車を見送りながら立ち尽くすマックイーン。汗が吹いています。一方、逃げた男は走り出した列車に飛び乗り、車中の人となる。後ろを気にしながら、少しでも先に逃げようとするかのように、前の車両へ車両へと足早に歩いていく。頃合いと席についてほっとする。

ほかの乗客はほとんどいない。汗だくでまだ眼が落ち着かない。ようやく息を整え、近くに人がいないか振り返ってから、膝上に置いたカバンを開けてみる。唸る札束。びっくりして目を丸くするケチな詐欺師。カバンを閉じて、興奮を抑え込もうと努める。沸き上がる嬉しさに笑顔が広がる。愛しそうにカバンを撫で回す。と、隣の席に誰か座った。(アッ、追いかけてきた男だ)と思うまもなく、パンチが喰らわされ・・・。

安っぽい格好をした、貧弱な体格で卑小な顔つきの、めまぐるしく青い眼が動く小心な男。リチャード・ブライトはそんな小悪党を演じて、とてもカッコウがよかった。最低の男が最高の幸運を引き当て、すぐにまた最低の男に戻る、ケガ付きで。しかし、観客は途中からこのケチな詐欺師に同情してしまうのを止められない。俺たち自身だからだ。

命金を追うマックイーンに感情移入しなければならないのに、逃げるネズミの詐欺男に猫から逃げ切ってくれと思ってしまうのだ。リチャード・ブライトが徹底した卑小を造型したおかげで、観客の我が事になった。見事に負け切ってみせて、大スターを食い、脇役・ちょい役にも、それぞれ生き延びようとする人生があることを観客に思い出させた。それは胸が空くカッコウのよさだった。

そのリチャード・ブライトが、「ゴッドファーザー」に寡黙で凄腕の殺し屋アル・ネリで登場したときは、バンザイしたくなりました。ケチな詐欺師と同様、冷徹な殺し屋になりきりました。PERTⅡでは、終盤、大司教を殺すためにバチカンへ旅立つ列車のコンパートメントに座っています。膝上にはチョコレートの小箱。これはもう、「ゲッタウエイ」の列車シーンのパロディではないかと。引用されるほど、秀逸なシーンとして語り継がれているのだと思えてしまいます。

コンパートメントを買い切ったとは、出世したな、リチャード・ブライト、よかったよかった、と肩を叩きたくなりました。高価そうなチョコレートの詰め合わせ箱を開いて、そのひとつを小さめの口に頬張る。その手つきは慎重です。箱の底に隠された拳銃を確かめ、車窓の夜を見遣る。チョコレートを咀嚼する少し野卑な口許。殺し屋とチョコレートの意外な組み合わせが、リチャード・ブライトを得て効いていました。今回、PERT.Ⅱ 観ていて、このアル・ネリはかなり重要な役だと確認しました。

こんな場面があります。ドン・マイケルの執務室。マイケルの他に幾人かの幹部がいて話し合っています。アル・ネリはいつものように後ろに立ち控えています。セーター姿です。いつのまにか、室内に設けられたミニバーのカウンター前にいます。アル・ネリは、(退屈だなあ)とばかり、授業中に中学生が居眠りをするような格好で、バーカウンターに俯せ手の甲に頬を乗せます。くつろいだグレートデンのようです。考えてみれば、ドンの前で不作法な振る舞いです。しかし、誰も気にしません。

ボデイガード兼殺し屋のアル・ネリは、ドンであるマイケル・コルレオーネの忠実な犬なのですが、グレートデンのようにどこか主人の力量を推し量っているようなところがあります。この主人は、本当に自分の飼い主たる資格を持つ、強く賢い男なのかと。マイケルもコーヒーを持ってこさせ、車や部屋のドアを開けさせるアル・ネリの視線を、ときに気にしたりします。その無表情な瞳に自分がどう映っているかを。ただの主人と犬、親分と子分の関係ではないようです。

なぜ、マイケルは、「ママが死ぬまでは、フレドの身は安全だ」と聞こえよがしにいわなければならなかったのか。自分に言い聞かせ、アル・ネリに聞かせるためでした。裏切り者には死を、というファミリーの掟を兄だからと、すぐには実行せず延期することへの後ろめたさ。あるいは、言い換えれば、「ママが死ぬまでの命だ」とアル・ネリらファミリーのメンバーに宣言したという意味でしょうか。ドンとしての義務と兄弟としての情愛に、身を引き裂かれるマイケルという場面なのでしょうか。

マイケルとアル・ネリの視線の交差を俺はそうは見ませんでした(ねえ、こういうときに目線という言葉はないでしょう?)。互いに冷たい視線です。

アル・ネリはPERT.Ⅰでは、交通警官に偽装して、コルレオーネ・ファミリー潰しの黒幕であるドン・バルジーニ(リチャード・コンテ)を仕止めます。PERT.Ⅲでは大司教を葬ります。いわば、コルレオーネ・ファミリーの最終兵器です。アル・ネリは命令に従うだけで、殺す人間に好悪や愛憎などの感情はもちろん、組織の中での功名心すらなさそうです。アル・ネリは出世しない。あいかわらず、ドンの傍らに控え、自分の組や縄張りを持っているようには描かれていません。

契約に基づく報酬や疑似家族共同体の絆といった生臭さとアル・ネリは結びつきません。ただ、無垢な暴力を行使する。アル・ネリのような男こそ、マフィアの伝統と組織が造り上げた人間なのです。マフィアというシステムがつくった生ける死に神なのです。「天使のフランキー」なら、ローマ帝国の闘士と褒めそやすかもしれないが、マイケルにとっては、変革しようとしたファミリーの象徴のような存在ではないでしょうか。マイケルはケイに、「ファミリーを合法化する」と幾度も約束します。そのとき、マイケルは本気でした。しかし、結局はできなかった。

マイケルは母の死後、フレド殺しをアル・ネリに命じます。別の見方をすれば、アル・ネリがマイケルに命じたのです。フレドを殺すように。それこそがファミリーの掟であり、掟こそがファミリーだからです。実際のイタリア系マフィアがどうであるかは関係ありません。この映画では、ファミリー(家族)を超えたファミリー(システム)の残酷を描いているからです。マイケルは、アル・ネリにフレド殺しを命ずることで、生涯を賭けて闘ったファミリー(システム)に膝を屈しました。

したがって、「ゴッドファーザー」は、アル・ネリがフレドを撃った湖水の場面で終わったと思えます。ボートハウスで銃声を聴くマイケルは、守るべき家族を殺したことで、あらためて家族を失い、もはや死んだも同然なのです。かつて、「ゲッタウエイ」で逃げるネズミだったリチャード・ブライトは、「ゴッドファーザー」では、ファミリー(システム)の死神として、ドン・マイケルを打ち負かします。マーロン・ブランドより、ロバート・デニーロより、アル・パチーノより、リチャード・ブライトとジョン・カザールをコッポラは描きたかった。どの場面より、このフレド殺しの場面こそ重要だと考えたのではなかったか。

寂しい湖水のボートにいるのは、フレドとアル・ネリだけでした。「ゴッドファーザー」は象徴的な場面の多い映画でしたが、ほとんど寓話的なほど象徴的な場面ではなかったかと思っています。つまり、アル・ネリ=リチャード・ブライトは、隠れた主役だったのです、といえば、そりゃ言い過ぎでしょう。最近見かけませんがリチャード・ブライト、元気でしょうか。

(敬称略)



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7 コメント

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Unknown (ヨリチャン)
2013-07-02 16:38:30
私も大好きな映画です。
映画大好きな人間です。先日高島忠雄さんの
闘病日記テレビで見ました。奥さんが言ってました100回くらい見てます。との事。
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Unknown (コタツ)
2013-07-08 17:35:17
100回は凄いですね。おすすめ映画があれば、紹介してください。
言葉の綾掲示板
http://9101.teacup.com/chijin/bbs
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Unknown (マニア)
2013-11-08 19:37:21
アル・ネリが殺したのはラフ・バローネでは有りませんよww
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Unknown (マニア)
2013-11-08 19:40:51
リチャード・ブライトは2006年、バスによる交通事故で亡くなりました。
返信する
Unknown (マニア)
2013-11-08 19:59:54
フレドの存在は、ファミリー全体の安全を脅かす弱点です。マイケルの立場からはファミリーの安全の為には弱点(フレド)を除去し、ファミリーの安全を守る必要があった。
マイケルには家族の情(兄弟としてのフレドへの親愛)よりゴッド・ファーザーとしての役目(ファミリー全体の安全)を優先せざるを得ない。アルネリへの言葉は、単純にそういう事を言ってるだけです。

まあ、日本でも勘当という措置は、親族一同の生存が脅かされかねない放蕩息子などに下されますよね。情を切れず勘当出来ない家は、数十年後没落してますよマジで。
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Unknown (S)
2013-11-09 21:15:28
マニアさま
はじめまして.ブログ読者のSと申します.
コタツ氏がコメント欄の不調のため,返信を掲示版「言葉の綾」に書き込んでおられました.このブログの左上にもリンクがあります.コタツが管理する掲示版です.とりあえずお知らせします.
http://9101.teacup.com/chijin/bbs
返信する
Unknown (コタツ)
2013-12-15 23:11:46
拍手コメント、ありがとうございます。アル・ネリのファンとは嬉しいですね。PERT.Ⅰの最後、執務室で幹部たちから手の甲にキスを受けているマイケルと、その様子を呆然と眺めているケイ、二人を遮断するようにドアを閉めるアル・ネリもかっこうよかったです。
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