浦島太郎の子は川崎に引っ越してフィリピーナの子に殺される。その子もかつてハーフゆえにイジメを受けている。年長者ばかり島では、「先輩」と遊ぶのは自然なこと。原日本と現日本の異質と異質の不幸な出会い。べつの「先輩」に虐待を打ち明けたことから、フィリピーナの子の家に同級生たちが押しかける騒ぎ。このとき警察沙汰になっている。その4日後に浦島太郎の子は死体となって河川敷で発見される。グループを抜けてべつの「先輩」を頼った「裏切り」に対する「処刑」である。事件を防げたはずの警察の責任は重い。弁護士同伴の出頭を異質だという声。同質を疑うことない銅の人々。
あなたはお互いに憎み合えとして、心を、またお互いに殺し合えとて、手をわれわれにお授けになったのではございません。苦しい、つかの間の人生の重荷に耐えられるように、われわれがお互い同士助け合うようにお計らいください…。
われわれの虚弱な肉体を包む衣装、どれをとっても完全ではないわれわれの言語、すべて滑稽なわれわれの慣習、それぞれ不備なわれわれの法律、それぞれがばかげているわれわれの見解、われわれの目には違いがあるように見えても、あなたの目から見ればなんら変わるところない、われわれ各人の状態。
それらのあいだにあるささやかな相違が、また「人間」と呼ばれる微小な存在に区別をつけているこうした一切のささやかな微妙な差が、憎悪と迫害の口火にならぬようお計らいください。
(宗教がからんだ冤罪事件を通して、フランス社会の狂信と強制に寄せた、ヴォルテールの『寛容論』」の一節。同書が出版されたのは1763年、日本では「享保の改革」の徳川吉宗の時代)
あなたはお互いに憎み合えとして、心を、またお互いに殺し合えとて、手をわれわれにお授けになったのではございません。苦しい、つかの間の人生の重荷に耐えられるように、われわれがお互い同士助け合うようにお計らいください…。
われわれの虚弱な肉体を包む衣装、どれをとっても完全ではないわれわれの言語、すべて滑稽なわれわれの慣習、それぞれ不備なわれわれの法律、それぞれがばかげているわれわれの見解、われわれの目には違いがあるように見えても、あなたの目から見ればなんら変わるところない、われわれ各人の状態。
それらのあいだにあるささやかな相違が、また「人間」と呼ばれる微小な存在に区別をつけているこうした一切のささやかな微妙な差が、憎悪と迫害の口火にならぬようお計らいください。
(宗教がからんだ冤罪事件を通して、フランス社会の狂信と強制に寄せた、ヴォルテールの『寛容論』」の一節。同書が出版されたのは1763年、日本では「享保の改革」の徳川吉宗の時代)
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