コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

参院選を総括する

2010-07-11 23:46:00 | ノンジャンル
民主惨敗というか自民快勝なのか。選挙以外の番組やってくれよ。視聴率稼げるのによ。 マジメに商売しないところが、日本のマスコミのもっともダメなところ。もっと商業主義を!ジャーナリズムの基本は、ジャーナル(毎日)売るってことだよ。泣くな、日刊ゲンダイ。これからも一週間に一回は買うぞ(たった?)。この選挙結果で、日本はますますダメになるだろうが、それよりパウル君の予想は当たるのか? スペインが勝つそうだが。日刊ゲンダイの明日のトップ記事は、「パウル君、大当たり!」か「パウル君、はずれ!」のいずれかで決まりだな。




(敬称はつけたぞ)
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アメリカ映画の新たな”低み”

2010-07-07 20:04:00 | レンタルDVD映画


「スワガーサーガ」シリーズのベストセラー作家であるスティーブン・ハンターは、つい最近までワシントン・ポスト紙の映画批評を担当して、ピュリッツアー賞批評部門を受賞するほどの著名な映画批評家だったが、「アメリカ映画が新たな”低み”に達した」ことから、「塞ぎの虫」を起こし、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」を観るまで「復活できなかった」と近作『47番目の男』(扶桑社文庫)の謝辞で述べている、ところまでが前回のお話

では、一流紙で活躍する、ピュリッツアー賞を受けたほどの映画批評家をして、「アメリカ映画が新たな”低み”に達した」、と慨嘆させた「アメリカ映画」とは何か。具体的にはどの映画作品を指すのか。探してみたのだが、結果としては、見つからなかった。もちろん、俺の不自由な英語力が障害になったわけだが、その検索の途中で見つけた、スティーブン・ハンターの映画評は、なかなかおもしろかった。

日本語で書かれていない、英語の映画批評を読むのは、ほとんど初体験だったのに、かなり同意同感できたのは、

①芸術映画より、いわゆるB級映画に愛着を抱いているらしい
②筋を重視し、俳優のキャスティングや演技について語りたがる
③ファンタジーは認めるがCGなどを駆使したビジュアル映画をあまり好まない

などが、俺と共通しているからかもしれない。いうまでもなく誤読している可能性はかなり大きいのだが、興業や観客を含めたジャーナリスティックな語り口に加え、ときに辛辣になっても、「ゴジラ」のファンだったような「映画館の子ども」が抱き続ける映画へ偏愛がうかがえて、親しみを覚えた。

前記のハンターの謝辞にも紹介されているスティーブン・ハンター非公式サイトから、ピュリッツアー賞のサイトで、2003年のCriticism受賞者であるstephen hunterのworkで、2002年に発表されたいくつかの映画批評を読むことができる。
http://www.pulitzer.org/citation/2003-Criticism

カンヌ映画祭のルポやビリー・ワイルダー監督について語り、作品としては、ジャック・ニコルソン主演の老人ロードムービー「アバウト・シュミット」、平凡なカップルが偶然見つけた穴は、怪優ジョン・マルコヴィッチの脳内に通じていた「マルコヴィッチの穴」、マーティン・スコセッシ監督、ディカプリオ主演の「ギャングオブニューヨーク」、トム・ハンクスが子連れの殺し屋に扮した「ロードトゥパーディション」、「シカゴ」では、レニー・ゼルウィガーについて、書いている。

「アバウト・シュミット」のジャック・ニコルソンを紹介するのに、
with no Jack, no famous eyebrows or wolfish leer in sight.
<この映画のジャックは、あの有名な眉と残忍な流し目のジャックではない>というぴったりの表現が出てきて嬉しい。

また、「ロードトゥパーディション」について、
It is said to be inspired by Kazuo Koike and Goseki Kojima's graphic novel series "Lone Wolf and Cub," about a masterless samurai on the road with his small son.

<小池一夫と小島剛夕の劇画『子連れ狼』から、インスパイアされたといわれている>が、本家には及ばないといっているところなど、ワシントンポストの読者に向けて、『子連れ狼』を周知のように書く、ハンターの権威と恣意に感心した。

また、「ハリー・ポッター」シリーズを取りあげ、graphic novelの映画化を次のように批判もしている。

You write/draw a graphic novel, Hollywood buys it, and you go to the local bijou and see it 25 feet tall with beautiful people playing characters that began as slivers of your id.In other words, the picture book was better than the movie.

<言い換えれば、絵本は、映画よりも優れていた>という痛烈な結び。もしかすると、このあたりが、「アメリカ映画が新たな”低み”に達した」と関係しているかもしれない。俺の英語力が不自由でなければ、翻訳して載せたいくらいだ。誰か奇特な人はいませんか?

ピュリッツアー賞の批評部門で受賞したのが2003年、主な映画批評を収録した、以下の本が出版されたのが2005年。ちなみに、ピュリッツアー賞の賞金は7500ドル。意外に少額である。『バレンシアで上映中』というタイトルか? もちろん、日本では未刊のようだ。
Now Playing at the Valencia : Pulitzer Prize - Winning Essays on Movies (2005)

さて、前記の「謝辞」が掲載された『47番目の男』の刊行は2007年。「謝辞」には、「アメリカ映画が新たな”低み”に達した」ことから、「塞ぎの虫」を起こし、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」を観て直ちに「復活」し、それから日本の「サムライ映画」を2年間観まくって、忠臣蔵四十七士討ち入りをモチーフとした『47番目の男』を書いたとある。

2007年の2年前は、2005年。「新たな”低み”に達した」アメリカ映画とは、2005年にアメリカで公開された映画と推測することもできるが、『47番目の男』の執筆時期が正確にわからないから、「アメリカ映画が新たな低みに達した」とハンターがみなした映画は、2003~2005年の間に公開されたと推測できる。

これは膨大な数になる。そこでとりあえず、2005年にアメリカで公開された映画を検索してみた。「アメリカ映画が新たな”低み”に達した」と位相を指摘しているのだから、どれかはそれに当たるはずだが、やはり、ほとんど見当がつかない。その一部を拾ってみたのが、以下である。

ザ・フィースト (Feast)
イカとクジラ (The Squid and the Whale)
ウォルマート/世界一の巨大スーパーの闇
(Wal-Mart: The High Cost of Low Price)
エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?
(Enron: The Smartest Guys in the Room)
クラッシュ (Crash)
ソウ2 (Saw II)
トランズアメリカ (Transamerica)
ブロークバック・マウンテン (Brokeback mountain)
ブロークン・フラワーズ (Broken Flowers)
ホステル (Hostel)
シン・シティ(SIN SITY)
スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐
(Star Wars Episode III: Revenge of the Sith)
ハリー・ポッターと炎のゴブレット
(Harry Potter and the Goblet of Fire)

イカとクジラ、クラッシュ、ブロークバック・マウンテンは秀作とされているし、トランズアメリカ、ブロークン・フラワーズは佳作といえ、ウォルマートやエンロンはドキュメンタリだから、除外されるべきだろう。

やはり、「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」や「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」あたりを、ハンターは「低み」ととらえたのだろうか。「ホステル」や「ソウ2」なら、誰が観たって「低い」し、その「低み」こそが志しといえるから、「高み」にあるとされる作品を指すのだろう。

「スター・ウォーズ」や「ハリー・ポッター」シリーズを俺がほとんど観ていない理由は、子どもが出てくる子ども向けの映画は興味がない、というに過ぎず、だからハンターが評価しているらしいトールキン原作の「指輪物語」も観るつもりはないのだから、こうしたいわゆるファンタジー映画というジャンルの作品がどう変化しているのか、まったく不案内だ。

ただ、誰もが観ている有名な映画について、誰もいわない指摘をするのが優れた映画批評と思っているので、ハンターの「新たな”低み”に達したアメリカ映画」への興味はますます高まった次第。知っている人がいたら教えて下さい。

(敬称略)
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夏い暑はそうめんに限る

2010-07-02 01:02:00 | ノンジャンル



生姜を下ろす、胡麻をする、茗荷を刻む、大葉も刻む、炒り卵をつくる、ヤマキのそうめんつゆ、氷を浮かべた水桶、以上準備万端整えているうちに、大鍋に湯が煮立ち、木箱入りのそうめんを取り出す。一束一束、黒い帯を締めて、楚々たる風情である。その帯の端を指でつまみ、少し剥がしてから、沸騰した湯の上で吊し、ついと引っぱると帯が「ハラリ」と解け、そうめんの一本一本が、線香花火のように湯に広がる。評判の小町娘の帯に手を掛けた上田吉二郎の興奮が、ささやかだながら味わえて楽しいものだ。しかし、上田吉二郎を思い出したのは、不吉な兆しだったことをすぐに思い知らされた。たしかに、上田吉二郎は、町娘やお女中やお内儀の帯に手を掛けて、独楽のように回して、彼女たちに、「ア~レ~」と悲鳴を上げさせ、「グヘヘ」と涎れ笑いしながら、しどけなく投げだされたその肢体を眺めて悦に入るのだが、それは必ず長襦袢まで、けっして肌身を晒すところまではいかないのだ。たいていの場合、あわや落花狼藉の寸前、暴れん坊将軍とか桃太郎侍とか遠山の金さんといった人々の邪魔が入るのである。



さて、一束のそうめんの帯の端をつまみ、グラグラする熱湯の上で、「エイッ」と解いたら、位置が高すぎたせいか、鍋の外にまで散らばり広げてしまった。箸くらいに長かったものが、楊枝くらいに折れて短くなったのを、落ち穂拾いのように這いつくばって集める羽目になった。今度は、低めの位置で、「ヨッ」と帯を解いたつもりが、帯を止めた糊が強かったせいか、解けずに束のまま「ドポン」と落ちたものだ。製造物責任法について考える間もなく、すぐさま湯に指を突っ込み、そうめん束をつまみ出す。箸を使えばいいのだが、そんな悠長なことをしていたら、すぐにそうめんは煮えてしまう。「熱ッチッチっ」と鼻に皺を寄せながら、引き上げたそうめんの束は、すでにグッタリとしてまな板に横たわる。とりあえず、帯を切って、前をはだけ、ベタベタ粘つくのを、引き剥がし引き剥がしして、二、三、四、五本とくっついたまま、湯に入れていく。先に入れたそうめんとは、茹で時間が異なり、台無しである。目尻が赤く滲む上田吉二郎。

やがて、沸騰した白泡が盛り上がり、「シューッ」と噴きこぼれるところから、すでにそうめんは始まっている。もし、豪快な沸騰という山場がなく、トロ火でじゅうぶんとなったとしたら、そうめんやそば、うどん、ラーメンを好む人は、きっと激減するだろう。盛大に上がる湯気に、コップ半杯の差し水をして、再び煮立つ寸前、火を止める。しばらく、鍋に蓋をして二分ほど置き、手早く水にさらしてから、食卓へ。

下ろし生姜を一寸、茗荷を一寸、大葉を一寸、胡麻を一杯、炒り卵もスプーン一杯、「ズゾッ」と啜れば、「旨い! キンチョーの夏」である。そうめんなんぞ、どう作っても旨いのである。ざまあみやがれ。

(敬称略)
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がんばれ、強いぞ、ぼくらのなまか~♪

2010-07-01 04:51:00 | ノンジャンル



聖教新聞や赤旗だってここまでは書かないだろうな6月30日の日刊ゲンダイの第1頁。「もういちど民主党に投票を」から、第2頁は、「10年で長期債務を200兆円増やした自民党」と続き、第3頁には、「小沢路線を完全否定 みんなの党と組むという 枝野幹事長、玄葉政調会長の軽挙妄動」、その下段には、「小沢 検察審議会に上申書提出-冷静な証拠判断を求めると委任状」という記事が置かれている。

断固、民主党を支持し、とりわけ小沢一郎に期待する姿勢を貫いているわけで、もしかすると、世界でいちばん、「言論の自由」があるのは日本じゃないかと思えるくらいの思い切った紙面だ。



民主党の岡田ジャパンのパラグアイ戦惜敗についても、「日本代表の構造的欠陥」と大見出しを打ち、「今大会中、もっとも退屈な試合のひとつ」(南ア通信)、「日本にもっと野心があれば、別の結果になっただろう」(英民放)、「技術的には低いレベルにあった。日本はカウンター狙いか、パラグアイのミスを待ち続けた」(ブラジルTV)と世界の酷評を集める。

守備はともかく、攻撃、指導者は世界のトップレベルでは通用しないことを改めて証明」という見出しの下に、ドイツサッカー協会公認S級コーチの鈴木良平氏に、「日本は、あまりに攻撃への意識や考えが乏しかった。決勝リーグまで勝ち抜いたのは、運に恵まれただけで、決定力不足の代表チームをつくった岡田監督の罪は大きい」という辛口コメントをさせ、大方の絶賛報道に冷水を浴びせている。

「大勢翼賛報道」のさなか、「ドイツサッカー協会公認S級コーチ」という人以外に、「岡田ジャパン」批判の口火を切ってくれる専門家がいなかったことが窺える。もちろん、メディアやW杯スポンサー企業に、遠慮するからだ。日本には、「言論商売の自由」はあるが、談論風発の場がないことがよくわかろうというものである。

ふと、東八郎を思い出す。日刊ゲンダイに目を通す日本を支える「リベラルおじさん」は、たいてい、東八郎のようなアホ面をして、「がんばれ、強いぞ、ぼくらのなまか~♪」と調子はずれな歌を心中でくちずさんでいるのである。


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さて、民主党へ政権交代の評価がかかった参院選の渦中、68%もの高視聴率に沸いたサッカーW杯パラグアイ戦の翌日という歴史的な「ロクサンマル」の紙面だが、第2頁の下段に、ちょっと不思議な囲み記事を見つけた。

『股関節唇損傷』ってどんな病気?」-松本人志が手術を発表」という見出しである。現在、病気休養中の松本人志の続報なら、なぜ、芸能頁やあるいは健康頁に置かなかったか? 

トップ記事にしてもよいほどのスクープネタだからとしか考えられない。記事はどこに置かれるか、それが大事なのである。場合によっては、その内容以上に。医学博士の米山公啓氏が、耳慣れない「股関節唇損傷」について解説している記事のどこがスクープなのか? 

この記事の場合、解説は水増しである。書きたいことは、なぜ、「股関節唇損傷」になったかなのだが、それは書けないということを書いているのである。たいていの記事は、書いてあることと同じくらい、書いていないことが重要なのだ。

小見出しの「慣れない体位は危険」と、最後の「愛人ができたと喜んでハッスルし、慣れない体位を試すのも危ない。大股開きはパートナーに任せましょう」という一般論の〆に注目する。

東八郎のようなアホ面をしていても、それなりのリテラシーに心得のある「リベラルおじさん」は、「危険が危ない」と重ねてあるので、「ははあ」と肯くのである。「こりゃ、関係者は震え上がってるな」と。

(敬称略)


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