コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

堅気じゃあるめえし

2010-12-17 23:38:00 | ノンジャンル



いつまでもいつまでもいつまでも、TVのニュースショーでは、海老蔵ネタが続いている。もっと大事なニュースがたくさんあるだろうに、といっても詮ないことだが、海老蔵ネタにしても肝腎なことには誰も触れない。役者が酔っぱらって街の不良ともめて、殴ったの殴られたの。堅気の家じゃないんだから、警察沙汰にする事柄じゃないだろう。亭主が怪我して帰ってきて、舞台に支障が出そうなら、各方面に相談かけて、穏便に納めようとするのが常識だろうし、内助の功ってものだろう。こんなくだらない大騒動になったのは、ひとえに警察に通報した小林麻央の愚かさゆえ。三行半つきつけられても文句はいえないはずだ。とはいえ、誰も嫁の躾についていえそうにないところが情けない。「被害者です」と記者会見した海老蔵も、「いかなる理由があれ、殴ったのはいけなかった」と出頭した不良も、五十歩百歩の小林麻央。「ケンカしましたが、それが何か?」でお仕舞いじゃないか。それで、談合するのは、ヤクザ専門の弁護士と民暴専門の弁護士ときた。プロがはびこり、玄人が廃れる、「嫌な渡世だねえ」(@座頭市)。

(敬称略)
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めくら千人でけっこう

2010-12-15 22:12:00 | ノンジャンル


今夜、BSフジの「らくごの時間」は、立川談春の番組だった。対談相手は、一ファンという女優の坂井真紀、歌手のさだまさしもコメントを出していた。立川談春については、以下で、紹介してきた。

2008/8/20 『赤めだか』(立川 談春 扶桑社)
2010/6/1  『この落語家を聴け!』(広瀬和生 アスペクト)
2009/8/20 『雨ン中の、らくだ』(立川志らく 太田出版)

※右端の検索欄に「落語」と打ち込んで、<このブログを検索>にチェックを入れて、検索するといずれも出てきます。

『赤めだか』は、立川談志と立川流に入門した弟子たちの修業の様子と落語への情熱が、いきいきと描かれた好エッセイだった。『この落語家を聴け!』でも、立川志らくと立川談春が絶賛されていた。ところが、これまで立川談春の落語を聴いたことがなかった。今夜の演目は、「六尺棒」。道楽者の若旦那としっかり者の親父だけの、かけあい漫才のような短い噺だ。「いま、もっとも切符がとりにくい落語家」の筆頭とされ、「将来の名人候補の一人」といわれ、人気実力ともに抜群らしいので、とても楽しみだった。しかし、残念だった。俺なら、木戸銭は払えない。名人どころか、並みの前座くらいにしか思えなかった。もしかすると、立川談春とは相性が悪いのかもしれない。談春の顔つきは小賢しい嫌なものに見えたし、番組中のトークも無内容で感心しなかった。「落語はおもしろい」と繰り返し力みかえっていたが、「たしかに、落語(というジャンル)はおもしろいかもしれないが、残念ながら、あなたの落語はおもしろくもおかしくもない」。そういいたいほどだった。落語に関する本を読むのは楽しい、に留めておくべきなのかもしれない、俺の場合。

(敬称略)
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次。

2010-12-12 23:40:00 | 詩文



次。

何が良く知られているか。
何が知られていないか。
何が推測されているか。
何が省略されているか。
何がゆがめられているか。
何が明確にされているか。
何が感じられているか。
何が恐れられているか。
何が賞賛されているか。
何が結論付けられているか。
何が拒否されているか。
何が顕わにされているか。
何が非とされているか。
何が許されているか。
何が見えているか。
そして、何が言われているか。

『すべての夢を終える夢 HOW GERMAN IS IT』(ウォルター・アビッシュ Walter Abish)より
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手巻きの話

2010-12-10 00:36:00 | 一服所


小さな子どもがいる家庭を訪ねて食事どきになると、手巻き寿司を食わされる羽目になることがある。わあ、手巻き寿司かあ! いろんな具があって、好きなのを合わせて巻けて、楽しそうだな、いただきます! なぞというわけがない。あ~あ、そんなにたくさん具を使ったら、味がわかんなくなるじゃないか、あんまりいいマグロじゃないな、なんでもマヨネーズをニュルしやがって、ガキがウニやイクラなんぞ食うな! ああ、めんどうくさいな、顎が痛くなってきたよ、巻きすで巻いたのを食いたいな、とか思わなくね。

寿司屋で手巻きを注文する奴も、ろくなもんじゃないね。何が、「手巻きでね」だよ。寿司職人に失礼じゃねえか。手巻きなんてものはなあ、客や出前が立て込んでいるときに、常連の相手ができず、注文が後回しになっていることへ、「すんませんね」と鉄火巻きなんぞ、ちょちょいとつくって手渡しするもんだ。常連でも、すこし軽んじていいのに当てがうもの。いいんだよ、俺なんざ、うっちゃっといてくれ、ガリ囓りながら、そろそろ帰るかと腰を上げる潮どきって合図が、「手巻き」なんだよ、このヒョーロクダマ!

おっと、手巻き寿司の話しじゃなくて、手で巻いて吸うやつな。タバコが値上がりして4OO円超でしょ。手巻きタバコが流行してんだってさ。100本分の刻み煙草と巻き紙とフィルターで1000円くらいだそうだ。半分以下の値段になるね。今日、1本作ってもらって服んでみた。いける。これにしようかなと考えている。ポケットからおもむろに刻み煙草の袋を取り出し、巻紙に葉を乗せて慎重に丸め、舌で湿らせ糊付けして、先っぽをひねって火をつける。器用にできても、不器用に真剣でも、なかなか絵になりそうじゃないか。「荒野の用心棒」のクリント・イーストウッドみたい、キャーッ、ってか。金のない学生の間じゃ、煙管が流行っているらしい。


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青が散る 2

2010-12-07 02:08:00 | ノンジャンル
TBSでドラマ化されたときの燎平は石黒賢、夏子は二谷友里恵。


偶然、BSフジにチャンネルを合わせたら、「その時、私は」 という番組に、宮本輝が出ていた。文芸評論家の福田和也がインタビュアー。宮本輝の「その時、私は」とは、生涯の師となる同人誌主宰者・池上義一氏との出会いだったそうだ。

近所の知り合いから、「あんた、小説書いているんか?」と訊かれ、「ええ、はい」と答えたら、「わし、小説にくわしい人知ってるねん」という。「どんな人ですか?」と尋ねたら、「池上さんいう同人誌たらやってる人や」という。(なんや、そんな人なら仰山おる、しょうもない) と思うとったら、その人が相手に電話しよる。「宮本さんいうてな、えらい才能のある人や」と私の小説など読んだこともないくせに話していて、否応なく電話を代わらされました。落ち着いた声の人で、書いた小説を見せに来なさいというので、『螢川』と2編持参して帰宅したんです。すると、すぐに池上さんから電話がかかってきて、「あんたは、天才や」という。もう嬉しくなって、すぐにまた家を訪ねたら、私の目の前で、『螢川』の最初の1頁に鉛筆で斜線入れて消し、「ええ小説やけれど、この最初の15行はいらん」といいよる。「2頁目から書き出すようになれば、あんたは本当の天才になれる」という。カチンときてね、(何が天才やと)。書き出しの15行くらいは、いちばん力を入れるところでしょ? 「この15行がいちばん好きなところです。ここが僕の『螢川』なんです。それを鉛筆でグチャグチャにして、なんて失礼なことをするんですか、あんたは!」といって、怒って持ち返ったんです。家に帰って、落ち着いて、まあ、たまには人の意見も聞いてみようかと思いましてね。ためしに、最初の15行をないものとして、読んでみた。そしたら、たしかにないほうがいいんです。それで、また池上さんを訪ねて、「先ほどは失礼しました。読み返してみたら、あなたのおっしゃるとおりです」と謝ったら、「あんた、ほんまにそう思うんか」と池上さんがいうから、「ほんまです。ないほうがええです」と答えた。「あんたはえらいやっちゃなあ。たった一時間でそれがわかったんか。たいていのやつは一生、それがわからんのに」といわれたんです。

その『螢川』が後に芥川賞を受賞したわけで、「2頁目から書き出すようになれば、あんたは本当の天才になれる」という師・池上義一氏の言葉を肝に銘じて、精進を続けているという締めだった。

功成り名を遂げた作家が修業時代の若き日に、その文学上の師に出会うきっかけが、おせっかいな近所のおっさんの紹介というのが、まず変で可笑しい。師匠の「あんたは天才や」「えらいやっちゃなあ」という賞賛と呆れがすんなり繋がるのが、また変で可笑しい。

しかし、この師弟の出会いの一幕を標準語に直してみると、どうなるか。気取りを捨てたあけすけな大阪弁でないと、くっきりと情景が立ち上がってこないことがわかる。何より、小説の位置づけが大阪と東京では異なっているように思える。

芥川賞を受賞したが、若くして亡くなった在日朝鮮人作家の李良枝が、どこかで「小説の位置が高すぎると思う」と苦々しく語っていたことを思い出した。大阪では、近所のおっさんが、釣りや将棋、三味線と同様に、小説の「お師匠さん」を紹介してくれるのである。

宮本輝の文学観や小説観を知らないが、関西には染め物や木工細工と同じように、小説も職人仕事のように思っている庶民が珍しくないことがわかる。そんな関西と関西人を背景に、『青が散る』は書かれたわけだ。

ということで、『青が散る』は関西弁小説にとどまらず、関西小説であると。大阪と関西、阪神間が、その地域性や文化において、それぞれどんな違いがあるか、まったく私には不案内なのだが。

しかし、宮本輝。歯が煙草のヤニで真っ黒だったな。若き日の写真は、若き作家らしく、鋭角な顔立ちなのに、いまではよく動く小さな口許が、まるで売れない老漫才師のように見えた。



次回は、『青が散る』は大学小説である、の予定。

(敬称略)
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