コタツ評論

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ろんきちじゃないぞ

2012-02-05 00:23:00 | ブックオフ本
中途で放りだしていた『「文明論之概略」を読む』(丸山真男 岩波新書)をまた上巻から読みはじめている。1986年に刊行された26年前の本だが、丸山の解題は少しも古びていない。残念なことだが。

「学問ノススメ」を書いた福沢諭吉は明治の人という印象が強い。諭吉は天保5年(1835年)生まれ。吉田松陰より4歳下、橋本左内は同い年、坂本龍馬より1歳上、高杉晋作より5歳上、久坂玄瑞は6歳上という「幕末志士の世代」である。

もし坂本龍馬や高杉晋作たちが生きていれば、明治はずいぶん違った時代になっていただろう。そんな遠い眼をする人がいるが、「一身独立して一国独立する」という諭吉の思想のうちに、彼ら志士の志操も生きているのではないか。そして、彼らが生きていたとしても、はたして諭吉以上の影響を残せただろうか。

「志士の世代」だから、当然のことながら、明治の元勲たちとも年齢は近い。木戸孝允は一歳上、山縣有朋は4歳下、伊藤博文は7歳下である。生きていた諭吉が明治に切歯扼腕したのなら、もし誰それが生きていたら歴史は変わっていただろう、そんな設問はやはり無意味に思える。

福沢諭吉はもちろん明治維新を、丸山真男は先の敗戦を踏まえて、その後の日本の独立と日本人の自立を考察し、「その後」が独立と自立を妨げているありさまを痛切に論じている。両者とも、天皇抜きの「国体」を念頭において。諭吉没後111年。『「文明論の概略」を読む』は、なお刺激的だ。残念なことに。

注:天皇抜きの「国体」
天皇制の廃絶などの事柄ではない。二人ともそんな単純な議論には組みしない。また、「天皇制」という言葉自体が、コミンテルン発の左翼用語。正統な呼称ではなく、内容を妥当にに表してもいない。明治から昭和の終戦後まで、一般には「国体」と呼ばれ、戦前には主流だった天皇機関説からもわかるように、天皇もまた、日本という「国体」の一部と考えるのが一般的だった。

(敬称略)
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よっ、リベラルの謙!

2012-02-03 01:28:00 | 3・11大震災

娘の杏もCMの多いこと。

渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/news/davos.html

世界資本主義の総本山で、俳優の渡辺謙が「脱原発」をスピーチしたらしい。

どういう経緯からダボス会議のスピーチになったのか背景がわからないが、あれほどCMに出まくっているのに「脱原発」をカミングアウトするのはなかなか勇気と決断を必要としたはずだ(CMから高いギャラを得ておきながら、「脱原発」を広言するのは矛盾している? それはただのやっかみだ)。

俳優としてはあまり高く買っていないし(いそいそハリウッドに出演するなよ。「インセプション」のプロモーションでデカプリオが来日したとき、日本の至宝のような映画俳優と共演できるのは光栄といったのには、赤面したじゃないか。渡辺謙以外にも思い当たらないが、たとえば、黒澤映画で「七人の侍」や「生きる」を演じた頃の志村嵩あたりを日本の至宝のような映画俳優というのじゃないか)

スピーチ内容のほとんどの典拠に同意同感できないし(司馬遼太郎『坂の上の雲』と渡辺京二『過ぎし日の面影』あたりか。どちらも名著だが、それだけでは困る。少しは反論や異論もおさえないと)、

有能なスピーチライターを雇うべきだったなと論旨の展開に残念感は残るけれど(中学生のスピーチなみだ。トピックやデータを入れずに、自分語りだけで押し切ろうとするのは、社会人のスピーチとしてはありえない。それと英語で話したのだろうか?)、

そこは見直した。

東京新聞以外のほとんどのメディアは、結論の「脱原発」を無視して、「絆」(嫌な言葉にしやがって)のスピーチをしたと報じたそうだ。渡辺謙念願の「脱原発」にはあまり貢献しそうもないが、「言論の自由」のやぶ蛇に一石を投じたかもしれない。

(敬称略)


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