Zooey's Diary

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誰も助けることはできない「落ちこぼれてエベレスト」

2011年05月18日 | 

先週の朝日新聞に、登山家の尾崎隆氏が12日エベレストで遭難死したというニュースが
載っていました。

記事によると
”尾崎さんは4月中旬、エベレストのネパール側ベースキャンプ入り。
エベレスト登山をテーマにしたテレビ番組の撮影が目的だった。11日深夜、ネパール人の
高所ポーター2人と約8千メートルの最終キャンプを出発。
だが、頂上直下で体調を崩して下山を始めた。8400メートル付近で動けなくなり、
そのまま死亡したと見られる。”と。
http://www.asahi.com/national/update/0513/TKY201105130555.html

ポーターが二人もいて何故”そのまま死亡”しちゃったの?
助けることはできなかったの?と私は思ったのです。
丁度、本屋で野口健の「落ちこぼれてエベレスト」という本を見つけたので
読んでみました。

最年少で7大陸最高峰登頂記録を達成した野口健とは
どういう若者だろう?という興味を持っていたのです。
これが意外に面白かった。
外交官の父はエジプト人の女性と結婚、次男として生まれた彼は
サウジアラビア、日本、エジプトで育ち、イギリスの英国立教学院に中学から入る。
ここで徹底的に落ちこぼれ、劣等感の塊だった彼はケンカして停学中だった時に
植村直己の「青春を山に賭けて」を読んで登山に目覚める。
富士山から始め、八ヶ岳、穂高と訓練を重ね、
高校2年でモンブラン、キリマンジャロ登頂に成功する。
その頃の彼は、自分を馬鹿にする先生や学友を見返すためには
山登りしかないと思い込んでいたようです。
そして一芸入試で亜細亜大学に入学、コジアスコ(オーストラリア)、アコンガクア(アンデス山脈)、
マッキンリー、ビンソン・マッシーフ(南極大陸)、エルブルース(ロシア)と
高山病に襲われたり肋骨を折ったりしながら成功していく。

しかし世界最高峰のエベレストは甘くなかった。
天候急変や体調不良で彼は2回失敗する。
今度失敗したらさすがにスポンサーも助けてはくれないという緊張の中、
3度目の挑戦で成功したのは99年、25歳の時。
しかしその間に、読み書きもできないというシェルパの娘と一目惚れで結婚したり、
結局2年で離婚したり、酒に溺れたりとまあ本当に波乱万丈です。
高校生でモンブランやキリマンジャロに登れたというのは
外交官である父親の経済力や、海外で育ったための英語力といった幸運もあったでしょうが
彼の不撓不屈の根性は素晴らしい。

エベレストについてのこんな描写がありました。
”かつて、チベット側からこの山の登頂を目指したロシア人の男性と
アメリカ人の女性のカップルがいた。山頂を目前にして妻が力尽き、
「私はここで待っているからあなただけでも登頂して」と夫を見送った。
夫が登頂して妻の所に戻ってきた時には、妻の両足はすでに凍傷でやられていて、
一歩も歩けない状態だった。上半身は何の問題もなく、意識はしっかりしている。
(中略)日が暮れ始め、夫はどうしようもないことを悟り、そこからジャンプしたという。
妻の目の前で自らの命を絶ったのだ。その夜、妻は凍死した。
この夫婦の間で交わされた会話、そして各々が救援を求める声は
無線で逐一下のキャンプに届いていた。
だが、誰も彼らを助けることはできなかった。
標高8000メートルというのは、そういう世界だ。”

そこで亡くなった人の遺体をどうすることもできず、
いくつもの遺体が転がっているのだと。
1924年に行方不明になった英国人登山家ジョージ・マロリーの遺体が
99年、丁度野口がベースキャンプにいるとき75年ぶりに発見されたのだとか。


納得しました…


「落ちこぼれてエベレスト」  http://tinyurl.com/3ndomkt
コメント (10)
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