久しぶりに後を引く本を読みました。
女による女のためのR‐18文学賞大賞、山本周五郎賞、本屋大賞2位受賞。
第一章は、アニメおたくの主婦と高校生男子(卓巳)とのコスプレで始まります。
「おれ」は学校帰りに主婦のマンションに寄り、
「なにかのアニメのなんとかという役」の衣装を着せられて
”あんずが書いた台本通りに動き、セリフをしゃべり、セックスする”のです。
延々と過激な性描写が続いて辟易するのですが、
第二章ではそのアニメおたくの主婦が主人公となり、彼女の視点で語られるのです。
「あんず」は「ばかで、でぶで、ぶすで、不妊の変態主婦の私」となり、
学校でも職場でもいじめられ、何処にも自分の居場所が見つけられなかった「里美」なのです。
ようやく優しい人(と思った)に出逢って結婚するが、今度はその母親から
子供ができないことを責められ、不妊治療を強制される。
またしても居場所を失くした彼女は、心の拠り所としているアニメキャラに似た高校生を
ナンパし、情事に耽るのです。
第三章では、その高校生卓巳に想いを寄せている同級生女子の視点と変わっていく。
彼女には、幼少期より天才的に勉強はできたけれども、新興宗教にのめり込み、
挙句は引きこもりとなった兄がいた。
第四章は、卓巳の親友「セイタカ」が語り手となる。
借金苦で首つり自殺した父親、恋人のところに走ったお金にだらしない母親を持つ彼は
ボケて徘徊を繰り返す祖母の面倒を見ながら、汚い団地で暮らしている。
空腹を抱えて生きるだけに必死だった「セイタカ」は、
金持ちの家に生まれて優秀なバイトリーダーの「田岡さん」の心の奥の闇を知り、
初めて彼に心を許すのです。
田岡の独白が悲しい。
「でかい病院の息子で、自分で言うのもなんだけど頭も顔もそれなりによくて、
教師としても優秀な男が子どもの裸の写真見て興奮してるなんて、
狭苦しい街で退屈しまくっている人たちにとっては、こんな面白い話はないよな」
第五章は、助産婦である卓巳の母親の視点。
妻の不倫を知った里美の夫の報復として、コスプレの写真をばら撒かれ、
学校にも行けず、部屋からもベッドからも出られなくなった息子を抱え、悩む母親。
”お産のことはよく知っていても、子育てのことはまったく不慣れだった。
仕事をしている母親の背中を見て育ってくれればいい、と分かったような顔をして、
本当は不安だらけだった。正直に言えば、卓巳の父親が家を出て行ったときも、卓巳の写真が
ネットでさらされたときも、どうしていいかわからず、仕事の忙しさに逃げ込んだのだ。
十五年も母親をやっていたって迷うことばかりだ。”
そして、二人の息子の母親である私も
母親目線でこの小説を読んでいたことに気が付きました。
誰もかれもが不器用に必死に生きている。
その不器用さ、無様さ、愚かさ、醜さ、優しさと愛しさ。
なんとかしてやりたい、どうにかならないのかと思わずにはいられない。
そしてその無様さゆえに、必死さゆえに、
読後感は暖かいものに変わっていくのです。
第一章の過激な性描写は必要なのだろうかと最初は思ったのですが
生々しく生きる人間の姿を描くという意味で、
やはり避けることはできなかったのでしょう。
山本文緒氏の評、
「この世に生まれ落ちることの苦悩と喜び、その凄まじい痛みに涙が出た」
という言葉に深く納得するのです。
「ふがいない僕は空を見た」 http://tinyurl.com/3f763z7