Zooey's Diary

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行く春の哀しみ

2013年04月11日 | 社会


今日の朝日新聞に、米ワシントンで
日本から贈られた桜が今年も満開になったことが小さく伝えられていました。
旧東京市による桜の寄贈から今年は101年。
多くの観光客がポトマック河畔などで、咲き誇る桜を楽しんでいる、と。
検索してみたら、National Cherry Blossom Festivalというサイトが見つかりました。
米国でもこんなお祭りが開かれるのですね。
写真はそこから頂いたものです。

昨日の朝日の夕刊にも
「散る桜が生む、深い哀惜」と題する高階秀爾氏の文章が載っていました。
それによると、散る桜、行く春を惜しんで、過ぎ行く季節を深く哀惜する心情は
日本独特の文化であると。
”西洋絵画においても、ボッテイチェリの有名な「春」に見られるように、
豊かに咲き乱れる花を描いた作例はいくつもあるが、
散る花を情感深く描き出した例はまず思い浮かばない。
「行く春」は詩歌においても絵画においても何よりも日本人の心の表現なのである。”

散る桜は確かに美しく、そして哀しい。
それは季節の移ろいを惜しむと共に
自分の周りの身近な移ろいを重ねるからだろう、と凡人の私は思います。
亡くした身内、友との別れ、子どもの頃の思い出への憧憬、消えた情熱、恋の終焉。
そんな哀しみが重なって
満開に咲き誇っていた桜が舞い散る下を歩く時、
思わず駆け出したくなるような気持ちになるのだろう、と。

森山直太朗 - さくら(独唱)
コメント (12)
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