先の鳴門旅行で驚いたことがもう一つありました。
今から100年ほど前に、ベートーベンの「交響曲第九番歓喜の歌」が日本で初めて、
そこで演奏されたということです。
鳴門大橋に、当時の様子の写真や説明が色々と展示してありました。
その話を描いた2006年の日本映画「バルトの楽園」をDVDで鑑賞。
第一次世界大戦中、中国の青島で降伏し捕虜となったドイツ兵は約4700名。
そのうち約1000名が鳴門の坂東俘虜収容所に送られてきた。
収容所の松江所長(松平健)は、武士道精神に基づき、彼らに敬意を持って人道的に扱う。
捕虜たちはかなり自由で、収容所内で新聞を作ったり、ドイツ風のパンを焼いたり、
ビールで宴会を開いたり、ボーリング場などの娯楽施設もあったと言います。
地元の人々も彼らを「ドイツさん」と呼んで友好的に相対したのだそうです。
敬意を差し出せば、敬意が返って来ます。
人道的に扱われた捕虜たちは、お菓子やパン作り、器械体操、そして音楽を地元住民に教える。
そしてその集大成が、ドイツ兵オーケストラによる「交響曲第九番」の演奏であった訳です。
松江所長が捕虜たちに対して自由と平等の信念を貫き通した背景には
彼が会津藩士の生き残りであるという出自があったからのようです。
新政府に直訴して半殺しの目に遭った会津武士の彼の父、
凄惨な会津戦争や、雪に閉ざされた斗南藩開拓のシーンが映画の中に織り交ぜられています。
自身がそうした不遇の目に遭ったからこそ、彼は敵国の捕虜に対しても
人道的な態度を忘れなかったのでしょう。
しかし、戦時下において捕虜の優遇はけしからんと政府は圧力をかけてくる。
所長に反発する部下や、息子を戦争で殺され、ドイツ兵を憎む市民も登場する。
そうした不協和音をはねのけての、ラストの第九の演奏シーンは感動ものです。
温厚な松江所長を松平健が、ドイツ軍青島総督をブルーノ・ガンツが好演。
これはよく描き過ぎているんじゃないかと思う所が無きにしも非ずですが
戦争が終わって収容所が閉鎖された後も、沢山のドイツ兵が残ったという事実があります。
そして鳴門市ドイツ館では、当時の写真・捕虜の手紙・再現されたミニチュア建物などが
展示してあるというのです。
日本兵のシベリア抑留とはエライ違いであるようです。
バルトの楽園 https://movie.walkerplus.com/mv35718/
今から100年ほど前に、ベートーベンの「交響曲第九番歓喜の歌」が日本で初めて、
そこで演奏されたということです。
鳴門大橋に、当時の様子の写真や説明が色々と展示してありました。
その話を描いた2006年の日本映画「バルトの楽園」をDVDで鑑賞。
第一次世界大戦中、中国の青島で降伏し捕虜となったドイツ兵は約4700名。
そのうち約1000名が鳴門の坂東俘虜収容所に送られてきた。
収容所の松江所長(松平健)は、武士道精神に基づき、彼らに敬意を持って人道的に扱う。
捕虜たちはかなり自由で、収容所内で新聞を作ったり、ドイツ風のパンを焼いたり、
ビールで宴会を開いたり、ボーリング場などの娯楽施設もあったと言います。
地元の人々も彼らを「ドイツさん」と呼んで友好的に相対したのだそうです。
敬意を差し出せば、敬意が返って来ます。
人道的に扱われた捕虜たちは、お菓子やパン作り、器械体操、そして音楽を地元住民に教える。
そしてその集大成が、ドイツ兵オーケストラによる「交響曲第九番」の演奏であった訳です。
松江所長が捕虜たちに対して自由と平等の信念を貫き通した背景には
彼が会津藩士の生き残りであるという出自があったからのようです。
新政府に直訴して半殺しの目に遭った会津武士の彼の父、
凄惨な会津戦争や、雪に閉ざされた斗南藩開拓のシーンが映画の中に織り交ぜられています。
自身がそうした不遇の目に遭ったからこそ、彼は敵国の捕虜に対しても
人道的な態度を忘れなかったのでしょう。
しかし、戦時下において捕虜の優遇はけしからんと政府は圧力をかけてくる。
所長に反発する部下や、息子を戦争で殺され、ドイツ兵を憎む市民も登場する。
そうした不協和音をはねのけての、ラストの第九の演奏シーンは感動ものです。
温厚な松江所長を松平健が、ドイツ軍青島総督をブルーノ・ガンツが好演。
これはよく描き過ぎているんじゃないかと思う所が無きにしも非ずですが
戦争が終わって収容所が閉鎖された後も、沢山のドイツ兵が残ったという事実があります。
そして鳴門市ドイツ館では、当時の写真・捕虜の手紙・再現されたミニチュア建物などが
展示してあるというのです。
日本兵のシベリア抑留とはエライ違いであるようです。
バルトの楽園 https://movie.walkerplus.com/mv35718/