今週読んだのはこの4冊。
まずは「天璋院篤姫」上下。
薩摩島津家分家に生まれた学問好きな篤姫は、その才覚、器量を見込まれて島津斉彬(なりあきら)の養女となり、更に格を上げるために五摂家筆頭近衛家の養女となり、1856年13代将軍家定の正室として江戸城に送り込まれた。
病弱な家定とは夫婦関係も持てないままに2年弱で死別、養父島津も同年死去。
島津からの密命、一橋徳川家の当主慶喜を次期将軍にという約束も果たせないまま、紀州藩主徳川家茂が14代将軍に就任。
公武合体政策で1862年、家茂の正室として皇女・和宮を朝廷から迎え入れる。
篤姫は10歳下の和宮の姑となり、天璋院と号し、大奥3千人を取り仕切っていくことになる。
大河ドラマ「篤姫」も未見で、新鮮に読めました。
武家や公家の姫に生まれると、トイレの個室にも侍女がついてくるのだと前にも驚いたのでした。
篤姫が生まれ育った家は分家でそこまでではなかったので、斉彬家の養女となって厠について来る3人を拒否しようとすると
「上の方は、ただの一瞬たりとも、一人でおいで遊ばすということはありませぬ。いついかなる時でも、お供の者がおそばに付き添って参ります。姫君様の御生家でもこれはきっとそうであったろうと思われますが、当家ではその控えの者の人数が更に多うございます」
と、老女の幾島に懇々と心得を聞かされることになるのです。
これはまだほんの序の口で、やがて徳川家の正室となると、大奥の夥しい細則とおどろおどろしい人間関係にがんじがらめとなる。
肝心の夫の家定は、病弱で意志薄弱、まったく頼りにならず、しかも結婚して2年もたたずに亡くなってしまう。
幕末の動乱期、幕府と朝廷の対立と両者を担ぐ勢力のきな臭い争いの中、大奥3千人の世界で篤姫がどのように孤軍奮闘したか。
この本の一番の読みどころは、やはり篤姫と和宮の確執でしょうか。
嫁と言えども身分は和宮の方が高い、となると初めて顔を合わせた時にどちらが先に挨拶をするかというくだらないことが大奥の大問題となり、それが篤姫のお付き女中、和宮のお付き女中それぞれの何百人の争いになる。
浦賀港にアメリカ軍艦やイギリス軍艦が攻め寄せている大変な時に、そんなことで争っている場合かと思ってしまいますが、大奥にあってはその闘いが何年も続き、それを著者は丹念に書き綴っているのです。
そのドロドロの人間関係にはうんざりしますが、この時代には道具でしかなかった女性たちの中にあって、自分の考えというものを持ち、前を向いて生きる篤姫の姿は立派です。
まずは「天璋院篤姫」上下。
薩摩島津家分家に生まれた学問好きな篤姫は、その才覚、器量を見込まれて島津斉彬(なりあきら)の養女となり、更に格を上げるために五摂家筆頭近衛家の養女となり、1856年13代将軍家定の正室として江戸城に送り込まれた。
病弱な家定とは夫婦関係も持てないままに2年弱で死別、養父島津も同年死去。
島津からの密命、一橋徳川家の当主慶喜を次期将軍にという約束も果たせないまま、紀州藩主徳川家茂が14代将軍に就任。
公武合体政策で1862年、家茂の正室として皇女・和宮を朝廷から迎え入れる。
篤姫は10歳下の和宮の姑となり、天璋院と号し、大奥3千人を取り仕切っていくことになる。
大河ドラマ「篤姫」も未見で、新鮮に読めました。
武家や公家の姫に生まれると、トイレの個室にも侍女がついてくるのだと前にも驚いたのでした。
篤姫が生まれ育った家は分家でそこまでではなかったので、斉彬家の養女となって厠について来る3人を拒否しようとすると
「上の方は、ただの一瞬たりとも、一人でおいで遊ばすということはありませぬ。いついかなる時でも、お供の者がおそばに付き添って参ります。姫君様の御生家でもこれはきっとそうであったろうと思われますが、当家ではその控えの者の人数が更に多うございます」
と、老女の幾島に懇々と心得を聞かされることになるのです。
これはまだほんの序の口で、やがて徳川家の正室となると、大奥の夥しい細則とおどろおどろしい人間関係にがんじがらめとなる。
肝心の夫の家定は、病弱で意志薄弱、まったく頼りにならず、しかも結婚して2年もたたずに亡くなってしまう。
幕末の動乱期、幕府と朝廷の対立と両者を担ぐ勢力のきな臭い争いの中、大奥3千人の世界で篤姫がどのように孤軍奮闘したか。
この本の一番の読みどころは、やはり篤姫と和宮の確執でしょうか。
嫁と言えども身分は和宮の方が高い、となると初めて顔を合わせた時にどちらが先に挨拶をするかというくだらないことが大奥の大問題となり、それが篤姫のお付き女中、和宮のお付き女中それぞれの何百人の争いになる。
浦賀港にアメリカ軍艦やイギリス軍艦が攻め寄せている大変な時に、そんなことで争っている場合かと思ってしまいますが、大奥にあってはその闘いが何年も続き、それを著者は丹念に書き綴っているのです。
そのドロドロの人間関係にはうんざりしますが、この時代には道具でしかなかった女性たちの中にあって、自分の考えというものを持ち、前を向いて生きる篤姫の姿は立派です。

この本と同時に「カメラが撮らえた藩主とお姫様」という本を読んでみました。
篤姫の写真は…まあネットでも見ましたが…
早逝した篤姫の夫、家定については、こちらではもっと辛辣に
「発育不全で知能は赤子程度、性格は根暗で癇癪持ち、始終首を振り、身体をぶるぶる震わせていた」と。
幕末の姫君たちは、衣装は豪華ですが、残念ながら5等身で目は吊り上がり瓜実顔という感じが多い。
例外的に美しい表紙の写真は、肥前佐賀藩鍋島家の鍋島直大夫人栄子姫。
「天璋院篤姫」