「極夜」という聞き慣れない言葉は「白夜」の反対語であり、
冬の北極とか南極で太陽が地平線の下に完全に沈み、24時間中真っ暗になる現象を言うのだそうです。
本書は、そこを犬一匹と橇を引いて4か月旅をする様を描いた「極夜行」の前編であり、
3回にわたる準備の旅の記録です。
準備といっても3年がかりの旅で、GPSも衛星電話を使わない北極圏の道行は
常に死と隣り合わせであったようです。
角幡雄介という探検家の名前は知っていましたが、詳しくは知らなかったので
本書を読み進めて90頁目の、氷の途中の割れ目に落ちて死にかけた所で
「もっと雪の量が少なければ、海中に没し、潮流に流され、氷盤の下に入り込んで死亡していただろう。
死体は二度と見つからず、私の妻は結婚して僅か半年で未亡人となっていた」。
というくだりで、初めてこの人が新婚だと分かりました。
新婚でこんな危ない探検に出かけていたということにも驚きましたが。
本書に書かれた3回の準備旅のうち、1回目は六分儀を使った天測を学ぶため、
2回目は本番で同行する犬を教育するため、3回目は本番に備えて
食料燃料を各地のデポに貯蔵するためのカヤックの旅であったらしい。
私には、2回目の犬との旅が一番面白く読めました。
著者は、現地のイヌイットから、一匹の一歳犬を買い求めます。
食料や燃料を積んだ橇は150㎏にもなり、自分一人では到底引くことができない。
イヌイットの流儀に基づいて犬と共に極夜行を計画するのですが
著者は犬を飼ったことも躾けたこともがなく、ウヤミリックという名のその犬も橇を引いた経験はまだない。
文字通り手探りで始まった旅は、中々思うようには行きません。
ウヤミリックは、旅先でホームシックになったり、ご飯を食べなくなったり、
怯えて動かなくなったり、橇を引かなくなったり、著者の思うようには扱えないのです。
「なんでそんなことも分からないのか、お前はそんなに阿呆だったのかああああ!と
私は叫び出したい心境だった。元々知能が低いのか、犬とはそんなものなのか。
あるいは飼い主に似て要領が悪いのか、それとも私の教育が悪かったのか」。
しかし極夜の北極圏において、犬の反抗は、著者と犬の死を意味します。
「もはや怒りを制御できなくなった私は再びストックで何度も背中を叩き、拳を握り締めて顔面に強打の嵐を見舞った。
私のあまりの変貌に犬は信じられないという表情をし、恐怖のあまり小便をびしゃああああっと盛大に漏らした」
この他にも、著者は怒りに任せて、書き写すに堪えないようなもっと酷い折檻を繰り返す。
それでも
「私が今この瞬間、この地で生きていることを知っているのは、唯一、犬だけだった」
という旅を続けるうちに、両者は次第に心を通わせて行くのです。
氷点下30度以下の極寒の世界。
ウサギを20羽殺しその毛皮を縫い合わせて防寒着を作り、海鳥を何十羽も仕留めて干し肉を作り、
ジャコウウシを射殺してその強烈なアンモニア臭のする肉を食べ(時にはウジが何百匹も蠢く腐った肉も)
海象(説明がなくて何のことか分からなかったがセイウチのことらしい)に何度も襲われ、
北極熊の襲来に怯え、凍傷になりかけ、孤独と暗闇と極寒と恐怖に耐え、
そこまでして著者は何故に極夜行を目指すのか。
「万物を規定し、私たちの生命を律動させる太陽がない世界というのは、一体どういう世界なのだろう?
長期間そこに身を置くと何を思い、身体と精神はどのような反応を見せるのか?」
準備編の紀行記でも350頁、結構な読み応え。
本編を読むのが楽しみです。
「極夜行前」
冬の北極とか南極で太陽が地平線の下に完全に沈み、24時間中真っ暗になる現象を言うのだそうです。
本書は、そこを犬一匹と橇を引いて4か月旅をする様を描いた「極夜行」の前編であり、
3回にわたる準備の旅の記録です。
準備といっても3年がかりの旅で、GPSも衛星電話を使わない北極圏の道行は
常に死と隣り合わせであったようです。
角幡雄介という探検家の名前は知っていましたが、詳しくは知らなかったので
本書を読み進めて90頁目の、氷の途中の割れ目に落ちて死にかけた所で
「もっと雪の量が少なければ、海中に没し、潮流に流され、氷盤の下に入り込んで死亡していただろう。
死体は二度と見つからず、私の妻は結婚して僅か半年で未亡人となっていた」。
というくだりで、初めてこの人が新婚だと分かりました。
新婚でこんな危ない探検に出かけていたということにも驚きましたが。
本書に書かれた3回の準備旅のうち、1回目は六分儀を使った天測を学ぶため、
2回目は本番で同行する犬を教育するため、3回目は本番に備えて
食料燃料を各地のデポに貯蔵するためのカヤックの旅であったらしい。
私には、2回目の犬との旅が一番面白く読めました。
著者は、現地のイヌイットから、一匹の一歳犬を買い求めます。
食料や燃料を積んだ橇は150㎏にもなり、自分一人では到底引くことができない。
イヌイットの流儀に基づいて犬と共に極夜行を計画するのですが
著者は犬を飼ったことも躾けたこともがなく、ウヤミリックという名のその犬も橇を引いた経験はまだない。
文字通り手探りで始まった旅は、中々思うようには行きません。
ウヤミリックは、旅先でホームシックになったり、ご飯を食べなくなったり、
怯えて動かなくなったり、橇を引かなくなったり、著者の思うようには扱えないのです。
「なんでそんなことも分からないのか、お前はそんなに阿呆だったのかああああ!と
私は叫び出したい心境だった。元々知能が低いのか、犬とはそんなものなのか。
あるいは飼い主に似て要領が悪いのか、それとも私の教育が悪かったのか」。
しかし極夜の北極圏において、犬の反抗は、著者と犬の死を意味します。
「もはや怒りを制御できなくなった私は再びストックで何度も背中を叩き、拳を握り締めて顔面に強打の嵐を見舞った。
私のあまりの変貌に犬は信じられないという表情をし、恐怖のあまり小便をびしゃああああっと盛大に漏らした」
この他にも、著者は怒りに任せて、書き写すに堪えないようなもっと酷い折檻を繰り返す。
それでも
「私が今この瞬間、この地で生きていることを知っているのは、唯一、犬だけだった」
という旅を続けるうちに、両者は次第に心を通わせて行くのです。
氷点下30度以下の極寒の世界。
ウサギを20羽殺しその毛皮を縫い合わせて防寒着を作り、海鳥を何十羽も仕留めて干し肉を作り、
ジャコウウシを射殺してその強烈なアンモニア臭のする肉を食べ(時にはウジが何百匹も蠢く腐った肉も)
海象(説明がなくて何のことか分からなかったがセイウチのことらしい)に何度も襲われ、
北極熊の襲来に怯え、凍傷になりかけ、孤独と暗闇と極寒と恐怖に耐え、
そこまでして著者は何故に極夜行を目指すのか。
「万物を規定し、私たちの生命を律動させる太陽がない世界というのは、一体どういう世界なのだろう?
長期間そこに身を置くと何を思い、身体と精神はどのような反応を見せるのか?」
準備編の紀行記でも350頁、結構な読み応え。
本編を読むのが楽しみです。
「極夜行前」
肉体の限界を超えているアスリートに近い挑戦だと思いますし、本能が頼りなんじゃないですかね。でも、極夜はそんな犬の本能じたいを狂わせると思いますので、北極点の制覇という本物の難行に欠かせない、文字通りに「お犬様」に為ると思います。
大切に命を繋ぎつつ、教育として過剰な甘やかしは禁忌で、犬と遊びつつ躾ける、角幡さんは自分の分身のように思っていたのではないでしょうか。
詳しい関連は分かりませんが、地軸が近いし、磁石も狂う時があるようなので、極夜による更に暗闇というのは、本当に命懸けの旅だと思います。AIや機械による技術革新はこうした難行を助けるでしょうが、人間がやるから価値のある仕事というのは、こうした心震わせる難行にあるのかも知れませんね。
北極は何時まで経っても開発されないので、こうした難行に慣れる事も、軽視される事も無いと思います。北極点への挑戦者というのは、いつまでもフロンティアの開拓者なのではないでしょうか。
最近では、本格的な冒険記は久しぶりでした。
この本の中でも、著者は何度も死にかけています。
訓練された犬、ではないのです。
この本に出て来る犬は、まだ訓練されていない子犬を(1歳なので体は成犬ですが)角幡氏は買い取ったのです。
そんなんで死に物狂いの旅に出かけて大丈夫なのかと、ハラハラしました。
確かに凄いフロンティアですよねえ。
怖いもの見たさでゾクゾクしながら読みました。
こちらの本はまだ準備編なのですか!?
本編も凄そうですが、実際の旅の過酷さはもっとかもしれないですね。
極夜のお話は何度かしたかもしれないですが、北極圏ほどではないですけれど、ノルウェーでも極夜に近いものを経験します。
一年のうち夏は白夜ですが、真冬の数か月は極夜ですね。最初の一年は乳飲み子を抱え誰とも口を利かず過ごしたのでちょっとだけ気持ちが判るような気がします☆家の中が温かかったのだけが救いでしたね。
『空白の五マイル チベット・・・』
『探検家の憂鬱』を読みました。
慈眼寺 の塩沼亮潤(大峰千日回峰行者・大阿闍梨)との対談ではお互いに刺激を受けているように思えました。
なぜこんな思いまでして旅をするのでしょうと思います。
読んでみようと思いました。
私が北欧に行ったのは夏だったので
いつまでも日が暮れない、明るいイメージなのですよ。
角幡氏の旅はグリーンランドの北部中心です。
暗黒、極寒の想像を絶する世界でした。
この本ではスポンサーや費用の捻出方法には触れられてなかったのですが
一体、遠征費用はどうしたのだろう?と気になりました。
大峰千日回峰も想像を絶する修業ですよね。
どうしてそこまで酷なことをと思っちゃいますよねえ。