旭射し ルッコラ手折りモーニング 僅かなそよぎと君影草
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昨日もブログできなかった。忙しくなればなるほど今使ってい
るパソコンのちんたらとした動きがしゃくに障る。パソコンが
欠陥品ではないかとの思いは、25年前から比べれば免罪され
るかもしれないし、インテルなどのCPUメーカのハードウェ
アの進展進捗からみればこれが限界なのかとも多少なりとも同
情を引く。が、しかしOSなどという公的電子構文メーカ、い
っておくが、『漢検』の不当利益着服問題とはかけ離れた先端
的で同時代的で汎用性に優れた公的な商品を扱う業界の私企業
が利益を独占するだけでなくアプリケーションソフトという川
下まで支配し、あるいは、寵愛するワードプロセッサーソフト
(具体例として『一太郎』)の使用を意識的に(?)妨げる行
為は『超違法行為』だと思っている。
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例えばいま使っているOSを某競合メーカのものに載せ替える
ことも可能だがそれでOSの販売を‘公的事業’と捉え問題解
決するベクトルにはなく同じ穴のムジナのような感は歪めず、
91年の日米経済協議の対象として坂村健の‘Bトロン’が二
国間で政治的に葬去られた経緯からすると世界一のビルゲイツ
の数兆円の資産というものがいかに市場根本主義(≠市場教条
主義)を歪めてきたことかと思う。これは農業問題のように政
治介入の不可避性として現れている。
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脱線した。というより眠くて中断してしまった。今朝の連ドラ
『つばさ』に「青春っていいな」^^;。「ひでき感激!」と胸
に落としモーニングシャワータイム。白山神社の神官に昨夜の
春祭りの反省会の疑問を電話で尋ね、これから、家方克巳の実
母の告別式に列席するのでまた中断だ。
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さて、‘現在的な剰余価値’とはなんだろうか、また、‘現在
的な剰余価値’はどうすればつくりだすことができるのかを問
おうしていたのだ。その源泉である‘労働’を(1)突破(=
開発・調査)、(2)調整、(3)維持の3つの重層的形態に
分けてみて照らせば、ビルゲーツ的な営利活動は(1)と(3)
においては充分だろが(2)においてその成果物が公的な電子
構文つまり、日本語を喋ると‘上がり’がはいる仕組みという
ものが営利企業として如何に成功しようともいかがわしさが付
きまとうのは明白であり、その営利行動の規範づくり(=調整)
に失敗しているように思える。
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そこで(3)において、折角生み出された剰余価値(P→W→
P’、但し、P<P’)は、現在においては驚異的な空間的広
がり及遅延時間の短縮の進展により企業間或いは共同体間の格
差の維持が極端に困難である(逆説的にいえば、暴利が上がる
仕組みは反社会的行動で、その意味において本来、(2)が仕
事の公務員が(3)の形態で民間人の給与所得を上回ることが
許されないのは道理である)。
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冗長的となった。結論を急げば(1)がいま一番求められてい
る。反発と誤解を恐れずにいうと、『贈与経済』の実現に向け
(=)金融工学や金融派生商品の開発それ自体は(1)の範疇
にあり、性急な国家政策と営利行動により破綻したが、翻って
労働価値(W→P→W'、但し、W<W’)に転倒し考えると、
中野剛志が(『働くとはどういうことか』/「表現者」23号)
指摘する「最初に労働ありき」「自分のことは自分が一番知り
つくしている」という前提の新自由主義の労働観の軽薄さの克
服の此岸に想定される。そして同じく、杉原志啓はヒルテイと
アランの「幸福論」を引用しつつ、「この人生おいて仕事のな
い休息には耐えられない」(『仕事とは人生のことである』)
と述べ、また、前田雅之は「職業に貴賤なしというが、それは
はたらくという行為がどのような職業であれ、人間をともかく
まじめにさせるから(中略)そこには、はたらくことが他者に
よって作られる公に向かってなされるという前提と意味づけが
あったはずである。」(『はたらくとは自己を「公」に組み入
れること』)として働く意味の再考を促す。
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「紐帯」「連帯」もよく似たものだけれどそういったものを喪
失する背景を是正する主体形成が、過剰な商品社会の労働の意
味が問われ、同時にその財貨・サービスの消費者の質が問われ
ているのだが、科学技術進歩の影響は否定しきれないのは今回
の豚インフルエンザをみれば明らかで、前職でもそうで、写真
印刷プロセスの『デジタル革命』の影響で「市場」が忽然と消
滅するかの事態や真空管がダイオードに置き換わるように、ブ
ラウン管が固体素子デバイス(あるいはパネル)に置き換わる
経営危機を経験している。また、70年代の10年間、労働組
合設立運動に加わった経験から労働組合のない労働者がいかに
惨めな生涯を送らなければならないことも、経営手腕がいかに
大切かも熟知いている。
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そして、職場の市場開拓力乃至は獲得力に翳りを感じ、付加価
値の高い事業開発の‘突破’の労働に定年退職する10年間従
事してきた。こういえば聞こえ良いが、滑稽で惨めな体験の連
続でこれに耐え抜く精神力と知力が必要なことも熟知している。
だからこそ、西部邁らの「発言者塾」周辺の主張は、‘日暮れ
て道遠し’の足下を照らす灯りには違いないが、それ以上のも
のでもない。残された時間も少ないが、地頭力と実践でひとつ
ひとつ‘突破’していくしか手はないと思っている。
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幼子は蝉も花火も怖がりて君影草の花のようです 藤井玉子
ルッコラが育ち玄関先であさひを浴びながら自然のサラダを口
にする習慣が出来つつある。朝の慌ただしい仕事をこなす彼女
と鈴蘭を重ね、日々こなす仕事は決しておきまりではなくその
日その日の微妙な感情の違いを微風に揺れる様として歌う。鈴
蘭とはユリ科(APG植物分類体系ではスズラン科)スズラン属
に属する多年草の総称。君影草、谷間の姫百合の別名もある。
小型の多年草。地下茎は横に這い、地上に茎を伸ばす。葉鞘の
筒が直立し、その先端から楕円形の葉が2枚くらい展開する。
葉は緑色で柔らかく、わずかに粉を吹く。春から初夏にかけて
芳香のある鈴のような白い花を複数個、葉の下側に隠れるよう
につける。「鈴蘭」という和名はこのベルを下げたような花形
に由来する。学名の「Convallaria」はラテン語の「convallis(谷)
」「leirion (ユリ)」が語源で、英語でも「lily of the valley(谷間
の百合)」と呼ばれる。フランスでは5月1日をスズランの日
とも呼び、好きな人やお世話になっている人へスズランを贈り、
スズランを贈られた人は幸せになるといわれる。ユリ科の多年
草「スズラン」。花言葉は「希望」「純愛」。
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この間食べたピッツアジェノベーゼの感触が忘れられず、家で
つくってみようと調べる。イタリア料理への思い入れは20年
前からで転職のアイテムとして考えていた時期があったことを
3冊のクッキングブックを見ながら思い出した。これから季節
は夏に向かいアウトドア・クッキングのアイテムとしてのイタ
リアンも魅力的だ。毎年、職域仲間と小鮎釣りとバーベキュー
を近くの水辺で楽しんでいるが、今年は趣向凝らして、バーベ
オレガノ
キューとエキストラバージンオリーブオイルとバジル、チーズ、
松の実を使用したジェノバ風バジルソースにサラミ、アンチョ
ビィ、トマト、黒オリーブ等を加えた「夏パスタ」を一品加え
ようかと思っている。勿論、バジルは自家試験菜園のものを使
う予定だし、ハーブとスパイスも多数収穫できるので参加者に
喜んでもらえれば最高の気分だろう。
ところで、今回初めてジェノヴァをネット上で検索してみて、
かのコロンブスの生家があることも知った。今回の旅行のコー
スから外れており死ぬまでに訪れることはないだろうと思った。
フェッラーリ広場
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の夜空に」などのヒット曲を生んだ忌野清志郎が亡くなった。
ザ・スターリンの遠藤ミチロウらと並ぶ時代のロック・バンド
でストレートで桑田佳祐と同じく日本語の歌詞韻律を曲に乗せ
ること(三連符の多用)に成功したJーPOPの草分けだった。