極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

鈴蘭とジェノバ

2009年05月01日 | 時事書評


旭射し ルッコラ手折りモーニング 僅かなそよぎと君影草




昨日もブログできなかった。忙しくなればなるほど今使ってい
るパソコンのちんたらとした動きがしゃくに障る。パソコンが
欠陥品ではないかとの思いは、25年前から比べれば免罪され
るかもしれないし、インテルなどのCPUメーカのハードウェ
アの進展進捗からみればこれが限界なのかとも多少なりとも同
情を引く。が、しかしOSなどという公的電子構文メーカ、い
っておくが、『漢検』の不当利益着服問題とはかけ離れた先端
的で同時代的で汎用性に優れた公的な商品を扱う業界の私企業
が利益を独占するだけでなくアプリケーションソフトという川
下まで支配し、あるいは、寵愛するワードプロセッサーソフト
(具体例として『一太郎』)の使用を意識的に(?)妨げる行
為は『超違法行為』だと思っている。




例えばいま使っているOSを某競合メーカのものに載せ替える
ことも可能だがそれでOSの販売を‘公的事業’と捉え問題解
決するベクトルにはなく同じ穴のムジナのような感は歪めず、
91年の日米経済協議の対象として坂村健の‘Bトロン’が二
国間で政治的に葬去られた経緯からすると世界一のビルゲイツ
の数兆円の資産というものがいかに市場根本主義(≠市場教条
主義)を歪めてきたことかと思う。これは農業問題のように政
治介入の不可避性として現れている。




脱線した。というより眠くて中断してしまった。今朝の連ドラ
『つばさ』に「青春っていいな」^^;。「ひでき感激!」と胸
に落としモーニングシャワータイム。白山神社の神官に昨夜の
春祭りの反省会の疑問を電話で尋ね、これから、家方克巳の実
母の告別式に列席するのでまた中断だ。




さて、‘現在的な剰余価値’とはなんだろうか、また、‘現在
的な剰余価値’はどうすればつくりだすことができるのかを問
おうしていたのだ。その源泉である‘労働’を(1)突破(=
開発・調査)、(2)調整、(3)維持の3つの重層的形態に
分けてみて照らせば、ビルゲーツ的な営利活動は(1)と(3)
においては充分だろが(2)においてその成果物が公的な電子
構文つまり、日本語を喋ると‘上がり’がはいる仕組みという
ものが営利企業として如何に成功しようともいかがわしさが付
きまとうのは明白であり、その営利行動の規範づくり(=調整)
に失敗しているように思える。


 

そこで(3)において、折角生み出された剰余価値(P→W→
P’、但し、P<P’)は、現在においては驚異的な空間的広
がり及遅延時間の短縮の進展により企業間或いは共同体間の格
差の維持が極端に困難である(逆説的にいえば、暴利が上がる
仕組みは反社会的行動で、その意味において本来、(2)が仕
事の公務員が(3)の形態で民間人の給与所得を上回ることが
許されないのは道理である)。



冗長的となった。結論を急げば(1)がいま一番求められてい
る。反発と誤解を恐れずにいうと、『贈与経済』の実現に向け
(=)金融工学や金融派生商品の開発それ自体は(1)の範疇
にあり、性急な国家政策と営利行動により破綻したが、翻って
労働価値(W→P→W'、但し、W<W’)に転倒し考えると、
中野剛志が(『働くとはどういうことか』/「表現者」23号)
指摘する「最初に労働ありき」「自分のことは自分が一番知り
つくしている」という前提の新自由主義の労働観の軽薄さの克
服の此岸に想定される。そして同じく、杉原志啓は
ヒルテイ



アランの「幸福論」を引用しつつ、「この人生おいて仕事のな
い休息には耐えられない」(『仕事とは人生のことである』)
と述べ、また、前田雅之は「職業に貴賤なしというが、それは
はたらくという行為がどのような職業であれ、人間をともかく
まじめにさせるから(中略)そこには、はたらくことが他者に
よって作られる公に向かってなされるという前提と意味づけが
あったはずである。」(『はたらくとは自己を「公」に組み入
れること』)として働く意味の再考を促す。




「紐帯」「連帯」もよく似たものだけれどそういったものを喪
失する背景を是正する主体形成が、過剰な商品社会の労働の意
味が問われ、同時にその財貨・サービスの消費者の質が問われ
ているのだが、科学技術進歩の影響は否定しきれないのは今回
の豚インフルエンザをみれば明らかで、前職でもそうで、写真
印刷プロセスの『デジタル革命』の影響で「市場」が忽然と消
滅するかの事態や真空管がダイオードに置き換わるように、ブ
ラウン管が固体素子デバイス(あるいはパネル)に置き換わる
経営危機を経験している。また、70年代の10年間、労働組
合設立運動に加わった経験から労働組合のない労働者がいかに
惨めな生涯を送らなければならないことも、経営手腕がいかに
大切かも熟知いている。




そして、職場の市場開拓力乃至は獲得力に翳りを感じ、付加価
値の高い事業開発の‘突破’の労働に定年退職する10年間従
事してきた。こういえば聞こえ良いが、滑稽で惨めな体験の連
続でこれに耐え抜く精神力と知力が必要なことも熟知している。
だからこそ、西部邁らの「発言者塾」周辺の主張は、‘日暮れ
て道遠し’の足下を照らす灯りには違いないが、それ以上のも
のでもない。残された時間も少ないが、地頭力と実践でひとつ
ひとつ‘突破’していくしか手はないと思っている。





幼子は蝉も花火も怖がりて君影草の花のようです     藤井玉子


ルッコラが育ち玄関先であさひを浴びながら自然のサラダを口
にする習慣が出来つつある。朝の慌ただしい仕事をこなす彼女
と鈴蘭を重ね、日々こなす仕事は決しておきまりではなくその
日その日の微妙な感情の違いを微風に揺れる様として
歌う。
蘭とはユリ科(APG植物分類体系ではスズラン科)スズラン属
に属する多年草の総称。君影草、谷間の姫百合の別名もある。
小型の多年草。地下茎は横に這い、地上に茎を伸ばす。葉鞘の
筒が直立し、その先端から楕円形の葉が2枚くらい展開する。
葉は緑色で柔らかく、わずかに粉を吹く。春から初夏にかけて
芳香のある鈴のような白い花を複数個、葉の下側に隠れるよう
につける。「鈴蘭」という和名はこのベルを下げたような花形
に由来する。学名の「Convallaria」はラテン語の「convallis(谷)
」「leirion (ユリ)」が語源で、英語でも「lily of  the valley(谷間
の百合)」と呼ばれる。フランスでは5月1日をスズランの日
とも呼び、好きな人やお世話になっている人へスズランを贈り、
スズランを贈られた人は幸せになるといわれる。ユリ科の多年
草「スズラン」。花言葉は「希望」「純愛」。



この間食べたピッツアジェノベーゼの感触が忘れられず、家で
つくってみようと調べる。イタリア料理への思い入れは20年
前からで転職のアイテムとして考えていた時期があったことを
3冊のクッキングブックを見ながら思い出した。これから季節
は夏に向かいアウトドア・クッキングのアイテムとしてのイタ
リアンも魅力的だ。毎年、職域仲間と小鮎釣りとバーベキュー
を近くの水辺で楽しんでいるが、今年は趣向凝らして、バーベ

 オレガノ

キューとエキストラバージンオリーブオイルとバジル、チーズ、
松の実を使用したジェノバ風バジルソースにサラミ、アンチョ
ビィ、トマト、黒オリーブ等を加えた「夏パスタ」を一品加え
ようかと思っている。勿論、バジルは自家試験菜園のものを使
う予定だし、ハーブとスパイスも多数収穫できるので参加者に
喜んでもらえれば最高の気分だろう。

メイン画像

ところで、今回初めてジェノヴァをネット上で検索してみて、
かのコロンブスの生家があることも知った。今回の旅行のコー
スから外れており死ぬまでに訪れることはないだろうと思った。

 フェッラーリ広場


Kiyoshiro Imawano - 雨上がりの夜空に

ロックバンド、RCサクセションのボーカルとして「雨上がり
の夜空に」などのヒット曲を生んだ忌野清志郎が亡くなった。
ザ・スターリンの遠藤ミチロウらと並ぶ時代のロック・バンド
でストレートで桑田佳祐と同じく日本語の歌詞韻律を曲に乗せ
ること(三連符の多用)に成功したJーPOPの草分けだった。
 
井上陽水  忌野清志郎  高中正義  細野晴臣 チト河内UNIT  (7/10)                    合掌                
             




 

 

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