イオニアの立波草の海原を 越えて結びし友愛の証
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Medousa
シチリアといえば、ギリシャ神話の大地母神ガイアと海神ボ
トンの子のポルキュス(Phorcys)と海の怪物の鯨を意味したケ
ート(Keto)との海神の娘達であるゴルゴーン(Gorgō)三姉妹の
ひとりで美貌メドゥーサの顔とパレルモとメッシーナ、シラ
クサの三のつ岬をシンボリックした三本の素足を描いた州旗
のシンボル、紋章のシチリアの古名でもあるトリナクリア(
Trinacria)が特異的な人類史の始原の象徴として強烈な印象を
与えた。
Coat of arms of Sicily
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また地理的には、北方のエオリア諸島、西方のエーガディ諸
島、北西のウスティカ島、南西のペラージェ諸島は、シチリ
ア島と同じ行政区分に属する。南方のマルタ島は、マルタ共
和国として別の国家。2,000年以上前から穀物をはじめとする
農作物の生産地である。なかでもオリーブとワインが特産品。
カルタニッセッタ県は、19世紀には硫黄の一大産地であった
が、1950年代以降、産出量は減り続けている。イタリア本土
とシチリア島を結ぶメッシーナ海峡大橋建設計画は(2015年
完成予定だった)2006年に計画は中止されたという。
Malta
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古代ギリシア
シチリアの歴史は古く、紀元前8世紀にギリシャ人の植民が
開始、紀元前734年頃、シケリア最大の植民市シラクサ(現
在のシラクサ)の他、ゲラ、アクラガス、セリヌス、ヒメラ、
メッシーナ、レオンティノイなどが建設された。これらの都
市は古代ギリシャの重要な一部となり、ギリシャの学者とし
て有名なエンペドクレスやアルキメデスはこの島の出身。
Mikenes lion gate
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紀元前431年にペロポネソス戦争が起き、イオニア系植民市と
ドーリア系植民市の抗争が激化しアテナイが介入。これに対
しシケリアの全都市の代表は紀元前424年ゲラに会合し、シケ
リア以外からのいかなる干渉をも排することを盟約。敵国の
コリントスとの経済断交を求めてアテナイはシケリアへの遠
征を試み、紀元前415年シュラクサイ(コリントス系植民都市
)を包囲したが、スパルタからの援軍によって紀元前413年ア
テナイ軍は撃退された。
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Ruines de Carthage
ヘレニズム期にギリシャはカルタゴと戦争状態に入り、紀元
前410年に再びカルタゴと戦争状態となり、第二次シチリア戦
争でカルタゴはシチリア島からギリシャを駆逐しようとし両
軍が多大な犠牲を払う。紀元前315年からの第三次シチリア戦
争でカルタゴはシラクサとメッシーナが支配する島の東部を
除いた他の領域を支配下におく。紀元前280年からカルタゴが
支配していたシチリアの奪還及び共和政ローマへの牽制を目
的として、エピロス王ピュロスがシチリアへ攻め込んだもの
の失敗に終わる。いよいよローマ属州期に入るが容量が尽き
そうで次回のお復習いとしよう。
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タツナミソウ属(Scutellaria)とはシソ科の属の一つ。世界中
に分布しており約200種ある。花の形が独特で鑑賞用に栽培
される。日本産の多くの種が筒状で先が膨らみ、上が丸く膨
らんだ花をつけ、その基部は横に出てすぐに上を向いて曲が
り先端は水平に開く。花が穂状に多数付き、同じ方向に向い
て花を咲かせる姿が波頭の文様を思わせることから、この名
が付けられた。尚、花がまっすぐに水平に伸びるものはナミ
キソウといわれる。
日常の微分の無限量の彼方に想いを馳せ西極の古代の友情物
語(太宰治『走れメロス』)を読み返すように大きく歌う。
紫色の花の「タツナミソウ」。花言葉は「義侠の行為」。
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【S氏への追伸】
Kenneth E. Boulding
昨夜は失礼した。ブログで書いてきたようにいまの時代は‘
ネオ贈与経済時代’だ。その代表的人物として知っての通り
伊能忠敬を挙げることができる。その自律的な社会奉仕活動
こそ付加価値産出型労働だと思う。いまは景気が後退局面で
苦しいが、そんな気持ちで仕事をやってもらいたいし、前の
伊能忠敬
経験を生かして共助すれば、少々のリスクが伴なおうとも、
臆せず前に進めるし、過剰生産構造から脱する事業が生まれ
るものと信じている。近くにいることだし積極的に相談して
欲しい。きっとうまく行くと思う。
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