極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

藤の花に上昇気流

2009年05月10日 | 国内外旅行


淡き恋 自ずと揺れるブランコの 藤棚の下駈け抜けてゆく


 熊野本宮大社 


たちのぼる月の辺りに雲消えて 光重ぬるななこしの峯

                       『
山家集』下巻  


睡眠不足で早朝6時に出発。名神高速-近畿自動車道-阪和自
動車道-国道311号-国道168号を経て、約5時間半のドライブ
で熊野本宮大社に到着。上天気だ。二人で熊野古道散策には、
在宅介護の妻との遠出は半年前には準備する必要があり今回は
単独行動。それにしても、強行スケジュールの日帰りとあって
は、新宮、那智の熊野三山を一日での走破は無理と判断。後日
再挑戦する。

map 熊野三山&古道浪漫

帰路は眠気のためトンネルの多い阪和自動車道で、ハットさせ
られることが多かったし、大津インター近くの逢坂山トンネル
内での点灯忘れか帰宅まで気がつかなかったという尾鰭もつい
た。とこで、本宮大社の大斎原(これで「おおゆのはら」と読
ませるのだから日本語は難しい)の大きさには圧倒させられた。

 

明治22年(1889年)8月の水害時(1895年にも水没している)
まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流
点の中洲の大斎原にあり、かつての本宮大社は、およそ1万1
千坪の境内に五棟十二社の社殿が立ち並び、楼門がそびえ、神
楽殿や能舞台、文庫、宝蔵社、務所、神馬舎があり、1891年(
明治24年)3月現在地に上四社が遷座されたが、現在の8倍も
の規模を誇っていたという。

 八咫烏


あらたなる熊野詣のしるしをば 氷の垢離に得べきなりけり

み熊野のむなしきことはあらじかし むしたれいたの運ぶ歩みは

                       『
山家集』下巻
  



 那智大社


江戸時代まで音無川には橋が架けられず、参詣者は音無川を草
鞋を濡らして徒渉し、「濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂」とい
い、参詣者は音無川の流れに足を踏み入れ、冷たい水に身と心
を清めてから本宮の神域に入ることは許されない「精進潔斎」
の熊野詣というが時代は移ろうものと少々軽信の後ろめたさが
付き纏う ^^;。

 




それにしても、日本一の鳥居で高さ34m、幅42mの途轍もない
大きさ。平成12年に建立したというがどうやって立て直したの
か不思議だ。そんな気分だが、帰宅しネットで熊野文化を調べ
ていると徐福伝説など日本文化のルーツとして、社会環境生態
学のコアとして、例えば‘ギルフ・ケビールの岩絵’の浪漫を
感じることができればこれにこしたことはない。




 
 
確かに5月の風は上向きかけている。世界経済は多少の揺り戻
しがあろうとも底を打っているに違いない。それを確実にする
には、今国会で審議されている補正予算案のブラシ・アップを
早期に実現し通すことだ。そして、底抜けしている‘新・社会
保障制度’を早急に構築することだ。そして、‘環境リスク本
位制’の具体化(米国の‘グリーン・ニューディール’に相当
)。これは、BRICsに対する積極的環境劣化防止の積極的
な海外経済援助が前提。ロシアについては、北方四島返還交渉
とは別に、北海道サハリン州の自治住民共同経済互恵活動を
促進させることも必要だ(「バブリーな軽佻浮薄」な行動を戒
める)と詳細抜き
抜け抜けと書き散らすのも問題だがそう思う。

 



フジ(藤)は、マメ科のつる性の落葉木本、フジ属の総称。4
~5月に淡紫色または白色の花を房状に垂れ下げて咲かせる。
フジ属は、日本、北アメリカ、東アジアに自生し、日本固有種
としてはフジ(ノダフジ)とヤマフジの二種がある。このほか、
中国でシナフジ、欧米でアメリカフジなども栽培されている。
異名に「さのかたのはな」、「むらさきぐさ」、「まつみぐさ
」、「ふたきぐさ」、「まつなぐさ」などがある。

ファイル:Wisteria floribunda6.jpg

藤の成分には、ポリフェノールが含まれ、花粉症、動脈硬化、
糖尿病、メタボリックシンドロームなど、現代の生活習慣病の
改善や体質改善に有効な働きをする。(1)つるはポリフェノ
ールが含まれ、攪拌した粉をクッキーやせんべいにする。(2)
若芽はゆでて和え物や炒め物、(3)花は湯がいて三杯酢や天
ぷら、塩漬けして「花茶」に用いる。(4)種子はポリフェノ
ールが含まれ、以前は食用にしていたが、花後に剪定すると、
実にならないので、現在では入手が困難になりつつある。

 藤枝市の藤づくし

瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり

                        正岡子規
  



そんなことあんなことを考えていた時、安達明の『女学生』を
突然に思い出した。あぁ、あの頃は丸坊主で近くの女子高校の
文化祭の新聞部の活動取材で知り合った彼女がいたっけ。藤の
花の色よりなお淡い薄紫な青春の一頁。青春か、そうだ、小椋
佳の『海辺の恋』や『うす紅の』も良い歌だったなぁ。
 
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資生堂 小椋桂『海辺の恋』


  こぼれ松葉をかきあつめ
  おとめのごとき君なりき、
  こぼれ松葉に火をはなち
  わらべのごときわれなりき。

  わらべとおとめよりそひぬ
  ただたまゆらの火をかこみ、
  うれしくふたり手をとりぬ
  かひなきことをただ夢み、

  入り日のなかに立つけぶり
  ありやなしやとただほのか、
  海辺の恋のはかなさは
  こぼれ松葉の火なりけむ。

         作詞 佐藤春夫


大いなる旅路 / 小椋佳  小椋佳『うす紅色の』


File:Wisteria floribunda5.jpg

初恋などいつのことかというほどに恋多き多感な青春。誰も乗
っていない(二人の)ブランコを揺らし藤棚を駈けていく、も
う初夏の匂いする清風。そんなわけで、フラッシュ・バックし
た切ない思い出を歌う。

                      

コメント
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