雨の夜 二人で駆ける レスキュー 戻る車中で かりゆしが流る
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かりゆし58「アンマー」
【沖縄の心を踏みにじる】
どうしてこうなるのだろうか。言葉の軽さば
かりが鼻につく鳩山首相だ。ここまで来たら
沖縄に政府の「機動官邸」を設置し専門スタ
ッフを張り付かせじっくりと取り組むことだ。
そう、昨年末の「反貧困」テント村のように
真剣な取り組みを始める。そんなことしか思
いつかない。
話はかわるが、「かりゆし58」の歌がいい
とCDを珍しく彼女が買って聴いている。
もうすぐ今日か終わるやり残したことはないかい
親友と語り合ったかい燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない暁闇を胸に刻み込んだかい
夕飯時町人いきれ「ただいま」と「おかえり」の色
せわしない木漏れ日花ひら「おはよう」と「さよなら」の音
ありふれた日々か君や僕の胸に積もって光る
もうすぐ今日か終わるやり残したことはないかい
親友と語り合ったかい燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない暁闇を胸に刻み込んだかい
今動き始めたものやもう二度と動かないもの
今灯り出した光や静かに消えていく光
この夜の向こうで新しい朝か世界に陥り始めている
旅立ちの暁はいつだって少しI陥いけど
これも希望のかたちだってちゃんと分かってる
思い出に変わるのはきっと最後の最後さ
笑って「さよなら」を言えたらいいな
またすぐ明日に変わる忘れてしまっていないかい
残された日々の短さ過ぎ行く暁の早さを
一生なんて一瞬さ命を燃やしてるかい
かけがえのない暁闇を胸に刻み込んだかい
もうすぐ今日か終わるもうすぐ今日か終わる
かけがえのない暁闇を胸に刻み込んだかい
「オワリはじまり」
詞/曲 前川真悟
情報通の彼女によると、彼らは上京せず沖縄
で演奏を続けるという。松山千春の北海道独
立宣言を思い出すようだが自立指向派の若者
たちだ。
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西安市
【荒神山と大橋利左衛門】
森林破壊
人口増え、生産力が向上すると環境が劣化す
る。30年前、中国は西安市郊外の(陽)市の
カラーテレビブラウン管製造プラントの建設
で中国を訪れ、印象深く焼きついていること
は、樹木が著しく少ないというものだ。この
ことは、中国大陸を知り尽くした、司馬遼太
郎の「日本人は植林を習慣としてきた世界で
もまれな民族」というDNAからは実に畸形・
異形な風景だ。
二胡演奏:长相思-Longing (Erhu)
最盛期で人口百万人とも言われる大都市に発
展した長安(現在の西安市)は、同時に食糧
問題という致命的な問題を内包し、関中地域
のみで長安の膨大な人口を支えるだけの食糧
生産は不可能であり、江南から大運河を通じ
て大量輸送を行うか、朝廷そのものを食糧搬
入が容易な場所に一時的に避難させる(洛陽
に副都を置いた理由の一つである)ことによ
って対応していたが、安史の乱以後は政治的
不安定から大運河の管理が次第と困難となり、
大運河が通航不可能となるとたちまち、食糧
価格の高騰で、貧困層の中には餓死が相次ぐ
ようになり、唐の滅亡後長安が再び都になる
ことは無かったとされる。
咸阳市
食糧だけでない、度重なる都市の営造や住居
に費やされる森林資源は濫伐され、林地荒廃
の進行や土砂の流出が規模の大きさが想像で
きるというものだ。例えば、唐時代の平均的
な木材の1人の消費量を仮に、2kg とした場
合、730万㌧/年となり、因みに木材の単位
発熱量14.4MJ/kg( 3,440kcal/kg )とすると、
10.5TJ/年となる。これを灯油換算し炭酸ガス
量に換える(灯油の発熱効率を86%として)、
10.5TJ/年÷36.7MJ/L÷0.86×2.49kg-CO2/L≒
828.4 t-CO2 /年となる。杉の炭酸ガス吸収量
が 73本/㌧だから約6万本で、杉換算で3,000
本/ha とすると、20ha(=20万㎡)となる。 因み
に木材重量の1/2は炭素で、CO2 は木材重量の
1.83 倍となる。4kg/日・人と仮定すれば倍と
なる。
※「事業者からの温室効果ガス排出量算定方法ガイドライン」
※「我が家のCO2/L排出量の紹介」
※「ストック型社会への転換」
Lester R. Brown
中国は私たちに新しい経済モデルが必要
だということを教えてくれている。その
モデルとは化石燃料ではなく、風力、水
力、地熱、太陽電池、太陽熱発電、生物
燃料などの再生可能エネルギー源を利用
したものだ。新エネルギーを希求してい
く過程では、風力気象学者が石油地質学
者に代わって重要な存在になるだろうし、
建物を設計する際には、エネルギー・プ
ランナーが中心的な役割を果たすように
なるだろう。
“Learning from China: Why the Western
Economic Model Will Not Work for the World ”
Lester R. Brown
月夜訴情 麗君
大橋利左衛門の偉業。明治4年、日夏町の人
たちは生活が大変苦しいため荒神山の木を競
い伐採・換金したという。中には根まで掘り
おこし、薪にしてしまった人もいた。荒神山
はわずかな年月の間に全山はげ山となり、山
崩くずれも発生。このことに心を痛めた若き
大橋利左衛門は、はげ山になった荒神山を何
とか昔の姿にもどし、村人たちのためになる
緑豊かな山にしなくてはと考え、村人たちに、
植林育成を呼びかけ、アカマツの植林をおし
すすめた。
利左衛門は荒神山の植林のほか、日夏街道の
開通や治水の仕事を行うなど、地域の人々の
ために貢献しましたが、37才の若さでこの世
を去る。昭和37年、村人たちは荒神山を緑の
山によみがえらせた利左衛門の数々の功績を
たたえ、宇曽川にかかる天神橋のたもとに石
碑を築いたといわれている。
荒神山
日本の森林が最も荒廃していた明治期、三大
ハゲ山とよばれた地域があった。滋賀県大津
市郊外田上山。治山治水問題に関心を持つ人
々にとってはつとに有名なハゲ山である。か
つて、うっそうとしたヒノキの美林で覆われ、
藤原京・平城京の造営材がここから伐りださ
れたという記録が『正倉院文書』の中に見ら
れるという。この時代において、遠く近江の
山林から用材を伐りだすには莫大な労力と時
間が必要であり、大和近郊の山林から大径木
は姿を消していた。仏教伝来以降の寺院建築
の隆盛と、たびたび繰り返された遷都による
都の造営等で、森林資源は濫伐され、林地荒
廃は進行し、土砂の流出が始まっていたとい
われているが、中国の長安と同じような地勢
学的相似が見られる。
田上山
河村瑞賢
※「田上山(たなかみやま)七賢人物語」
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