モーニング キューカンバー ガリガリと 塩振りかけて 美まし夏至かな
On the summer solstice today
I sprink salt on fresh cucumber
and eat noisily and rasping it
Oh, What a beautiful morning
在今天夏至
我撒鹽新鮮的黄瓜
吃喧嘩和刺耳它
哦、多麼美麗的早晨
【DHAの力】
さば1缶と金麦をセットとした試験は順調に推移している。しかし、不安が
ある。眼精疲労負荷が増加することへの反動だ。もう少し様子をみることに。
ところで、朝起きてテーブルの上には、ゆで卵2個と紫蘇振りかけおにぎり
2個と大きな胡瓜が2本並んでいるではないか。それをたずねると裏庭の朝
採れだという返事だ。そして、ゆびをさしてここのところがナメクジが食べ
た痕よと言う。なるほどと言いながら、早速、半分に割り味塩をふりかけ一
口囓る。・・・少し硬いかなぁと言うと、胡瓜の種類によるのよ。それと、
朝みつけたのは下の方の茎でなっていたから発見するのが早ければ、もっと
皮も薄く柔らかだったかもしれないないと彼女がいうので‘夏至の朝採れは
格別だ’と返歌を詠む。
■
デフレギャップの見積もりの多寡を巡って、内閣府と丹羽春喜が激論してい
る。いわく「内閣府のデフレ・ギャップ推計は信用ゼロだ」「内閣府の推計
では、現在の日本経済の技術水準が、40年前よりも低いことになる! そん
な馬鹿な!」と。
労働と資本の総合的な生産性(いわゆるTFP)の向上率を「技術進歩率」
と呼ぶことにすると、年率ベースでは、
GDP成長率(%)=技術進歩率(%)+労働と資本の総合投入の伸び率(%)
である。したがって「技術進歩率(%)÷GDP成長率(%)」という比率(
δ比率と呼ぶことにする)が与えられれば、潜在的な完全雇用・完全操
業の状態での総合投入の実質伸び率から、同じく 潜在的な完全雇用・
完全操業でのGDPの実質成長率を年率ベースで算定しうる。それを1970
年において完全雇用・完全操業の状態が達成されていたと仮定した場合
176兆円(同年のGDP実際値172兆円よりも潜在GDPは2.6の潜在的実質GDP
)を初期値として連接していけば、85年価格評価%上回っていたと推計
;85年価格評価)を初期値として連接していけば、本図のごとく、その
ような潜在的実質GDPの長期成長経路をも示しうるこになる。この潜在
的GDP水準と実際のGDP水準とのあいだの差が、デフレ・ギャップである。
丹羽春喜「デフレ・ギャッ推移図の説明」
ここで技術進歩率という耳慣れない言葉の定義を見たくなる。というのも技
術進歩率を貨幣価値で評価すると「ムーアの法則」を象徴するように進歩に
対して反比例して価格下落するからだ。それでは、川本卓司の『日本経済の
技術進歩率計測の試み:「修正ソロー残差」は失われた10年について何を語
るか?』で産業i の代表的企業は、以下のような粗産出量(gross output)
に関する生産関数を持つと仮定した上で、
Y i = F i S i K i Ei Hi Ni M i Zi
企業は、資本ストックKi 労働者Ni および中間財Miを使って、粗産出量を生
産する。生産要素の稼働率変動に関して経済学的に意味のあるモデルを考え
るために、ここでは資本ストックと労働者数は準固定的(quasi-fixed)と
し、それらの投入量を変更するには調整費用がかかると仮定するが、企業は
こうした準固定的な生産要素の稼働率(intensity)を変化させることがで
きると仮定する。Si は資本稼働率(すなわち資本ストックの使用時間)で
Hi は労働者1人当たりの労働時間、Ei は各労働者の「努力」水準であり、
総労働投入 Li は3つの変数の積Ei Hi Ni で与えられる。企業の生産関数 Fi
は生産要素投入に関して、局所的(local)にγi 次同次であると仮定する。
Zi は粗産出量を増加させる技術を表す指標である。なお、収穫逓増と不完全
競争が存在する経済において技術進歩を計測する際には、一般に付加価値ベ
ースよりも粗産出量ベースの生産関数を用いた方が望ましいことが知られて
いるとした上で、Solow、Hallにならって、ここでは1次近似(対数線形化)
した生産関数において、生産要素投入の成長によっては説明できない産出量
の成長を「技術進歩」と定義している。変数J に関して、dj は対数差分とし
て定義された成長率(≡ d log J )、J *は定常状態値を表し、生産関数を対
数線形化したうえで、標準的な費用最小化の1 階条件を用い式(1)を導
出する。
ところで、ソロー残差とは、生産力をあげるには、労働やその他材料を増や
すか、投入する資本 (機械) を増やすか、あるいは技術革新によって効率を
あげるかだ。このうち技術革新は直接は計測できないけれど、ほかのものの
増分を生産量の増分から差し引けば、残ったのが技術革新の分だ-これがロ
バート・ソローのアイデア。この考え方をもとに、戦後アメリカの産業力は
ほとんど (87.5%) が技術革新によるものだと主張する。
さて、統計学の教科書ばりの数式の羅列が続き、中間部を理解したと飲み干
し推計結果とその考察に移る。上表は、計測された平均マクロ技術進歩率(
年率)を期間別に示したもの。最も注目される民間経済全体の推計結果をみ
ると、1973~80 年と1980~90 年の平均マクロ技術進歩率はそれぞれ3.0%、
2.3%であるのに対し、1990~98 年は2.1%である。深刻な不況の影響を受け
た1998年(半導体不況や阪神大震災の影響)を除くと、1990年代の平均マク
ロ技術進歩率は2.6%になる。これらの結果をみる限り、1990年代に技術進歩
のペースが大きく落ち込んだという証拠はほとんど見出されない。この点は、
推計された技術進歩とTFPの「水準」をプロットした図にすると、技術進歩と
TFP 双方の水準を1990年に1となるよう標準化していて、技術水準と生産性
が1990年頃まで着実に上昇し続けたものの、1990 年以降、生産性の成長が
急激に鈍化する一方で、推計された技術進歩は近年まで着実に成長し続けた
ことが窺われとし、収穫逓増と不完全競争、資本と労働の稼働率変動、生産
要素の再配分を「修正」した集計ソロー残差を推計し、日本経済の「真の」
マクロ技術進歩率の計測を試みた。その結果、1990年代に観察された生産性
の低下は、技術進歩率の低下によってもたらされたものではないという頑健
な結論を得た。本論文の結果は、日本経済の「失われた10年」をRBC理論的
なロジックで説明しようとする考え方に疑問を投げ掛けるものであると結ぶ。
※リアルビジネスサイクル理論(theory of real business cycle)とは景
気循環の要因は生産技術や財政政策などの実質変数(実物的要因)に限られ
るとするマクロ経済学の理論である。リアル (real) とは実質的(実物的)
を意味し、いわゆるモノに関連した要因を意味している。ビジネスサイクル
(business cycle) とは景気循環を指す。「実物的景気循環理論」と訳す場
合もある。2004年のノーベル経済学賞は、フィン・キドランドとエドワード・
プレスコットのこの分野に対する貢献に対して贈られている。(代表的な論
文としてKydland and Prescott(1982年)が挙げられる)。リアルビジネス
サイクル理論は、ジョン・ミュースのアイデアに基づいてロバート・ルーカ
スが最初に定式化したマクロ経済学のモデルである。新しい古典派経済学
(new classical economics) の代表的なフレームワークの一つである。この
理論の主張点は、マネーサプライや物価水準などの名目変数の変動が景気循
環を引き起こすのではなく、生産技術や財政政策などの実質変数(実物的要
因)のみが景気循環の要因となるというものである。
さて、はじめに戻ろう。丹羽春喜の「そんな馬鹿な!」では 内閣府が「GDP
ギャップ」(=デフレ・ギャップ)マクロ指標計測値が 3.8 %で「企業資本
設備」と「労働」とを総合した操業度・稼働率が 96%程度とは過大評価だと
批判する。その根拠は1970~2010年間の企業資本設備の総量が10倍、実質国
内総生産量は2.8倍(1970年度でも5.6%のデフレギャップだった)にあり、
現在時点での日本経済の実質TFP水準が、40年前の該当実際値に比べ、10%
近くも下回わる非現実的な算定値で「実質TFPの伸び率」=「技術進歩率」
として把握されているにもかかわらず「技術進歩率」がマイナスであったな
どというという過小評価にあると指摘する。
製造業の稼働率は定期点検・修理で常識的には70~80%でフル稼働だから(
それを無視することは非生産的な事態を引き起こす)指摘通り非現実的な数
字だろう。その意味では、長澤克重の「IT投資はそれだけで生産性の上昇を
もたらすものではなく、IT資本に適合的な組織改編やビジネスモデルの創造
が伴うことが必要条件であり、ITスキルを持つ労働力が不可欠であることも
言うまでもない。その意味でIT化に対応したリストラクチャリングを伴わな
ければ、投資の効果はIT資本財の需要創造効果にとどまるであろう」(「全
労働生産性と全要素生産性からみたIT化の経済効果」)と言う結論をみたと
き、直感的に、これは限定的に過ぎないとの違和感を抱いた。これを実感に
則して言うなら、技術進歩率の過小評価がどうして生じるのか? これは技
術進歩率の相対的低下というものであり、これを是正しないと「労働価値」
は絶対的貧困に曝されるというこれまでのわたし(たち)の思いをさらに確
認する契機になった。畢竟、産業の高次化は「消費と生産」のシームレス化
を限りなく促進するとは、科学技術進歩の成果以外何があるのかと反質せざ
るをえない。
70年代の生産現場と言えば、そろばんと鉛筆、有線電話、そして設計は計算
尺とドラフター、現在は、パソコンにCAD、携帯無線。これをみても生産
性は1桁以上向上していると個人的には思っている。このギャップをどう埋
めるというのだろうか、できなければ知識階層の敗北ということになる。
※「Measures of Technology and the Short-Run Responses to Technology Shocks」
※「全労働生産性と全要素生産性からみたIT化の経済効果」長澤克重
※「経済成長理論」