秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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⑪はつくにしらすすめらみこと

2008-11-30 | 古代史のミステリー
昨日、堺市の仁徳天皇陵近くの御廟山古墳が一般公開されたニュースを見ました。
5世紀中ごろの直径40cmほどの大型の円筒埴輪列などが出土したようです。
「応神天皇を最初に埋葬した」「仁徳天皇のきさきの墓」などとされているようですが、実際はどなたが埋葬されておられるのか・・・

宮内庁も出し惜しみせず、この際いっきに、あちこちの古墳や陵墓を公開してすっきりさせてほしいもんです。

この前⑧吉備王国の記事を書いてから、崇神天皇について調べていましたが、
古代史初心者なもので、知らない単語や地名、固有名詞が見つかるごとに検索ワードが増えて、ドツボにはまっていました。

まだまだすっきり納得できていませんが、
少しでもわかったことだけでもとりあえず報告しておきます。

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第10代崇神天皇の在位年代は3世紀後半から4世紀初頭。
三輪の磯城端籬宮(しきのみずかきのみや)に皇居を定めて治世にあたったとされ
三輪王朝発祥の祖といわれています。

三輪山麓には、いくつも入り組んだ谷筋が延びており、
その谷筋ごとに点在していた諸部族を束ねて、祭祀の中心にいたのではないかという説もあり、漢風諡号にも「崇神」と付けられたとか。

和風諡号は、みまきいりびこいにえのすめらのみこと
またの名を、はつくにしらすすめらみこと

記紀では、崇神天皇だけでなく初代神武天皇の異称も同じく「はつくにしらすすめらみこと」
神話的記述の神武天皇に比べ、
崇神天皇紀には、人民の戸籍を作り課役を命じ、物は豊かで天下は平穏であったなど開国治世の記述が多く、天皇を誉め讃えて「初めて天下を治めた天皇」といわれているようです。

和風諡号は「ミマキイリヒコ」は
イリヒコ・イリヒメは当時の大王・王族名に現れる特定呼称で、
実名(諱)をそのまま記紀に記載したとする説もあり
古代日本史に於いて、如何に特殊かつ重要な存在であったかを伺わせるそうです。

崇神天皇に様々な助言をしたという、第7代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の「箸墓」を邪馬台国畿内説は卑弥呼の墓とします。

崇神天皇以前、三輪山周辺の諸国連合が邪馬台国だとすると、
何時の時代にか、大陸・朝鮮半島からの渡来人達が稲作をはじめとする文明・文化を伝えたにしても
その記憶は伝承や記録として必ず残っているのが普通でしょう。

日本書紀は、卑弥呼の泰始二年の朝貢を神功皇后の事跡とするために、
魏志から、卑弥呼の死とその後の混乱、そして台与が女王となる記事を引用しないでいます。
引用しないということは改竄ではありませんが、明らかに意図を持って省略しています。

卑弥呼は247、もしくは248年に死去していますが、
この連続した2年間に日本で皆既日食が起こったことが、最近科学的に明らかとなっています。

もし邪馬台国が九州にあったのだとしたら、
邪馬台国終焉後の3世紀末(280~300年頃)九州全域が以前の小国分立状態となり、
北部九州勢力・南部九州勢力のどちらにも属さない日向地方の諸勢力と宇佐勢力が連合して4世紀初頭(300年)前後に東征の途についた。

以前邪馬台国・宇佐説を書きましたが、
でもそれなら記紀から抹殺する必要はあるのだろうか。
大和朝廷以前に中国に認められた倭の国があったということを伏せたかっただけなんだろうか。

大和を治めていたのが卑弥呼だとしたら、大和の潮流が変わったのだから消さざるをえませんね。
そして⑨国つ神の話で書いたように祟りを恐れて祀ったことも筋が通るかも。
やっぱり大和かな~

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古事記も日本書紀も、中国の歴史書も読んだことないし、これからもたぶん無理でしょう。

このように天皇に繋がらない以前の歴史は抹殺されているそうです。

日本が人類の発祥地でないように、朝鮮半島だってどこかから流れてきた部族なんだから、隠す必要もないのにね。

ところで神話による高天原は、大和地方と非常に似ているそうです。
高天原の天香具山を地上に移したといわれる香具山があり、
高天原を大和地方であるとする説に繋がります。

しかし、皇孫ニニギノミコトの一行は九州の高千穂峰に天下り、
神武東征という日本国内における大民族移動を行いますが、
大和地方周辺には出雲族の勢力が強すぎたので、紀州半島の熊野から上陸した。

つまり西から来た武装集団が近畿勢と戦って勝利し、
何らかの勢力圏を近畿内に確立して、やがてそれが大和朝廷を成立させる源になった。

東遷を率いた可能性のある統率者の候補は、記紀上では3人
神武、崇神、応神と、いずれにも「神」の字が付いています。

では実際に東征したのは誰なんでしょう?
「はつくにしらすすめらみこと」と同じ名前を持つ神武と崇神は同一人物なんでしょうか?

金色に照り映える公孫樹(いちょう)

2008-11-30 | 四季折々・色とりどり
銀杏(いちょう)は公孫樹とも書くのですね。
「公」は祖父の尊称で、祖父が種子をまいても実がなるのは孫の代になることから「公孫樹」だって。

中国原産の銀杏はかつて留学僧が持ち帰って広まり、
銀杏は唐音で「インキャウ」と読み、それがイキャウ
やがてイチョウになったようです。

学名「 Ginkgo biloba 」
Ginkgo は、日本名・銀杏の音読みのギンキョウがもとで、
さらにギンキョウのつづりGinkjo→Ginkgoと誤植したことで、
今の属名「Ginkgo」になったとか。

 

守口市の文化財に指定されている光明寺。
去年もこれでブログ書きました。
この寺は河内方面最古の浄土真宗寺院で、もとは聖武天皇時代、僧行基が建てた高瀬寺の塔頭であったと伝えられています。

このいちょうの大木が何年生きているのかわかりませんが、見ごたえあります。