秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

午前10時岡山集合

2008-11-03 | 少林寺拳法
2002年9月に崇山少林寺を一緒に訪れた少林寺拳法140プロジェクトの仲間と再会してきました。

昨日岡山で全国大会が催されたので、午前10時岡山駅集合です。
うちの道場はだれもノミネートされてないので、大会はパス。
ただ単に同窓会気分ででかけました。

 

倉敷まで足を伸ばし、大原美術館へ行きました。
今日は文化の日ですから、文化教養コースですが、
でも入り口のロダン「洗礼者ヨハネ」をみて、
やっぱり金的攻撃は効果的だと、拳法談義に花が咲きました。

そのあと岡山に戻り市電に乗って、後楽園へ。

 

2匹の猫が気になるので、一足先にお別れし、
16:24発のぞみに乗りましたが、指定席も満員で、
自由席で立って帰らざるを得ないほど新幹線混んでました。
18時には家に戻れたので、平日の暮らしと変わらず。
ギズモもモグもパニくることなく、いつもどおり待っていました。

今日案内してくれた岡山のYさん、お世話様でした。
1年後にはアラフォーになるYさん、大阪まで一緒に帰れなくて残念でした。
積もる話はまた次の機会に。
こうして再会できたのも団長Tさんのおかげです。
千葉から遠路お疲れ様でした。

⑥まぼろしの邪馬台国

2008-11-03 | 古代史のミステリー
吉永小百合・竹中直人の「まぼろしの邪馬台国」
11/1(土)封切日夜、アズキさんとレイトショー行ってきました。
吉永小百合の若さにも驚きです。
北九州から西九州の景色もすばらしかった。

「まぼろしの邪馬台国」は第1回吉川英治文化賞受賞作の映画化だそうです。
この吉川英治といえば、「三国志」
これは読んでないけど、
マンガ版横山光輝「三国志」は20年以上前に毎号発売を待ちかねて読みました。

「三国志」の完全映画化「レッドクリフ」も見に行かないといけませね。

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邪馬台国がどこにあったか、
このミステリーは戦後はもちろん、江戸時代だってカンカンガクガク。
今なお確定はされていませんが、
魏志倭人伝に記載されているんだから、実存したのは確かなこと。
なのになぜ場所を特定できないのか。

それは大和朝廷が記紀を編纂するときに
隠さざるを得ない事情があったからなんでしょう。


いよいよ空白というかミステリーとなる古代史の始まりです。
学生時代のレポート書いてる気分です。
いまさら宿題でもないし、単位がもらえるわけでもないのにね。

ご関心おありの方は、
パソコン検索による、コピペのレポートをご覧下さい。
おかしいところがあればご指摘くださるとありがたいです。

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時代は少し遡ります。

氷河期が終わり気温が上昇という環境の変化の中で、
東アジアの人々は、稲作の発明と漁労で食料の確保を行い絶滅からまぬがれました。

もうずいぶん前に、揚子江で6000年前の遺跡が見つかったという報道がありましたね。
古代4大文明の一つ、黄河文明より先んじる形で、
中国では最初の文明は長江流域で稲作・漁労文明が芽生えまました。

一方ヨーロッパはアジアより遅れて寒冷気候が襲い、
麦の畑作と牧畜の発明で絶滅を逃れたそうです。

紀元前に中国を統一した秦は、小麦と牧畜の文明であったといわれています。
現在でも気候風土的に、中国南部の稲作に対し、北部は小麦です。

稲作文化はいろんな部族が思っているより早く日本に伝えたことと思います。
前回記事にした徐福が初めてであったどうかは疑問ですが、
徐福は高度な技術とともに伝えて、収穫量が格段に増えたこと、
不老長寿の薬を求めて日本各地にそれを伝え流通させた?
部族としてのまとまりをももたらしたのではないでしょうか。




東アジアの歴史の流れの中で、
中国や朝鮮やいろんなところから様々な部族が渡来し、
日本列島で住み着き小国があちこちにできていきます。

邪馬台国以前の1~2世紀の北部九州は、
博多湾岸の奴国や伊都国などが中心勢力として、
ゆるやかな連合を作り倭国を代表するかたちで中国と交渉していたようです。

57年、倭の奴国王が後漢へ遣使して光武帝より「漢委奴国王」の金印を授与(後漢書)
107年、倭の面土国王帥升等が後漢へ遣使して生口160人を献じた(後漢書)

ところが2世紀後半より始まった地球規模の寒冷化、
この影響を受けた土地収奪争いなども小競り合いのもととなったことでしょう。

「2世紀後半の倭国大乱」
魏志倭人伝はじめ中国の複数の史書には
「争乱は70~80年ほど続き、一人の女子を共立し王とした。
名を卑弥呼という。
鬼道を用いてよく衆を惑わし、年長で、夫は無かった」

→後半に続く