京都・丹後半島の「伊根と新井の千枚田を愛する会」の末端会員です。
そこから新米が届きました。
美味しいお米ですよ~
去年は稲刈り、その前の年は田植えにも初チャレンジできました。
そのときの記事は →
稲刈り 田植え
その際にはふれませんでしたが、
新井崎神社「徐福伝説」の立て看板が目にとまりました。
この徐福伝説は、畿内なら和歌山にもあります。
当時はふ~んと思ってただけで、さほど関心なかったので現地に足を運んでいません。
今になってネットで検索すると、いっぱい出てきて
熱心な研究者がたくさんおられるのがわかります。
日本各地あちこちに徐福伝説あるようです。
詳しくお知りになりたい方は →
こちら などおすすめです。
さてその「徐福伝説」とは
約2200年前(BC210)秦の時代の話です。
始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて、童男童女3千人と五穀の種を持って、東海の三神山を目指し船出した。
再び国に帰ることはなかったという伝説です。
日本に徐福が上陸したかどうかは確たる証拠はありませんが、
日本各地に徐福に係わる伝説が伝わっています。
そして徐福伝説のあるところに浦島伝説があるというのも興味深い。
徐福渡来以前の日本は、国の概念もなく、大陸や南方の海などから移住してきた人々が生活していただけの場所であっただろうといわれています。
吉野ケ里遺跡で発掘されるものから判断して、
たぶん徐福はこの地に至り、日本で最初の「王国」を造ったのではないかと。
徐福の大船団は、吉野ヶ里を本拠地として、
日本のあちこちへ出向き、足跡を残したのでしょうか。