仏像に出会う旅「西国33所めぐり」JR西日本のカタログに大きく紹介されてます。
第21番札所穴太寺
「本堂の一隅に安置され布団のなかで横になる、鎌倉時代に造られた釈迦涅槃像。明治29年、当時の住職が見つけ、この場所に移すまで、なんと本堂の屋根裏部屋にあったという。
病気平癒の仏様として知られ、体の悪い部分と同じ場所を一心に撫でるとご利益があるといわれることから「なで仏」と呼ばれ親しまれている。
かぞえきれない参拝者に撫でられた木造の体は黒光りしており、その信仰の篤さがうかがえる。」
本堂左手(西側)に円応院と呼ばれる方丈および庫裏があり、書院造の建物まわりが名勝の庭園となっています。
右側の入口から拝観料を支払って上がらせてもらいます。
まず涅槃仏に会いに行きました。
右に行くと渡廊下の先に本堂で、入ってすぐのところに 象 ?
左脇壇に不動明王立像がおられますが、そのすぐ近くの床に安置されてた。
かなり年代を経て古そうでした。
本堂の中は撮影禁止で、書院の方で目に付いたものを紹介します。
観音霊験記って何かな~
調べてみました→
国際日本文化研究センター|錦絵観音霊験記の世界
「今からおよそ160年前、全国に散在する百観音霊場を題材にした浮世絵(錦絵)が製作され流行を見た」
「西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所を総合して、日本を代表する百か所の観音巡礼と称した」
西国33所の錦絵は各山号・寺名で検索できます→
こちら
ちなみに21番菩提山穴太寺の錦絵、本文現代語訳は
辰女
亀山の城下町に住む金谷某の下女の辰は、常に穴太寺の仏を深く信じていた。御寺まで一里半も離れているにもかかわらず毎月の御縁日には、参詣を欠かさず、乞食や犬、猫にもよく食べ物を与えるという、慈悲深い者であった。しかし辰は、その頃世間でもっとも流行した疫病ににかかり、死の瀬戸際であった。そんなある夜、主人が家の中を見廻っていた時、辰の寝ている部屋を見ると光明が輝いていたので、不思議なことと思い、急いで辰を起こした。辰は驚いて目を覚まし、主人に向かって、「なんと有難いことでしょう。今、夢に穴太寺の者が、私の口へ柳の枝を用いて鉢の水を注いだところ、苦痛がすぐに治まったのです」と語った。その翌日から辰は食事ができるようになり、間もなく全快したのであった。そのためにますます信心し、祈ったところ、ついに安楽の身になったのは、本当に有り難い御利益である。