わらしべ長者は、たった1本の藁から交換していくうちにレベルアップして長者になるという昔話です。
このお話の冒頭部、みなさんの記憶にあるかどうか、私は忘れてましたが、
神仏に祈るシーンが登場します。
それが長谷観音。
なんとあの昔話「わらしべ長者」の舞台が、奈良県桜井市初瀬の泊瀬門前町だったのです。
5月に長谷寺のすぐ近くまで行きながら、足が痛くて長谷観音にお参りできなかったと先に書きました。
→
2013-05-18 伊勢までの道、五回め
帰路のバスが出るまでの時間、休憩してわらび餅を食べたお茶さんで
わらしべ長者のキャンペーンしてると教えてもらいました。
同じ頃、ボストン美術館展で吉備大臣入唐絵巻みました。
そこでも長谷観音でてきました!
その時の記事は→
2013-06-02 不思議いっぱいの吉備大臣入唐絵巻
遣唐使として渡った唐で無理難題を出題されて困った吉備真備(きびのまきび)は
長谷観音・住吉神に祈りを捧げたところ、…
観音様から使わされた蜘蛛の糸が真備を救い、日本に「文選」や「囲碁」「野馬台詩」を持ち帰ることができたという。
なぜ、長谷観音・住吉神に祈ったの?
長谷観音とはいったい…?
長谷観音については項をあらためます。
と書いてから、すでに3ヶ月が過ぎてしまってた。。。
この長谷観音は他の昔話でも登場します。
それは、鉢かづき姫
という守口市の近隣、寝屋川市の民話です。
「河内国交野郡に住む寝屋長者は、長谷観音に祈願して女の子に恵まれた。
初瀬山の
長谷観音にちなんで「初瀬姫」と名づけられた。
美しい娘に成長したが、母親が病気で亡くなる前に娘の頭に大きな木の鉢をかぶせた。
鉢がとれなくなってしまった姫はやがて継母に追い出され…」
詳しくは→
こちら
長谷寺は平安時代に子授けの寺として一番有名な観音信仰の寺だったようです。
特に有名なのは平安時代の末の鳥羽天皇の頃、
美福門院が長谷観音にこもって、胎内の女子を男子に変えるように頼み、そうして生まれてきた男の子が近衛天皇だったという話。
このように、長谷観音は子授けの観音であり、とくに男の子を授けてくれる観音さまです。
そして子どもだけでなく、いろいろなものを授けてくれる一番有名なのが「わらしべ長者」だったのです。
長谷寺のある初瀬は、三輪山信仰に対応する水の聖地。
『昔この里を流れる川の上流に毘沙門天が祀ってあった。
ある時雷神がこの像を奪い天に昇った。
その際像の持つ宝物が落ち、川を流れてこの里の瀬に泊まった。
以来、泊瀬→初瀬・長谷と呼ばれるようになったという』
長谷寺(はせでら)を解説した
JR東海のウェブサイト からかいつまんで
なぜ長谷観音なのか、
そもそも長谷観音とは何ものなのか…考えてみましょう~♪
奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。
山号を豊山 院号を神楽院と称する。本尊は十一面観音
開基は僧の道明、朱鳥元年(686年)三重塔を建立
神亀4年(727年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したという
長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集め
『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。
十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は、日本各地に多く240寺程存在し、
他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。
本尊十一面観世音菩薩の造立については興味深い話が残っています。
昔々、観音菩薩像をつくることを思い立った徳道上人は道明上人にその意を打ち明けました。
道明上人は、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)より来た楠の大樹が初瀬の神河浦(かみかわうら)という村に放置されているからそれで仏を彫るがよい、と助言。
ですがこの楠、触れた者は必ず祟られていた恐ろしい木だっために長年放置されていました。
しかし徳道上人は「霊験あらたかな木こそふさわしい」とためらいなく楠を譲り受け、十一面観世音菩薩像の造立にあたりました。
霊木は祀られることで人々をまもる仏となったのです。
「長谷寺縁起文」には、天平5(733)年に開眼供養会が行われたと記されています。
以来、霊力を宿す長谷寺の本尊は信仰を集め、「
初瀬詣で(はせもうで)」と呼ばれて観音信仰の霊場となりました。
観音像は何度も火災にあい、その都度再建されてきましたが、焼け残った部分を像の体内に納めることで霊験は伝え続けられています。
現在の十一面観世音菩薩は室町時代の天文7(1538)年に造立されました。
本像は通常の十一面観音像と異なり、方形の磐石の上にお立ちになれてます。
左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持ちますが、
右手には数珠と地蔵菩薩の持つような錫杖を持たれてます。
伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく、自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、
他の宗派(真言宗他派も含む)には見られない独特の形式であるそうです。
この種の錫杖を持った十一面観音を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」といいます。
鎌倉の長谷寺にも長谷観音おられます。
神奈川県鎌倉市長谷3-11-2にある浄土宗系統の単立寺院 山号を海光山、院号を慈照院
徳道上人は、養老5年(721年)に楠の大木から2体の十一面観音を彫造されました。
その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈願して海に流された。
15年後に相模国の三浦半島に流れ着き鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であるとされる。
もうずいぶん前の話ですが、南インドのドラビダ族タミル人のSさんと一緒に長谷寺へお参りしました。
その時、山の上にある寺院の回廊など南インドそっくりだと話されてました。
→
2010-04-25 花の観音浄土・長谷寺
佐藤弘夫氏の『アマテラスの変貌』(法蔵館)は
長谷のアマテラスの神体が、雨宝童子という童形の仏であったことを実見したショックから話がはじまっているそうです。
ここまでくると、もうワケワカランのようになりますので、
以下サイトなどご覧下さい→
こちら