秋麗(あきうらら)

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石清水祭の演武奉納

2013-09-15 | おでかけ・近畿


空手の剛柔流の師範が、石清水八幡宮で奉納演武されると伺い、見物行ってきました。

台風18号の接近で大阪は夜中から雨降ってました。
石清水祭は雨天決行です。





京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰標高143m)山上に鎮座されます神様は、
石清水祭で山麓の頓宮まで山を下りてこられます。
9月15日の午前2時に始まるようです。

祭神である応神天皇、神功皇后、ヒメ大神の鳳輦3基は、
3時過ぎに本殿を出発、500余人もの神人と呼ばれるお供の列を従え、
松明と提灯の明かりを頼りに山を下り、4時15分頓宮に入御。

ということは明け方の雨足の強い中行なわれていたのですね。
同日18時時30分頃、鳳輦は再び山上へと還幸されます。

では日中、山を降りた神様は何をされてるかというと、
8時頃放生川の安居橋下流側で魚鳥を放つ放生行事が行われます。
そのあと安居橋の上で「胡蝶の舞」が奉納されます。

そして頓宮の境内で13時に演武奉納。










石清水八幡宮は平安時代前期、貞観元年(859年)に八幡宮総本社の宇佐神宮から勧請されました。
京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として篤く崇敬され、
天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余。
中世以降は勧請元の宇佐神宮に代わって、伊勢神宮と並び二所宗廟の一つでした。

石清水祭は 賀茂祭(葵祭)春日祭と共に 三大勅祭の一つで
国民と国家の平和と繁栄を祈る重要な儀式です。 
また、賀茂祭=北祭に対し、南祭とも呼ばれます。

そんな大事な儀式に奉納演武できる剛柔流ってすごくない。


中高校時代の古文の時間に、兼好法師の「徒然草」仁和寺の法師の話、習いましたよね。

そのお話で出てくる山麓の下院がこの頓宮と高良社です。
「あまりに立派な建物だったので、そこで拝んで山上には上がらなかった。
多くの人が山の上に上がっていたけど、何があったのでしょうね…」

石清水八幡宮の本殿は男山の山頂にある、という大事なことを知らなかったというお話です。




仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。

極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。