高天原の史跡で見つけにくさナンバーワンが蜘蛛窟。
前2回の訪問ではわかりませんでした。
高天彦神社の杉参道前に、鶯宿梅があり、あぜ道まっすぐ行ったつきあたりの柵の奥にあるのだろうと思いこんでた。
以前はまず柵の開け方がわからなかったし、藪を歩くのが気持ち悪かったこともある…。
立派な杉の参道前で記念撮影。
高い杉の後ろに隠れて高天彦神社社殿は見えません。
前に鶯宿梅
今回はガイドさんの案内で、実際は左側にあることが分かりました。
よく見ると案内看板があります。
左に折れるあぜ道を行き、イノシイ避けの柵をあけ、とんでもない坂道を上がります。
帰るときの坂道を下る時の写真は↓
おっそろしく滑ります。
一人で行ってたら不安になって引き返すでしょう。
神武天皇が大和にやってきたとき、この地には先住民が暮らしていました。
土蜘蛛と蔑まれた名前で呼ばれています。
日本書記によれば、神武天皇の皇軍は葛のつるで網を作り、反抗する土蜘蛛に覆いかぶせて捕らえた。
殺して埋めたのが、この蜘蛛窟。
この土蜘蛛伝説により、このあたりを葛城と呼ぶようになったと。
葛城一言主神社境内にも土蜘蛛塚があります。
2012-12-24 葛城再訪★一陽来復★かもきみの湯
今回ガイドさんの案内により知ったことは、
殺された土蜘蛛は頭胴足と3つに分けられ、
頭は社殿下、上の記事の蜘蛛塚に胴、最後鳥居左の塚に足が葬られたそうだ。
蜘蛛窟を見学後、鶯宿梅正面奥に見えた柵を開けて、高鴨神社へと続く古道を行きます。
柵は持ち上げて横にずらすと簡単に開きます!
この道はよく整備されていましたが、なかなか急な階段坂でした。
以前から気になっていた鳥居でした。
きっとココから歩いて高天彦神社に続いているんだろうとは思ってましたが。
「タニ、やっとわかったよ~」