1300年にわたり継続してきた、20年に一度の式年遷宮
日本人は常に新しい社殿にお伊勢参りして常若の力をいただいてきました。
この伊勢の町に蘇民将来という民間信仰が綿々と受け継がれています。
画像の注連飾りは、伊勢市古市参宮街道資料館の玄関に掲げられてありました。
「蘇民将来子孫家門」と墨書きされた板が中央にあり、左にダイダイがついた注連飾りです。
伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが目にとまります。
商店だけでなく、お屋敷から普通の家屋の大小問わずです。
まず掲げていない家を探すほうが難しいぐらい浸透してました。
たいていの一般家庭は「笑門」、時に商店などは「千客萬来」などと墨書きした門符です。
元は「蘇民将来子孫家門」と墨書きされたようです。
「蘇民将来子孫家門」を縮めると「将門」では平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。
この画像はNさんが9月に歩いた伊勢ウォークの奥津の宿で撮影されたものです。
そんな山中でもこの注連飾りは飾られているのですね。
そして、伊勢志摩地方では、お正月だけでなく年中外さずに掲げるのだそうです。
「蘇民将来(そみんしょうらい)」の護符
災厄避けの神としての信仰は平安時代にまでさかのぼり、
各地でスサノオとのつながりで伝承され信仰対象となってきたそうです。
大阪ではお正月ですら注連縄を玄関に掲げる家は激減しています。
伊勢にこの風習が根強く残るのは、やはり式年遷宮による常若の聖地だからかもしれない。
しかし、神宮にはスサノオは祀られてないのですよね。
蘇民将来と茅の輪くぐり
あるとき旅に出たスサノオノミコト(牛頭天王とも武塔神とも呼ばれる)がある村で宿を請うた。
富裕な弟の巨旦将来はことわったが、貧しい兄の蘇民将来は家にとめ歓待した。
スサノオノミコトは翌日一宿の恩返しとして、茅の輪のお守りを与えた。
「後の世に疫病あらば、蘇民将来の子孫と云いて、その茅の輪を腰に付けたる者は難を逃れるであろう」と言い残した。
後日疫病がはやったとき蘇民将来やその子孫はこの疾病を免れ、巨旦将来の子孫は全滅したという伝説が残っています。
蘇民将来の起源は、イスラエルの過越祭か
というサイト、ふ~ん なるほど… ありかも
どうなんだろう~
興味おありの方は→
こちら