秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

海津湊から敦賀までの七里半街道もコンブロード

2014-04-15 | 古代史のミステリー
奥琵琶湖、海津大崎までの桜並木をあるいていて、目にとまった木標「荷出しの浜」
いったい何をこの浜から荷として出したんだろう…

マキノサニービーチに至り、市内を歩いていると


旧海津港跡の看板見かけました。

造り酒屋も歴史を感じます。


迎賓館?
調べてみたら象牙の商館だったようです。


その向かいのお寺も立派です。






民家の家と家の間から琵琶湖が見えます。












海津の石積みは、風雨の被害から家屋を守るために江戸時代につくられました。


石積みの様子がよくわかる画像をちょっと拝借。


海津湊は、湖上輸送の大事な拠点だったのですね。

追坂峠を通り敦賀津へ出る七里半越え、大事な上がり荷の一つが北海道の昆布でした。






寛永15年(1638)、加賀藩が城米100石を初めて西廻り航路により大坂へ運漕しました。
それまでは敦賀で陸揚げし、琵琶湖を渡って大坂へ運ばれていたものです。
他の藩も西廻り航路を利用するようになり、松前物の昆布も同様に大坂へ直送されるようになりました。
距離的には西廻りの方がずっと長いのですが、途中で荷の積み替えがなくて済み、
敦賀・近江の運送業者の質が悪くて荷を抜かれる損失を勘定に入れると、西廻り航路の方が安上がりになったのです。
コンブロードは敦賀で止まらずに西へ伸び、長崎に至って、瀬戸内海を抜けて大坂に到着するようになりました。


詳しくは→こちら


そして、海津湊はかつての繁栄を歴史にとどめ寂れていったのです。


古代に敦賀が重要拠点だったのがよくわかりました。
北前船の荷揚げ地が敦賀だったことも、この海津を歩くまでしらんかった。