秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

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チャーミーが通過した守屋山東側

2018-10-05 | 古代史のミステリー
分杭峠というゼロ磁場で有名なスポットがあります。
ミーハーなもので、いつか行ってみたいと思っておりました。
中央構造線の真上にあり、その地溝帯は諏訪湖付近でフォッサマグナに分断されてるらしい。
たぶん実際に足を運んでも、何も見えないし何も感じないだろうとは思うけど、どんなとこか興味津々。







また茅野市は国宝「土偶」仮面の女神、縄文のビーナスがあるとこです。
いつか生で見たいものだと思ってます。


その茅野市と分杭峠との間にあるのが守屋山。
長野県諏訪市と伊那市との境、伊那山地の最北部にあります。



めねふねさんブログ「チャーミーと守屋山」によれば、
台風24号チャーミーが通ったのは、諏訪大社ではなく物部守屋の側だ。
諏訪大社上社のご神体山として知られるが、じつは諏訪大社の神域は北麓で、守屋山東峰には守屋神社奥宮の石祠がある。
里宮は登山口にある物部守屋神社である。
守屋山は、北側と東側では意味がちがう。



守屋山(もりやさん 標高1,651m)調べてみました。



守屋神社里宮は登山口のすぐ近くにあり、鳥居に「物部守屋神社」と書かれてるようです。
奥宮は、守屋山東峰にある石祠で、なんと鉄柵に囲まれていました。
なんでかなと気になって検索を重ねて、理由をやっと見つけた!


この画像頂戴した、以下ブログ
100山展望の守屋山
説明文も引用させていただきます。

諏訪市、茅野市と伊那市高遠町の境にあり、山頂から北に諏訪湖を見下ろすことができる。
山と諏訪湖の間には諏訪大社が祀られているが本殿がない。
大社の南に聳える守屋山そのものがご神体であり、昔から観天望気や雨乞い祈願の山としても崇められてきた。
雨乞いには東峰にある守屋神社奥宮の石祠を谷へ突き落とし、神の怒りをかって雨を降らせてもらうという乱暴な伝承もある。
現在は落とされないよう鉄の柵で守られている

危険個所もなく登り易く、展望にも優れた山として人気も高い信州百名山。


山頂からは、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳連峰といった山々が眺望できて
これ程まで展望のいい山はめったにない、と多くの方が書かれてます。
守屋山周辺の古い神社の末裔の人々は、自分達を古代ユダヤ人の末裔であるとも自称してるらしい。

これも気になって、物部守屋神社で検索したら、
社紋が「丸に三ツ柏」紋

実家と一緒でちょっとうれしくなった。

同じく守屋山を背後にもつも、違う方角の麓にある
洩矢神社の神紋は「丸に一つ柏」



諏訪大社上社の大祝は諏訪氏、神長官は「守矢」氏、No.3禰宜太夫は「守屋」氏。
もりやという漢字もいろいろ。
洩矢神社も もりやで、
洩矢神 モレヤ神、…諏訪の土着神だそうです。

諏訪大明神画詞という14世紀に書かれた諏訪大社の縁起では、
諏訪の地に建御名方神がやって来て、それまでここを統べていた洩矢神と争った。建御名方は藤の枝で、洩矢は鉄の輪で戦うも、藤の枝によって鉄輪が朽ちてしまい洩矢は敗れる。
洩矢神はこの地の祭神の地位を建御名方神に譲りその支配下に入ることに。それによって、諏訪大社のトップである「大祝(おおほうり)」は建御名方神の末裔である「神氏(諏訪氏)」が、二番目の地位にある「神長官(じんちょうかん)」は洩矢神の末裔の「守矢氏」がつとめることになった。


下社の大祝は金刺氏。
神紋は上下社ともに梶紋(諏訪梶・明神梶)
三本梶に太い根が大地に食い込んでいる独特なデザインで、
上社では足が四本、
下社は五本足



学生時代は、夏合宿やスキーで長期滞在した信州。
年を重ねてからも何度か長野県に観光訪れてますが、未だかっていちども諏訪大社をお参りしたことない。
なかなかご縁が結べないようです。

ちらっと読んだぐらいでは?な歴史の重層がありました。
歯が立たないので今はスルーすることにします。


そんなややこしいとこを台風チャーミーは通過してたのでした。