今朝は7:35の朝日です。
日の出時間は、大阪7:00
真東は電信柱あたり。
明後日の日曜が冬至ですから。
昨日たまたま十津川の果無峠調べてました。
熊野へ至る大峰奥駆道、奈良と和歌山の境あたりです。
果無 はてなし とは珍しい地名。
どんないわれがあるんだろうと。
そこで発見した「果ての二十日」
まさに今日がその忌み日でした。
間違って書いたらあかんので
後でネット情報貼り付けます。
「はてなし」は、「果ての二十日に人は無し」から付いたという説 です。
まずは今日出現するという妖怪から、次々追記していく予定です
★一本だたら
和歌山県の山中に現れるというこの一本だたらですが、実は超レアな妖怪です。
何故ならコイツが現れるのは一年に一度、12月20日のみなのです。
倒したらレアアイテムでもドロップしそうですね。
和歌山県と奈良県にまたがる果無(はてなし)山脈の辺りに住む人々は、この日を「果ての二十日」と呼び、決して果無山脈には近づかなかったそうです。
ちなみに出現日が12月20日である理由は不明です。
まあ、その理由を知ろうと山の中に入った人はそのまま行方知れずに・・・
なったかどうかは定かではありませんが。
★猪笹王
いのささおう/いざさおう
大和国(奈良県)吉野郡・川上村の伯母峰峠に現れたといわれる妖怪。
元は熊笹がついた大猪だったが猟師に打ち殺されてしまう。
その後、付近の湯が峰温泉に現れて「鉄砲と犬をよこせ(どかせとも)」と言ったが
聞き入れられなかったことに怒り伯母峰を通る人たちを食い殺していたという。
そのせいで東熊野街道(現在の169号線)は人知れずの道となってしまった。
そこに丹誠上人(この人物の登場から時代は1590~1620の間になる)が訪れ、
地蔵による結界と封印を施して退治した。
ただ、どんな封印でも決まりがつきもので「12月20日は自由にしていい」という決まりで封印。
その後は再び伊勢参りなどでの賑わいを取り戻したが20は「果ての20日」と言われ恐れられた。
一本だたら関係の伝承でもしっかりとしたもので昔話などでも扱われることがある。
一本だたらは大和(特に猪笹王の出る吉野郡)の隣の紀州に現れる妖怪で一説にこれを指すとも別個体ともいわれている。
また、果ての20日自体は近畿地方各地に伝わるもので
「山の神が出る(山に入れない)日」「罪人を処刑するのが大抵この日だから」
物忌みして家でじっとしていようという風習がある。
引用元☞
こちら
以上が、紀伊半島の山の神に深く関る忌み日の伝承でした。
ところで、猪笹王が柿の葉寿司のゐざさ に繋がってました。
あのとき幹事だったので、40名団体のお昼をどこでとるかで悩みました。
ゐざさ さんに決めたとき、なんとなくおざさと似てるから親近感もてた。
今回の記事しらべで、「ゐざさのふるさと奥吉野 上北山村」と知る。
「ゐざさ」の名の由来が、笹を背におった伝説の大猪「猪笹王」 だった。
イザサという音からすれば、
伊奢沙別命(イザサワケノミコト)
応神天皇の本名ですよね?
応神天皇が敦賀を訪れ、笥飯大神と名前を交換した。
応神天皇は伊奢沙別命という名前から誉田別に、
笥飯大神は誉田別から伊奢沙別命になった。
一本たたらの製鉄と、山の神と、応神天皇、
繋がってるんでしょうか?
★京の罪人処刑は12月20日
東海道から来た人が京の都に入る時、
その入り口となっていた粟田口(あわたぐち、左京区)は、江戸時代には刑場が設けられていた。
罪人は都の中を引き回された後、この粟田刑場で果ての二十日に首を斬られていたという。
その命を忌み慎むという意味から、この日の過ごし方が守られてきた。
罪人は首を斬られる前に一つだけ最後の願いが聞き入れられた。
町衆はそれを恐れ、家族が目を付けられないように、特に女の子の外出は控えられていたという話もある。
現在の粟田口周辺は、いくつかの地名としてその名残りをとどめている程度で、実際の面影はなにもない。
最後に以下のようにまとめられています。
京都と奈良山中の習俗との間に関連性はないようであるが、
一年の精算をする日でもある大晦日を間近にひかえ、
身を慎み、災いを避けるべき忌み日があることは、とても意味深く感じられはしないだろうか