一本の木のツルが伸びて壁面覆う植物、すでに花は終わってるから調べにくい。
どこで見たかというと
和庵があるのは、堺市東区日置荘田中町257
阪和道側道沿いで、古民家カフェ。
イタリアのアグリツーリズモのような古い農家を改築した感じ。
この時のランチは、
2500円で予算オーバーやと思ったけど、
満足した(o^^o)
またまた気になるのは、花の名前!
画像検索もできないし、最後の手段、お店に電話掛けて尋ねた。
ナニワイバラですって。
こんな白いバラ科の花でした。
お店のFBには、ナニワイバラが満開で心が和みます!って。
果実は楕円形で棘が密生した偽果で、秋に赤橙色に熟すようです。
果実を乾燥したものを生薬で金桜子といい、渋精止瀉・縮尿等の薬効があります。
和名は、江戸時代に難波商人が輸入し広めた棘のある低木という意味
→ナニワイバラ
英名は、Cherokee rose「チェロキー族のバラ」
こんな逸話がありました。
「1828年、アメリカで最初のゴールドラッシュがチェロキー族が住んでいるジョージア州で起きました。
アメリカ政府はチェロキー族との約束を破り、1838年の冬に、チェロキー族をオクラホマ州に強制移住させました。
冬の最中充分な衣料や食糧も与えられずに移住させられたチェロキー族は
14,000人のうち4,000人が途中で亡くなり、特に弱い老人や子供達が犠牲になりました。
その1,600kmの山道は、涙の足跡(Trail of tears)と呼ばれ、
その1,600kmの山道は、涙の足跡(Trail of tears)と呼ばれ、
オクラホマへの山道沿いに咲き誇る本種の白い花は、チェロキー族の女達の涙の象徴だといわれています。
米国ジョージア(Georgia)州の州花に指定されています。」
米国ジョージア(Georgia)州の州花に指定されています。」
ナニワイで切れるのかとも思ったらナニワとイバラなんですね。
難波+茨って大阪の関係ワードですね、皇子の名前にも深読みします。
それはさておき、見事なお花は日頃のお手入れと愛情の証、素晴らしい写真でした。お食事も宝くじ当たったら行きたいです。6593
このときは妹と一緒に食事して、ふたりして名前調べる検索するもお手上げ。
やっとわかった名前、今度は忘れることはないでしょう。
で笑ったのが難波皇子が確か昔に妄想世界にはまって書いていた件の方でした。子供達が半端ない中心の方々でまた本人はよく分からないようです。難波もいきたかったんですよ。かなり地形では高い所があったので駅の下だったかな?大の要素もありますね。
茨では茨城皇子ってのがなんだか歴史の中ではなんだかやらかしてるみたいなのでやらかしてる事実がなければ結構いい位置につけた素材の可能性ありますね、女系なので今とも似ている。ハニートラップだったり、今もその手使って貶める方法使ってる方もいそうだし。読み方がうまが入るのも怪しいですね。
大阪は茨木でしたよね、関東の茨城になるんですけどそこも気になるところ。
いばらは蔓植物なのでなにか臭いですよ。いばら姫っていうのもお話もありますね。いばら積み上げて燃やしたとかもあったような?
大阪では茨木はなんて読むんだっけ?バラキ?ハバキにも似てくるかな?蛇っぽい感じもあり。
大阪の茨のつく地探してみよっかな?なんかヒントありそう。きっかけありがとうございます。
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ところで、ナニワイバラもチェロキーローズも初めて聞く名です。バラというと華やかなお花の代表ですが、このお花はとっても可憐ですね。チェロキー族のお話を思いながらオクラホマの山道を歩いたら、いっそう愛おしく感じるでしょう。
「ナニワ ノイバラ」と教えていただきました。
ノバラ=ノイバラだとお聞きしました。
ネット検索で画像を見ても、見分けがつきません。
でも、バラのようなゴージャスな感じではない、素朴で素直な花が素敵です。
素敵なカフェレストランに花の時期に行って見たくなりました。
なのでそう理解するとナニワノバラが難波の新しいバラという意味になります。
もしそうだったら素敵ですね。ドイツに関わる方が難波に関係していたら素敵。
日本には昔から境界の神がいて、低木や垣根はおそらく今にも繋がっていますね。現在は防犯上危ないのでどんどん縮小してますけど。
そこに白いお花は相当魅力あるでしょうね。
お寺でも低木のお花を付ける木が色々植わっていますけどその都度気になってます。ツツジはテッパンですね。
お水や溝の手前に境界の神は植物だった可能性もありそうですね。ただ植物ですからお水は不可欠でもありますね。水神は偉大です。
バラってアーチとかにするまでにとても大変だと聞いてますのでそういう意味でも素敵な方が育てたんだろうなあと、だからこそ人の心をうつんでしょうね。癒されますね。5896
今日、この記事拝見して、その偶然性とおざささんのナニワイバラの写真のかわいらしさに魅かれて、久しぶりでコメント入れさせて頂きました。
茨木市の読み方は「イバラキシ」と澄んで読みます。市名の由来はウイキペディアには、「イバラの木が多く茂っていたことやイバラを切って屋根をふいたという説から「茨切」(いばらきり)がなまって「茨木」となった説などの説がある。」とありました。
おざささんがファンの稀勢の里関の故郷も同じ読み方の「茨城県」ですね。券のキャッチフレーズに「ひたむき まえむき いばらき」と、横綱の写真とともにポスター撮影されていました。どっちも「いばらの生えた土地」っていう意味があるのですね。
どうしても鎌足を背中に乗っけてる感じの方が出てこないといけないようにも。鎌足さんにもよ〜くお願いしたいです。鎌足の娘はいばら系になるのかな?1919
いばらき童子が 市の観光特任大使でマスコットキャラクターです。
平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる「鬼」の一人なんだそうですね。
市役所近くに茨木神社があって、大同二年(807年)坂上田村麻呂が荊切の里を切り開き天石門別神社が鎮座されたと伝わります。
茨木市役所の桜並木は景観よい道で何度も通りましたが、交通量多いし駐車場よくわからんしで茨木神社参拝したことないのです。
弥生時代の大規模環濠集落の東奈良遺跡もありますし、三島、溝くいも時代的に被るのだと思います。