昨日ドライブしてて見かけた道路工事用の鹿のオブジェ。
よそでは見たことない、さすがに奈良らしいですよね。
往路は、大東鶴見より近畿道にのり、西名阪の天理東で降りました。
天理から桜井まで南下し、三輪明神から斜めに生駒信貴山の奈良側麓へ。
帰路の高速道は、第二阪奈道の壱分から大東鶴見に戻りました。
ETCでの料金は500円が2回カウントされたようでした。
近畿道は土日割引で軽自動車は300円なのでおかしいなと
NEXCO西日本 お出かけ情報 で確かめたのが上の図です。
第二阪奈道は西石切で終わり、近畿道と連絡してますが、
東大阪JCTまでは一部、阪神高速東大阪線を走ってたので200円が加算されてる。
知らんかった…
確かに3つの高速道走ったけど、距離的に不満足なお値段でした。
それにしても 生駒山の下をくぐっている阪奈トンネルはすごく長いです。
調べてみると、5580mもありました。
これが古代の幹線道路。
枚岡神社背後の暗峠を越える奈良街道は、去年2月に歩きました。
とても険しかったです。
2013-02-16 寒くて熱かった暗峠越え
この道よりは距離が長くなるけど楽な道ということで
竜田越奈良街道がよく利用されたそうです。
以上の地図は以下ブログより頂戴しました。
2013-11-20 古代の大和と河内に敷設された直線道路網の謎
昔、奈良盆地は湖だったのですね。
桜井の大神神社から、左上の茶臼山古墳あたりへ行くのに、
斜めに走る道として有名なのが太子道。
厩戸皇子が斑鳩から飛鳥へ通うのに利用したと伝わります。
ところがナビではどの道かよくわからない。
それで、馬見丘陵の公園目指して行くことにしました。
数多くの馬見古墳群は古代豪族の葛城氏という説
あるいは大王家の一部という説などなど、諸説あり謎らしいです。
入場無料の公園で多くの家族連れで賑っていました。
ここで地図だけ戴いて、その隣にある竹取公園へ寄りました。
竹取物語の舞台が讃岐神社周辺であるとされています。
翁の名前は、讃岐の造(さぬきのみやつこ)。
広瀬郡散吉郷(現広陵町三吉)が物語の舞台だったと記されています。
かぐや姫に求婚する五人の貴公子の名は、672年壬申の乱で活躍した実在の人物で、
かぐや姫の館に求婚のために通った記事から、物語は大和の国の話であると。
ゆっくり散策するまもなく次に向かったのは龍田大社。
途中で、廣瀬神社の方向を示す大きな看板見かけました。
廣瀬神社2年前に訪れたものの記事に出来てないので、
この二つの神社について項を改めます。
水のお社と、風のお社。
作者は紀貫之である可能性が高いそうです。
結婚前に国文学関係の出版社に勤務していたので、紀貫之と言うと「土佐日記」を連想します。
でも、読んだことはありません(涙)
去年晩秋に公開されたアニメ映画かぐやひめ、お正月に永遠の0と二本見ました。
子供の昔話の時は気づかなかったけれど、
讃岐守というのがへぇ~と印象に残ってました。
物語といえども一応時代背景を盛り込まれていたことを知った次第です。
この竹取物語も土佐日記も読んだことないです。
桜井の三輪明神からどのみち走ろうか地図見てて、竹取公園が目にとまりました。
今まで関西圏で広陵町が竹取物語の舞台だと聞いたことありませんでした。
伏見大社の上に神宝神社があり、そこも竹取物語を敷衍した由緒など書かれてありましたわ。
候補の山は三輪山ですね。太陽に関係した方は山を神体として崇めるならお水の対岸にいらっしゃた一族になりそう。松尾山辺りに古墳ないかちょい調べてみます。石切さんのおかげで思わぬ
奈良の疑問も少し見えてきそうです。2116
その記事では削除したのですけど、ここに残ってましたね。
地形図の海抜で線を結んだら、こういうイメージなんだろうと、100%間違ってるわけではないと思うのですけど。
大阪平野だって河内湖だったらしいから、奈良盆地だって低いところは水がたまってたと思います。
奈良時代に糞尿を流してた川や池が干上がり、この下水インフラ面からも遷都につながったとどこかで読みました。